不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

媚びるのが嫌い・できない…媚びるのではなく気配りをする

いわゆる「媚びる人」について、どういう印象を持っているだろうか。

このタイプの人には、あまりいい印象を持っていない…という人が多いと思う。

媚びる人は嫌いだし、自分は媚びようと思っても、そんな不自然であざとい行動は苦手だし、媚びることが嫌いなのでできない(不器用な生き方しかできない)…という人も多いだろう。

では、「気を配る人」、「気遣いをする人」についてはどうだろうか。媚びる人とは逆に、いい印象を持っている…という人が多いのではないだろうか。そんな人になりたい、という人も多いだろう。

今回は、媚びるのではなく気配りをすればいい…ということを書いてみたい。

目次

媚びると気を配るは違う

媚びると気を配るは違う…というイメージ

人間関係に不器用な人というのは、上に対し「媚びる人」を忌み嫌う。

たとえば、上司に媚びる人物を軽蔑する。

もしかすると、自分が媚びることができないからそう思うのかもしれないが(この場合は嫉妬になる)、とにかく媚びる人を嫌う。「あいつは上司に媚びたから出世できたんだな…」という侮蔑の意味を含む考えが頭をめぐる。

ところが、自分に媚びる人は大好きだ(笑)。そこには大きな矛盾があるが、自分では気付いていないことが多い。自分を客観視できていないから、その矛盾に気付けないのだ。

媚びと気配りは似て非なるもの

それはさておき、媚びる人を真似て媚びろ、と言っているのではない。

「媚びる」と「気を配る」は似て非なるものだ。上司に気を配ったからといって、媚びることにはならない。「媚びなくてもいいが、気配りはした方がいい」というのが、本記事での主張だ。

※「媚び」は上下、「気配り」は対等だ。上下を意識すると媚びになる。

繊細さを生かせていない

人間関係に不器用な人は、実は繊細だったりする。

人間関係においても色々と考える。細かいことまで考えるのだ。

たとえば、今日のあの人の態度はちょっと変だったな…もしかすると、以前自分のとった態度が影響しているのだろうか…

今日、あの人にこう言ったけど、言い方がまずかったかな…嫌われたかもしれない、など、こうでああでと妄想を含め色々考えるが、(うじうじ考えるだけで)この思考を生かすことができない。

※せっかくの思考を生かせないのは、もったいないことだ。だから、不器用なのだ。

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自分本位で考えすぎていないか?

不器用な人は、自分本位で考えすぎていることがよくある。

人間関係に不器用な人は、上述のように色々思考をめぐらすが、その中で、自分が主体になりすぎるきらいがある。

今日、あの人にこう言ったけど、言い方がまずかったかな…という場合でも、自分にはこういう理由があって、あのような言い方をしたのだ、と自分を正当化し、とりあえず納得する。

相手がどういう気持ちだったのか…というところは、掘り下げて考えない。

不器用な人は、自己愛が強く自分大好きなのだ。

 

媚びるのが嫌いでいいから…

まずは人間関係のルールを守る

人間関係にはルールがある。このルールを軽視していないだろうか?

たとえば、時間を守る、適切な態度・言葉づかいで相手と接する、メールに対してキチンと返事をする、何かしてもらったらお礼を言う、などだ。

人間関係に不器用な人は、この基本的なことを守れない。(相手にされると不快に思うが、自分がやる場合は)形式的なことにこだわる必要はない、などと都合よく考え、ルールをおろそかにするのだ。

※自分本位だから、そのような思考になるのだ。

人間関係は相手があること

形式的なことにこだわる必要はない、というのは都合のいい思い込みにすぎない。

人間関係は、相手のあることだ。相手もそのような考えの持ち主であれば、それでいいのかもしれないが、実際はそうでないことの方が多い。なのでルールを軽視すると、対人関係において軋轢が生じることは必然だ。

※自己愛や自分本位が強すぎると、本道から逸脱しやすくなるのだ。

人間関係のルールを、軽視せずに守りたい。

他人に寛容になる

人間関係に不器用な人は、他人を見る目が厳しい。

意識せずとも批判的に見てしまうのだ。「自分を脅かす存在ではないか…」と警戒しながら観察するからかもしれないし、相手の欠点を見つけて「気持ちの上で優位に立ちたい…」と思っているのかもしれない。

