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不器用な生き方をやめたい

無駄なプライドは捨てた方がいいんじゃない?

夢が叶う仕組みがある|強く願えば夢が叶うは本当か?

人生の法則!らしい

願えば夢が叶う、とよく言われる。

ビジネスや自己啓発系の本を読むと、「強く願えば夢が叶う」と書いていることがある。それらによると、ただ漠然と思うだけではダメで、ディティールまで緻密に考えて、夢が叶った状態を頭の中でリアルに想像する。それを習慣として続けることができれば、夢が叶うそうである。

この話は本当だろうか?それとも荒唐無稽の話なのだろうか。

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 夢が叶ったA子さん

たとえば、こんな話がある。

A子さんは、あるブランドの高価なバッグが欲しくてたまらなかった。しかし、まだ学生のA子さんには、とうてい手が届かない。A子さんは、いつもそのバッグのことを考え、それが自分のものになった後のことまで想像した。自分がそのバッグを持って歩いている姿をイメージし、その時のファッションやバッグからモノを出し入れする様子まで頭の中で鮮明に描いた。

これを日々続けたのである。

ある晩のこと。付き合いの一周年を記念して、彼氏がプレゼントをしてくれるという。普段気の利かない彼氏にしては珍しいことだ。大して期待せずに包装紙を破り箱を開けてみると、なんとA子さんが欲しかったあのバッグではないか!まさにドンピシャで夢のような話だ。

願いが通じた!強くリアルに願えば夢は叶うんだ!

せっかく盛り上がったところに冷や水をかけるようだが、私はこの手の話を基本的には信じない。「強く願うこと」と「夢が叶うこと」の間の因果関係が証明できないからだ

※因果関係の話についてはこちらを参照。

self-esteem.hatenablog.jp

それでも、この種の話について気になる点がある。以下、詳しく述べてみたい。

 夢の実現を助けてくれる可能性がある

人が自分の夢の実現を助けてくれる…ということがある。

上述のA子さんの例では、偶然という可能性もあるが、それよりも、彼氏がA子さんがそのバッグを欲しがっていることを知っていて、プレゼントした可能性が高い。A子さんが、「バッグが自分のものになった後のことまで毎日想像したこと」とは一見何の関係もないが、そのバッグが欲しいと(全身全霊で)彼氏に伝えていたために、プレゼントしてもらうことができたのだ。

※アピールが功を奏した、ということだ。

このように、心から強く願い、さらにその願いを周囲に伝えていれば(本気度を感じてもらうことが大事だが…)、その夢の実現を誰かが助けてくれる可能性が生じる。「人を助けたい」という、人の気持ちを刺激することができるからだ。※人には人を助けたい、という気持ちがある。

ここでは、強く願うというほかに、「人に(全身全霊で)伝える」という努力(情熱なども含む)が必要になる。その気持ちが人に届けば、人を動かすことができるかもしれない。

 ギャップを埋めようとする力が働く

もともと人には、理想と現実の間にあるギャップを埋めようとする性質がある。

たとえば、自分の欠点や上手くいかない現実を見たとき、がっかりすることがあると思う。劣等感を抱くこともあるだろう。そのときは落ち込むが、やがて「なんとかしたい」という気持ちが出てくるものだ。むずかしい言葉でいえば、「補償したい」という気持ちだ。

ナポレオンは、周囲の軍人と比べると背が低く貧弱な体格をしていたとされる。

かの皇帝ナポレオンは、自らの背が低いことに対して劣等感を持っていて、シークレットブーツを使用していたという逸話も残されています
出典:http://complex7.com/hikui-2-533

シークレットブーツを使用することも、ささやかな補償の手段ではあるが、ナポレオンの場合は、劣等感を権力を得ることで大きく補償した。「私の辞書に不可能という文字はない」という言葉で象徴されるように、「みじめな思い」を何とかしたいと思い、「強気」で補償したのだ。

・打ちひしがれた女子学生の話

もうひとつの例を紹介したい。打ちひしがれた女子学生の話だ。

以下は、社会心理学者のエイミー・カディさんによる講演だ。このTEDの講演は、「超」がつくほど有名な プレゼンだ。紹介したいのは、この中で語られるエピソードだ。

※ある女子学生の話だ。


Your Body Language Shapes Who You Are | Amy ...

