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高学歴なのに使えない・仕事ができない理由…想像力が足りない

前回の記事「高学歴なのになぜ仕事ができないのか?」の続きです。

高学歴なのに使えない・仕事ができない…というケースは、本人に何か大きな欠けがある。その欠けがボトルネックになり、本人のパフォーマンスを著しく低下させるという状態にある。

前回の記事では、高学歴なのに仕事ができない人達には、1)組織人として問題がある、2)仕事に対する考え方に問題がある、ということを書いた。今回は、その続きを書いてみたい。

目次

 

想像力が足りない

想像力が眠っている…

想像力が足りない人

仕事を遂行する上で、想像力が足りない、想像力を使えない・使わない人がいる。

話を聞くと教科書的な正論ばかりで、洞察やオリジナリティーがなく深みに欠ける、という人がいる。自分がよく知らないことに関して洞察しようと思えば、どうしても「想像力」が必要になるのだが、その想像力が足りないか、想像力を使う意思に欠けるか、(使う意思があっても)上手く使えないのだ。

相手のことを想像できない

どういう人がどう考えて、この商品を買うのか、サービスを利用するのか、

どうしてこんな質問をしてくるのか、その背景にはどんな心理があるのか…供給者サイドは、このようなことを(自分が消費者だったらと考え)リアルに想像しなければいけない。しかし、ほとんどできない人がいるのだ(恐らく、学歴と想像力の間には相関がないのだろう)。

薄いアウトプットになる

普段の私的な生活の中では、消費者であるはずなのに、供給者サイドに立つとその感覚を失ってしまう。

想像力を駆使できないために、物事を「今」自分が立っている場所からしか見ることができない。

能力は高いけれど、想像力がない…というタイプの人は、情報をフレームワークに落とし込んで整理&分析することはかなり得意だ。だが、想像力が足りないために、(大学院生がやる程度の)表面的な作業になってしまい、深みの欠けるアウトプットしか出せないのだ。

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事例研究で想像力は養えない

ビジネススクールでは、ケース・スタディ(事例研究)というものを行う。

事実をベースにして作ったストーリー(ノンフィクション)と実際の経済&経営の数値をベースにして、そのケース(事例)を分析&研究し、クラスで議論するというものだ。

私はケース・スタディを否定するつもりは毛頭ないが、ケース・スタディに足りないものはあると考えている。「創造的な商品やサービスを生み出す仕組みとプロセス」を学べない(そのような商品やサービスを生み出す力を養えない)ことと、上で述べたような「想像力を養えないこと」だ。

もちろん、既存の情報や結果の数字をみて分析したり、あれこれ議論する力や発表する力は養えるのだが、実際のビジネスにおいては、それだけでは(極めて)不十分なのだ。

一次情報を五感で獲得する

3Dアニメで有名なピクサーは、作品を制作する前に、制作スタッフを作品の舞台になる場所(または、参考になる場所)へ送り込むそうだ。

その目的は、一次情報を自分の五感で獲得し、そこから得たインスピレーションなどを作品に反映させることだ。コスト(時間とお金)がかかるため、なかなかできないことだが、そうすることで作品のクオリティがグッと上がるそうだ。

想像力を養うにはどうすればいいのか?というのは、難しい問いだが、一次情報を自分の五感で獲得する経験を積む、ということが、ひとつの答えになるのではないだろうか。

 

自分の頭で考えることが…

教科書をめくり答えを探す

自分の頭で考えることができない人も、仕事ができない。

どういう人かというと、すぐに教科書をめくって、答えを探してしまうタイプの人だ。

もちろん(非定型的な要素のある仕事でも)、ある問題に対し、教科書的なものがあって、そこに答えらしきものが載っていることもある。だが、それをそのまま答えとして採用するのでは、「剽窃」にすぎない。

自分の頭で考えることができない人は、このそのまんまの「剽窃」をやってしまうのだ。

この剽窃の何がよくないかというと、剽窃した本人が、「どのようなプロセスを経て、その結論が導かれたのか」という点について、ほとんど理解していないことだ。

根拠を自分で説明できない

剽窃の場合は、都合よく結論だけポンと右から左に持ってくるために、外形的には整っているように見えても、中身がスカスカだ。自分の理解や思考という中身が詰まっていないために、実が伴っていないのだ。

チーティング(カンニング)をして、ペーパーの試験では合格点を取ったが、口頭で試問してみると、サッパリ…というイメージだ。自分の頭で考えていないため、根拠の説明を求められても、上手く答えられない(要領を得ない答えしか返ってこない)。

これでは、「仕事ができない奴だ…」と思われても仕方がない(実際にできてもいない)。

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学んだことを鵜呑みには…

ある人の言葉に、「優れた学生は、教師から学んだことを鵜呑みにしない学生だ」というものがある。つまり、自分の頭で考える学生が、優れた学生だということだ。

学歴というのは、極端な言い方をすれば、「要領と記憶力+ある程度の努力」で獲得することが可能だ(もっと言えば、記憶力もテクニックだ)。したがって、(他者に教えてもらうことに慣れてしまい)自分の頭で考えないタイプの人は、高学歴であっても、仕事ができないのだ。

 

高学歴なのに使えない - サマリー

まとめ

高学歴なのになぜ仕事ができないのか?というテーマで二回に分けて書いた。

※ここで言う仕事とは、非定型的な要素のある仕事のこと。

二回分をまとめると、以下のようになる。

1.組織人として問題がある
2.仕事に対する考え方に問題がある
3.想像力が足りない
4.自分の頭で考えることができない

3番目の「想像力が足りない」について、補足してみたい。たとえば、ある会社が「経費を削減している」と噂で聞いたとしよう。あなたはそこで、何を想像するだろうか?

わたしであれば、噂になるぐらいだから、かなり大胆なことをやっているのだろう…したがって、費用に占める割合の大きい人件費などの固定費を削減しているのかな?と単純に考える。だが、想像力のある人は、ミクロの部分についても、鮮明にイメージするのだろうと思う。

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想像力を駆使して仮説を

たとえば、昼休みに消灯しだしたのではないか、残業を原則禁止して早朝出社シフトに変えたのではないか、コピーにかかる費用をチームまたは部門別の管理に変えたのではないか。

業務用のPCやスマホなどの使用期間を延ばしているのではないか、物品の購入申請が通りにくくなっているのではないか…など、現場レベルの仮説を、サクサクと立てることができるのだろうと思う。

想像力のある人は、未知の問題に対しても想像力を駆使し、仮説を立てることができる。その結果、行動が人より早くなり、それが成果につながる…ということがよくあるのだ。

想像力のない人が、漠然とした情報集めに勤しんでいる間に、想像力のある人はすでに(仮説検証のために)動き出している。このスピードの差が、成果の差になるのだ。いい仕事をしようと思えば、「分析脳」だけではダメで、人の情動に対する理解も含めた「想像力」が必要になるのだ

今回の記事:「高学歴なのに使えない・仕事ができない理由…想像力が足りない」