不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

後輩に先を越された…自分のモノサシを持てばいい

会社員をしていると、他人のモノサシによる評価が気になる。

上司や人事が自分をどう評価しているのか、かなり気になるのだ。

上司による人事評価に一喜一憂し、異動では、同期や後輩の動向を気にする。後輩が自分より先に昇進し、「あいつに先を越された…」と思うと、平常心を失い、頭に血が上ったりする。

しかし一方で、「そのような状態でいいのだろうか…」という疑問はある。自分のモノサシによる評価ではなく、他人のモノサシによる評価に振り回されていいのか…という疑問だ。

今回は、自分のモノサシを持てばいい、という話をしたい。

目次

他人のモノサシによる評価が気になる

他人のものさしによる評価を受けるシーン

他人の自分に対する評価が気になるのは、自然なことではあるが…

上司や人事が自分をどのように評価しているのだろうか…。このことが、気になって仕方がない。こういうタイプの人は伸びない。伸びないどころか、失速したり道を外すタイプである。

会社の昇進競争で、同期や後輩に先を越されてしまうと、深く失望する。失望というより、絶望の方が近いかもしれない。「どうしてあんな奴らが先に出世するんだ?」、「上司に媚びる奴らが出世するのか!」、「オレはダメだな…」、妬みや恨み、自己否定のオンパレードである。

他人のモノサシによる評価に失望する

その結果、「がんばっても仕方がない」、「評価されないなら、がんばる意味ないよね…」、「真面目にやるのがバカらしくなったわ…」、というネガティブな気持ちになり意気消沈する。

最近話題になったブログの記事に、後輩よりも自分の給与額が低い事実を知り、「会社に対する気持ちが冷めた…」という箇所があった。結局その方は、ほかの理由もあり退社に至るのだが、その気持ちはよくわかる。そのような事実を知れば、当然理不尽な思いを抱くだろう。

だが、その思いだけにとらわれてしまうと、会社をやめる以外の選択がなくなってしまう…とも感じる。感情的+視野が狭くなり、自分を追い詰めることにもなる…と思うのだ。

外的報酬目当てでは成果が出ない

他人のモノサシが気になる人は、どんな人なのだろうか。

他人のモノサシによる評価を気にしすぎる人は、「外的報酬」に重きを置く人だといえる。会社員の外的報酬とは、第三者(外部)の評価に基づいて決められる「給与や昇進」である。

外的報酬に重きを置く人は、成功しない。スティーブ・ジョブズはこう言っている。

お金が目当てで会社を始めて、成功させた人は見たことがない
出典:スティーブ・ジョブズ

※お金持ちになりたくて起業しても成功しない、ということだ。

起業家の外的報酬は、お金や名声になるだろうか。これらを重視する起業家は成功しない、ということだ。お金や名声は結果として後からついてくるもので、それを目的にしてはいけない、ということだろう。これは、起業家以外にも通用するある種の法則ではないか…と感じる。

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アンダーマイニング効果がある

子供たちに絵を描かせる、という社会実験がある。

Aグループの子供たちには絵を描くことに対し報酬を与え、Bグループの子供たちには好きに絵を描かせた。その実験後の子どもたちの様子を追跡して観察すると、Bグループの子供たちは変わらずに絵を描いたが、Aグループの子供たちは絵を描く意欲を失ったという。

この現象は、「アンダーマイニング効果」と呼ばれるものだ。

内発的に動機づけられた行為に対して、報酬を与えるなどの外発的動機づけを行うことによって、モチベーション(やる気)が低減する現象
出典:アンダーマイニング効果|ウィキペディア

※内発 ⇒ 外発になると、やる気が萎むのだ。

この社会実験からわかるのは、何かをやるときに、「外的報酬」を目的にしてはいけない、「外的報酬」を目的とするような仕組みを作ってはいけない、ということだ。

他人のモノサシで自分を評価すると…

他人のモノサシで自分を評価すると、一流にはなれない。

上司に評価されたり、昇進したら喜んで安堵する。「自分の努力が認められた!」など、うれしい気持ちはわかるが、他人のモノサシによる評価で一喜一憂する人は、大したことがない。

悪く言えば、他人に踊らされているだけなのだ。

※また、他人をモノサシにし、自分を測ってもダメだ。その相対的な結果に、一喜一憂しても仕方がない(井の中の蛙)。この場合も同様に、他人に踊らされる人になってしまうためだ。

一流の人は他人のモノサシによる評価を気にしない

一流の人は、晴れがましい舞台でも舞い上がったりはしない。

イチローは、記者会見の席で「フラッシュから目を守るために、なるべく帽子を深くかぶったり、目薬をさしたりする」そうだ。一流の人に共通することだが、晴れがましい席でも舞い上がる…ということがない。彼らの場合は、冷静に振舞う…というのが当たり前になっている。

一流の人が、「他人に踊らされて自分を見失う」ということはまずないのだ。

八風吹けども動ぜず

自分のモノサシをしっかり持てば、動ずることがなくなる。

大地にしっかり根を張ったような安定感のある人…そんな人があなたの周りにもいると思う。

自分のモノサシをしっかり持っているため、他人の動向に影響を受けることがないのだ。※「八風吹けども動ぜず」とは、いいことがあっても、悪いことがあっても、動じない…という意味だ。

一流の人は他人に評価されたからといって、舞い上がることもなければ、評価されなかったからといって、落ち込むこともない。メンタルの振れ幅が小さく、常に平常心を保つことができる。

安定は成果につながる

安定というのは、成果につながる。片道12キロの道のりを往復するとしよう。

行きは急いで6キロ/時、帰りは疲れたので4キロ/時とする。往復にかかる所要時間は2+3=5時間だ。行きも帰りも同じペースの5キロ/時の場合はどうか?2.4+2.4=4.8時間となり、最初のケースよりも所要時間が短くてすむ。

ブログを書いている人はわかると思うが、調子のいい時にガンガン書いて、その反動で書けなくなってしまう…ということがある。トータルで考えると、これはマイナスかもしれない。

安定は成果につながる。メンタルにかかわらず、何事も安定している方が強いのだ。

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まとめ

今回は、自分のモノサシを持った方がいい…というテーマで書いてみた。

ある程度、 他人のモノサシによる評価が気になるのは仕方がない。会社員であれば、人事や上司、同僚の自分に対する評価が気になるのはわかる。それはある意味、自然なことではある。

しかし、それを気にしすぎてはいないだろうか。他者の評価に振り回されていないか。その原因は、「自分のモノサシを持っていないからではないか?」というのが、本記事の問題提起だ。

他人の評価が気になって仕方がない、というタイプの人は伸びない。

まず、そこに自ら気が付くことだ。「他人の評価を気にする」というリソースの無駄使いは、やめた方がいいだろう(他人の評価を気にすると、集中力の低下にもつながる)。

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自分のモノサシを持つ人は強い

逆に、自分のモノサシを持っている人は強い。

他人の動向に踊らされることがなく、メンタルが安定しているためだ。そのタイプの人は、いつも平常心を保つことができるのだ。ちょっと身近にいる「できる人」を思い浮かべて欲しい。

勝って驕らず負けて腐らず、の安定した精神の持ち主ではないだろうか?逆に、「できない人」は他人に踊らされ、「勝って驕り負けて腐る」のである(明らかにダメな人だ)。

今回の記事:「自分のモノサシを持った方がいい」