しかし、このような批判的な視線は、人間関係を破壊する。

自分が同じように批判的な目で見られたら嫌なはずだが、過度の自己愛や自分本位のせいで、そこまで考えが及ばないのだ。まずは、自分がされて嫌なことは相手にもしない、を徹底したい。

自分本位の屁理屈で、自分の望ましくない行為を正当化するのはやめた方がいい。

要求水準を下げる

相手に対しては、要求水準を下げ、長所を積極的に評価したい。

それが「寛容になる」ということだ。他人に対して寛容になれば、今よりももっと人間関係が良くなり、生きやすくなるはずだ。マイルールを「なぎなた」のように頭の上でブンブン振り回し、相手を寄せ付けなかったり、傷つける必要はないのだ。※自分にも他人にも寛容になろう。

興味の視線をまわりの人に向ける

あなたのまわりにも、人がいると思う。会社に行けば、仲間がいるはずだ。

あなたは、その、まわりにいる人たちが今どんな気持ちなのか、考えたことがあるだろうか?

どのような精神状態にあるのか、考えたことがあるだろうか?気落ちしている人を見たとき、やさしい言葉をかけたことがあるだろうか?他人のことは自分には関係ないと、見て見ぬふりをしていないだろうか。

繊細な人は、本来このような思考が得意なはずである(行動は苦手だが…)。

ところが、不器用な人は、その思考の矢印が自分にしか向いていないため、まわりが見えなくなっているのだ。なので、少しでも意識して、興味の視線をまわりの人に向けてみたらどうか。

※まわりに関心を持つ、ということだ。

自分から与えればいい

自分が困っているとき、誰も何も助けてくれないのに、どうして自分が…と思うかもしれない。

※相手が助けてくれたら助けるけれど、自分からは積極的に助けない…という人が多いだろう。

以前、「情けは人のためならず」の意味をもっと考える、という記事で「与える」ことについて書いたが、信頼できる人に対しては、どんどん自分から与えればいいのだ。直感には反するかもしれないが、与えるのは損になる、と考えるのは間違いだ。

※ただし、信頼できる人に対しての話だ。エゴイストに与えてはいけない。

そうすることが、成功するための秘訣になる。

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気配りをすればいい - サマリー

まとめ

今回は、媚びるのではなく気配りをすればいい、ということを書いた。

※媚びることと気配りをすることは、似て非なるものだ。自分は人に媚びたくないから、媚びと誤解されるかもしれない気配りもしない、というのは間違いだ。

まず、人間関係に不器用な人は繊細だ。人間関係のことについてもあれこれ考えるが、その思考を生かすことができない。では、せっかくの思考を「なぜ生かせないのか」と考えると、自己愛、自分本位、自分大好き、というキーワードが浮かび上がる。

思考の方向が自分にしか向いていないため、残念な状況ができてしまうのだ

その状況を改善する方法は、以下の3つだ。

1)人間関係のルールを守る、
2)他人に寛容になる、
3)興味の視線をまわりの人に向ける

簡単にいえば、自分本位にならないこと(視野を狭くしないこと)だ

これらを言い換えれば、1)世の中の常識(慣習)を認め守る、2)他人にやさしくなる、3)まわりの人に気配りをする、ということだ。これらを意識して実践すれば、人間関係は確実に良くなるだろう。

30過ぎて、オレは不器用だから人間関係が上手く行かない…というのは、自分に対する言い訳だと思った方がいい。どうせ不器用なんだからこんな生き方しかできない、放っておいてくれ…と開き直るのも情けない話だ。言い訳をしたり開き直るのではなく、改善する努力をしたい。

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行動メモ:

媚びるのではなく、気配りをする。両者は似て非なる別物。

上下関係ではなく、人としてどうか…と思えば、気配りになる。

人間関係のルールを軽視しない(それには意味がある)。他人に寛容になる。他人に関心を持つ。自己愛はほどほどに抑える。自己愛の強さと他者への寛容さは、トレードオフになる。

※自己愛の強い人が、他人に対してやさしく寛容である…ということはまずない。

今回の記事:「媚びるのが嫌い・できない…媚びるのではなく気配りをする」