内向的な人は、アウトプットが苦手だ。
内向的な人は、警戒心が強く慎重だ、言動を意味があるものに限定したい、走りながら考えるタイプではなく、考えてから話したり行動するタイプだ…など、いろいろ理由はあると思う。
だが、アウトプットが苦手で下手だからしない…というのは、かなりもったいないことだ。今回は、内向的な人は今よりアウトプットを増やした方がいい、ということを書いてみたい。
目次
成果につながる行動が大事
百聞は一見にしかずの続きがある
「百聞は一見にしかず」という言葉をご存じだと思う。
だが、この言葉に続きがあることを知っているだろうか?それは、「百見は一考にしかず」⇒「百考は一行にしかず」⇒「百行は一果にしかず」というものだ。※聞・見・考・行・果と続く。
これをわかりやすくすると…
成果を出す行動を重視せよ
考えること(一考)>百見 ⇒ 行動すること(一行)>百考 ⇒ 成果を出すこと(一果)>百行。まだわかりにくいかもしれないが、以下、右に行くほど大事になるよ、ということだ。
インプット(聞く・見る) ⇒ 思考 ⇒ アウトプット ⇒ 成果を出すこと
この言葉がいつからあるのか知らないが、先人が経験則から導き出したある種の法則だろう。この先人の英知を凝縮した言葉から読み取れることは、「インプット」より「アウトプット」を重視せよ、ということだ。もっと言えば、成果につながるアウトプットを重視せよ、ということだ。
入力より出力を多くすべき
以前、「インプットとアウトプットの黄金比率」という記事を書いたが、結論として、
この問題にピンポイントの正解はありませんが…3:7をベースにして、ケースに応じてこのバランスを調節することのできる人が最強かもしれませんね
出典:インプットとアウトプットの黄金比率は?
とした。この結論とも整合性がとれている。
インプットを軽視すれば、アウトプットの質に問題が生じる。これでは、成果につながるアウトプットにはならない。なので、1:9(インプット:アウトプット)ではダメで、3:7ぐらいがベースになる。とにかく簡単に言えば、インプットより「アウトプット」を増やすべきなのだ。
※内向的な人は、このバランスを見直した方がいいだろう。
アウトプットが苦手な理由
内向的な人はアウトプットが苦手
内向的な人は、この成果を出すために必要なアウトプットが苦手な人が多い。
内に向かうと書いて、「内向」だ。なので、内向的な人は、インプットや思考は得意だが、そのあとのアウトプットが苦手なのだ。(内向的な人は)アウトプットは、インプットや思考を十二分に重ねた上で行いたい、と考えている。物事を十分に把握してから行動したい、と考えるのだ。
たとえば、新しい家電が家に来たとしよう。内向的な人は、すぐにあれこれ触ってみたりはしない。説明書を読み込んで、機能や操作方法、注意点などを把握してから実際に触ろうとする。
状況が把握できるまで動きたくない
新しい職場に配属されたときも同様だ。
まず、自分からの発信(発言)はできるだけ抑えて、周囲の状況を探ろうとする。
上司や同僚がどういう人物なのか、まわりの人間関係はどうなのか…そのあたりを把握してからでないと、なかなか自分を出そうとしない(動かない)。※警戒心が強い、ともいえる。
内向的な人は、外部刺激に対する感度が高いので、慎重にならざるを得ない面がある。このようなことから、内向的な人は行動が鈍く遅く少なく、苦手である、としていいと思う。
内向的な人は自己流にこだわる
内向的な人には、自己流にこだわる…という傾向がある。
だが、自己流にこだわると、アウトプットのチャンスは少なくなる。
内向的な人は、自分が納得しないと動かない。よく言えば、自分なりのしっかりとした価値観を持っている、と言えるかもしれない。ただし、ささいなことにまでこだわっていると、大事な行動の機会を失うことになる。※自己流が強すぎても、(柔軟性を失うことになり)ダメなのだ。
裏道を歩む人生になりやすい
孤高の天才数学者、グリゴリー・ペレルマン
ペレルマンは、世紀の難問である「ポアンカレ予想」を解いた天才である。
ペレルマンは、学生時代から頭角を現し、16歳で国際数学オリンピックの金メダルをとっている。 その後も数学者として優れた業績を残すが、アウトプットには極めて消極的であった。
彼には、自分の論文を公表したがらない、というところがあった。※アウトプットしない学者の場合、本人が没してから業績がわかることがある(タイプ的にはそのタイプに属するだろう)。
親のすねをかじる状態に…
優れた業績により、フィールズ賞を受賞したが、本人のこだわりにより辞退している。
2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して)を受賞したが、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞を辞退した。フィールズ賞の辞退は彼が初めてである
出典:グリゴリー・ペレルマン|ウィキペディア
これだけの大数学者にもかかわらず、母親の年金で暮らしているとされる(親のすねをかじる状態にある…)。超優秀だが、内向的でこだわりが強く、偏屈な人…というイメージだ。
もし彼が(社会との付き合い方において)自己流へのこだわりを捨てることができていれば…と考えざるを得ない。※学術的には、自己流へのこだわりが功を奏したのかもしれない。
光の当たらない人生になるだろう
それでも、ペレルマンのようなずば抜けて優れた人物の場合は、アウトプットの場が用意されるが、普通の人だったらどうだろう(直感的には、光の当たらない人生になると思う)。
内向的な人が自己流のこだわりに執着すると、会社のような組織の中では、どんどん沈んでいくのではないか?変わり者というレッテルを貼られ、アウトプットのチャンス自体が限られてくるような気がするがどうだろうか…。※アウトプットなしでは、まともに評価されないのだ。
このタイプの人が、組織の中で浮かび上がるのはむずかしいだろう。
内向的な人はアウトプットを増やしたい - サマリー
まとめ
内向的な人はアウトプットが苦手なので、そこを改善したい。
まず、自分の中で優先順位をはっきりさせることだ。よく耳にする使い古された、「百聞は一見にしかず」というフレーズから始まる言葉の教えを、自分なりによくかみしめてほしい。
インプット(聞く・見る) < 思考 < アウトプット < 成果を出すこと
多くの人の目的は、「成果を出すこと」だ。成果を出すためにアウトプットし、アウトプットするために思考する。そして、思考するためにインプット(聞く・見るなど)するのだ。
内向的な人は、インプットと思考を目的化してしまうことが多い。情報をかき集めて満足してしまったり、いろいろ考えるだけ考えて何も行動に移さない…ということがありがちだ。
内向的な人は、そこから抜け出さないと成果は出ない。
上述したように、「インプットとアウトプットの黄金比率」という記事で、3:7(インプット:アウトプット)をベースにして、ケースに応じてこのバランスを調節することのできる人が最強だと書いたが、内向的な人はその逆で、7:3がベースになっていると思う。
8:2ぐらいになっている人も多いのではないか?
アウトプットを増やすだけでいい
しかし…逆に言えば、内向的な人の場合、インプットは十分足りていると言える。
※彼らには、良質なアウトプットをするためのポテンシャルが、十二分にあるのだ。
準備はできている…ということだ。ただ、もったいないことに、そのポテンシャルを成果に結びつけることができていない。だから、内向的な人はアウトプットの割合を増やすべきなのだ。
そうは言っても、一気に増やすことはできないかもしれない(苦手なのでなかなかできない…だから苦労する)。だが、時間をかけて一歩一歩、インプットとアウトプットの割合を改善することは可能だ。あせらず悩まず、「自分比」で徐々に改善していけばいいだろう。
今回の記事:「内向的な人はアウトプットを増やしたい」