ハーバードの大学院のクラスで、ひと言も発言できない女子学生がいた。

そのクラスを担当していたカディさんが、見かねて「(発言して)クラスに参加しないと落第するよ」と言ったところ、彼女は打ちひしがれた様子でカディさんの部屋にやってきてこう言った。

I am not supposed to be here. 私はここにいるべき人間ではない…

ハーバードの大学院だ。彼女のまわりは全米のみならず全世界から集まった秀才ばかり。しかも、コミュニケーション能力も高い。生まれながらにしてリーダーのようなクラスメートに囲まれて、彼女は萎縮し劣等感を抱いていたのだろう。そんな気持ちになるのも、無理はない。しかし、彼女はカディさんのアドバイスを受け、その後実力を発揮する、というエピソードだ。

満たされない自分、みじめな自分に気がついた後には、「劣等感」がやってくる。その劣等感にさいなまれ、負のエネルギーがどんどんたまる。逃げ場を失ったエネルギーはいつか爆発する。この爆発が補償(ギャップを埋めようとする力)になり得るのだ。

※ただし、間違った方向に爆発すると、悲惨なことになる。

すなわち、満たされない自分、みじめな自分に気づいて深く落ち込めば、それ以降の(上がるしかない)プロセスに乗る可能性があるということだ。上手く行けば、この女子学生のように、当初のみじめな状態から一転して成功する(夢がかなう)可能性がある。※女子学生はカディさんのアドバイスを受け、正しい方向に上手くエネルギーを爆発させることができたのだ。

 努力を努力と感じなくなることがある

まわりからみれば大変な努力でも、努力と感じなくなるケースもある。

あるメジャーなプロの歌手の話だが、彼女は幼い頃から「歌手になる」と決めていたという。「歌手になりたい」というよりは、自分は将来、歌手になるものだ、と思い込んでいたという。

歌手になるといっても、そう簡単なことではない。彼女はトレーニングをしながらオーディションを受け続け、その間には審査員から理不尽な批判をされたこともあるという。それでも、メンタルを折ることなくチャレンジし続けた。そして、巡ってきたチャンスを見事に掴むのである。

※チャンスをつかむ準備をし、その時を粘り強く待ったのだ。

傍から見ると大変な努力をして夢を叶えたように見えるが、彼女自身は努力を努力と思っていないフシがある。彼女の中では、自分が歌手になることが決まっていたため、困難な道でも、そこに至るまでのプロセスだ、としか考えていなかったのではないだろうか。

このように、強く願うことにより、努力を努力と感じなくなる可能性がある。その結果、人一倍努力することができ、それが成功につながる可能性があるのだ。

 「宝くじの一等に当選する」には無意味

ただし、これまで述べたことは、「宝くじの一等に当選する」といった類の夢に対しては無意味だ。どんなに熱意を持ってまわりにその夢を語っても、だれも助けることはできない。

また、「ギャップを埋めようとする力」も働かない。宝くじの一等に当選しないからといって、劣等感にさいなまれる人はいないし、なにより、本人の努力でどうこうできるものではないからだ。

もし、「宝くじの一等に当選する」ということを日々強く、リアルに願って、本当に当選した人がいても、「偶然ですね」と言うしかない。「強く願ったこと」と「当選したこと」の間の因果関係を証明することはできないし、相関関係であるかどうかも不明だからだ。

※この種のことを強く願っても、意味はない。

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 まとめ

強く願えば夢が叶うは本当なのか?という素朴な疑問からこの記事を書いた。私の結論は、この言葉を安易に否定することはできない…だ(夢が叶う仕組みはある)。

その理由として、1)人が夢の実現を助けてくれる可能性がある、2)ギャップを埋めようとする力が働く(補償)、3)人一倍努力できる可能性がある、という三点を挙げた。

今回は述べなかったが、このほかにも、自己のリソースを一点に集中させやすくなるから、ということがあるかもしれない。キリのように一点に力を込めると穴が開きやすいというものだ。

ただし、「宝くじの一等に当選する」といった類の夢に対しては無意味だ。

宝くじの一等に当選した人が、他の誰よりも当選を願っていた、という事実はないし、仮にそうであっても、単なる偶然だ。当選するかどうかは、純粋に確率の問題だからだ。

ここで、強く願えば「叶う夢」の条件が見えてくる。1)助けてくれる誰かがいる夢、または、2)自分の努力でなんとかなる夢、ということだ。片方だけ満たしても叶えることは可能だが、両方満たせば叶う確率が高くなるだろう。強く願えば夢が叶うかもしれない。

この力を信じて、試してみてはどうだろうか。