不器用な生き方をやめたい

無駄なプライドは捨てた方がいいんじゃない?

会話で「あいづち」を打たない人は損をしている

ときどき、会話で「あいづち」を打たない人がいる。

自分があいづちを打たなければ、相手は「こちらの話を聞いているのかな?」という感じで、こちらの様子をうかがうことになる。「なんであいづちを打たないのだろう?」、「どうして反応しないのかな?」と怪訝に思うこともあるだろう。そう考えれば、あいづちを打たないことは、(コミュニケーションにおいて)まずいことなのだ。今回は、あいづちについて書いてみたい。

 相槌がないと話しにくくなる

自分が話す立場に立てばわかると思うが、何人かで話している最中に、(自分の話に対し)「うなずかない」、「あいづちを打たない」、「表情を変えない(無表情)」という人がひとりでもいると、話しにくくなる。その結果、その人のことが気になりながらも、話しにくいので、その人を無視して話してしまう…ということになってしまう。

※人は明るく朗らかなものに惹かれる…というが、その縮図がこのシーンにも表れている。

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1対1の会話の場合は、逃げ場がない。そのタイプの人が相手だと、(話していても)居心地が悪いので、早々に会話を切り上げて、その場を立ち去る…ということになるだろう。

つまり、あいづちを上手く打てない(打たない)人は、コミュニケーションにおいて、損をしているのだ。その不器用さは、人間関係を構築する上で、障害になっていると言えるだろう

 不器用な人はあいづちが苦手

不器用な人は、あいづちを打つことが苦手だ。

不器用な人は、自分の感情を表に出すことを「良し」としないのだ。相手との関係性によっては、あいづちを打つことが「負け」だと感じることすらある。

相手のことを認めていなかったり、(相手の話に対し)批判する(否定する)気持ちが満々であれば、あいづちを打とうとはしない。あいづちを打てば、相手や相手の話を認めてしまうことになるからだ。※この場合は、不要なプライドを持っている、ということになるかもしれない。

・シャイだからあいづちを打てない…

シャイだからあいづちを打てない、という場合もある。

このタイプの人はシャイなので、人とコミュニケーションをとる(話す)こと自体が苦痛なのだ。どうしたらこの場から逃れることができるのか、相手に「コミュ障」だと思われていないだろうか…などのネガティブな(逃避)思考や自意識過剰の思考で頭が一杯になるため、あいづちを打つなどという高度な(?)テクを行使することができないのだ。※リソースをあいづちに割けなくなる。

あいづちを打つと、会話が長くなるので嫌だ…ということもある。

 あいづちは人の話を聞くということ

あいづちを打つということは、相手を受け入れ、相手の話を聞くということだ。

相手あるいは相手の話に好意(または興味)を持っていなければ、適切なあいづちを打つことはできない。最初にも少し述べたが、相手のことが嫌いであれば、あいづちは打たない(打つ気になれない)。普通の人は、相手または、相手の話を肯定する気にならなければ、あいづちを打つことができないのだ。

※相手に好意を持っていても、相手の話に興味がなければ、あいづちを打っても「ふーん」などの、テキトーなあいづちになってしまうことがある。その話を広げたり、深めるつもりがないからだ。

・討論番組でのあいづち

余談だが、討論番組などで、出演者の意見が対立する場合がある。

そのとき私は、両者が相手の(自分の意見とは違う)話に対し、あいづちを打つかどうか観察している。ほとんどの場合は、あいづちを打たないか、打っても軽いあいづちに終わる。

だが、まれに適切なあいづちを打つ人がいる。この場合は、相手の話をあらかじめ想定しているか(読みどおりだ、ということでうなづいている)、抜かれる自分の画を気にしているか、コミュニケーション能力が(ある意味)ずば抜けて高いのか、のどれかだろう。

 あいづちの適切なタイミングとは

あいづちを入れるタイミングとしては、「早すぎず遅すぎず」になるのだろうが、これではわかりにくい。はっきりわかるタイミングがあれば、便利だ。

ひとつの適切なタイミングとして、「相手がこちらに目線を向けたとき」がある

人は考えながら話すとき、目線を聞き手の顔から逸らして話す。

何かを思い出したり、考えをまとめながら話すためそうなるのだが、その数秒間の作業が終わって、とりあえずの結論に近づくと、相手の顔に視線を向ける。何かを思い出したり、考えをまとめる作業(脳内メモリ( or ハードディスク)とのやりとり)をしなくてよくなるためだ。

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・相手のニーズに合わせる

そのときには、自分の話を「理解してほしい」とか、「共感してほしい」という気持ちが膨らんでいる。つまり、相手のあいづちに対するニーズが高まったときに、それを満たす形であいづちを打てばいいのだ

または、話し手が「自分の話は伝わっているのだろうか…」と不安になり、聞き手の顔を見ることがある。そのときも、相手のあいづちに対するニーズが高まっていると言える。なので同様に、それを満たす形であいづちを打てばいいのだ。

つまり、効果的にあいづちを使いたいのであれば、話し手のあいづちに対するニーズを見極めて、あいづちを打てばいいのだ。逆に相手の話のペースを乱したいのであれば、相手のニーズがあるときにスルーし、相手のニーズがないときに打てばいい(笑)。

 間違ったあいづち

あいづちは打てばいい、というものではなく、間違ったあいづちもある。

ひとつは、上で述べたように、タイミングを間違えたあいづちだ。

あいづちのタイミングを間違えると、相手が話しづらくなったり、(ひどい場合は)話の腰を折ってしまう場合もある。あくまでも話し手のニーズを考えて、話し手がうなずいてほしいと思うタイミングで、あいづちを打つことが大事だ。

もうひとつは、変化のないワンパターンのあいづちだ

同じようなあいづちを単調に続けると、話し手は、「この人は話を聞いているのだろうか?」という気持ちになってくる。「事務的に(仕方なく)あいづちを返しているだけなのではないか?」と思ってしまうのだ。深読みする人であれば、「話を早く終わらせろということか?」と思うかもしれない。

・相手の意欲を削ぐあいづち

さらに、相手の話す意欲を削ぐようなあいづちだ。

「あぁ」、「あっそう」、「ふーん」、などのあいづちだ。相手にされると、好ましくないことがわかるが、自分ではついやりそうになってしまうあいづちだ(男性がやりがちだ)。

さらに、相手の話に同意するとき、「そうですね」、「そのとおりですね」、というあいづちを打つことがある。これらのあいづちであれば問題ないが、「まぁ、そうですね」、「まぁ、そうかもしれませんね」、と言えば、極めて弱い同意になる。その場合、相手によっては、「何か含みがあるのか?」、「小バカにしているのか?」、「言いたいことがあるならハッキリ言えよ」、とイラつかれる場合もある。簡単に相槌(あいづち)と言うが、あいづちは奥が深いものなのだ。

 まとめ

今回は、会話における「あいづち」について書いてみた。

会話を盛り上げようと思えば、適切なあいづちを使うことが必要になる。適切なあいづちを使える人は、人間関係が良好になるなどのメリットを享受できるため、得をすることになるが、そうでなかったり、あいづちを打たない人は、逆に損をすることになる

あなたのまわりにいる人を思い出してほしい。多くの人と良好な人間関係を築いている人は、あいづちが上手なはずだ。逆に、人間関係が限定されている…という人は、あいづちが下手なはずだ。あいづちが下手な人は、人間関係の相互依存からのメリットを享受できないため、損をすることになる。

不器用な人は、あいづちのスキルを磨きたい。