読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

不器用な生き方をやめたい

無駄なプライドは捨てた方がいいんじゃない?

努力は必ず報われる…は嘘です|頑張っても報われないことはある

人生の法則!らしい

努力については、以前にも書いたことがある。

self-esteem.hatenablog.jp

ポイントは、間違った努力ではなく、正しい努力をする、ということだ(間違った努力は報われないが、正しい努力は報われる可能性が高い)。そのためには、間違った努力とはどういうものなのか、よく理解しておく必要がある(間違った努力をしてはいけない)。

今回は、自分をスポイルする無駄な努力について書いてみたい。

スポンサーリンク
?

 

 無駄な努力とは?

努力の中には、「無駄な努力」に分類されるものがある。

無駄な努力とは、簡単にいえば、効用がさほど期待できない努力のことだ。

以前、ツイッターのフォロワーを増やす努力をしたことがある。フォロワーを増やせばそれだけ影響力が大きくなるのでは…と思ったからだ。目標を立ててその目標を達成したのだが、思ったほどの効果はなかった。影響力を増す目的の場合、フォロワーは、ただ単純に増やせばいい…というものではないのだ。この努力は、自分的には無駄な努力であった(笑)。

人の人生が、自己のリソースの使い方により決まるとすれば、「無駄な努力」にリソースを充てる人は、成功とは縁のない人生になる可能性が高い。この点は、よく理解しておく必要がある。

 方向を間違えた努力

方向を間違えた努力、というものがある。

目的を達成するために、あまり役に立たない努力のことだ。

たとえば、「英語で会話ができるようになること」を目的としよう。

英語で会話をするためには、語彙力が必須だ。なので、受験のときに使った英語の単語書を使って、英単語を勉強しよう…そう考えて、1日数ページと決めて、英単語を勉強する。これは、(間違いとは言わないが)方向のズレた努力だ。

受験用の単語書というのは、受験のための参考書であり、英会話のためのものではない。普通の英会話に出てくる単語や熟語というのは、かなり限られるが、それ以外のもの(会話にはまず出てこないようなもの)が相当含まれている。

時間の限られた社会人が、「英語で会話ができるようになること」を目的として、単語などを勉強するのであれば、会話でよく使われる単語・熟語をまとめた書をベースに学習すべきだろう。この方法であれば、目的の方向に真っ直ぐ伸びる努力になる。

 誤った目標に基づく努力

また、誤った目標に基づく努力というものがある。

以前、ある民間の資格を取ったことがある。その資格をとるために、それなりの時間と労力を費やしたが、今はその資格を放棄した。資格を維持するためのコストが、(リターンに比べ)かなり高いためだ。※資格ビジネスになっている。

当時はその資格を取ることを目標にして努力したのだが、今となっては、その目標設定自体が間違っていたのでは?という疑問がある。誤った目標を掲げてしまうと、それを実現するための努力は無駄になってしまうのだ。※全部が無駄とはいわないが、多くが無駄になる、ということだ。

 好みと一致しない努力

自分の嗜好と一致しない努力も無駄になりやすい。

好みと一致しない努力とは、好きでもないのにやる努力のことだ。業務命令だから、生活のためだから…など、理由はいろいろあると思うが、仕事をする上では、好きではないことを強いられることがある。勉強でもそうだが、嫌々やる努力には無駄が多い。嫌だ、嫌いだ、苦手だと思っているので、努力していても身が入らないのだ。※嫌々努力をしても、脳が活性化しないのだろう。

この場合は、スパッとやめるか、なんとか面白味を見つけて、好きになるしかない。

 完璧主義に基づく努力

完璧主義に基づく努力は、無駄な努力になりやすい。

完璧主義者は、求められてもいないのに、それ以上のことをやってしまうためだ。私は、順位に固執し、ガリ勉で学年1位をとる子供は、社会に出てから(期待されるほどは)伸びないと思う。順位が学年10位でも、ガリ勉の時間を別の有意義な活動に使う子供の方が将来伸びるだろう。

完璧を目指せば、かかるコストが膨大になるのだ。完璧を目指せば目指すほど、かかるコストが指数関数的に増えるというイメージだ。はたして、そのコストに見合うだけのリターンがあるのだろうか?

出典:完璧主義は害の方が大きい

 80点で合格するのであれば、85点~90点を取れるように努力すればいいのだ。何が何でも100点を取りに行く必要は全くない。このことは、以前の記事で述べたとおりだ。

 アウトプットしない努力

アウトプットしない努力には意味がない。

ビジネススクールでは、ケース・スタディ(事例研究)というものがある。ケース・スタディとは、事実をベースにして作ったストーリー(ノンフィクション)と実際の経済&経営の数値をベースにして、そのケース(事例)を分析&研究し、クラスで議論するというものだ。

クラスが始まるまでに、ケースを読み込んで、内容を整理し、自分なりの分析や洞察を加え、クラスで発言するネタをあたためておく必要がある。議論を通じてクラスに貢献しようと思えば、相当な事前準備が必要だ。この大変な準備をバッチリやっても、クラスで議論に参加できなければ(アウトプットできなければ)、何の意味もない。つまり、その事前準備は無駄な努力に終わる、ということだ。

無理に考えれば、そのとき行った分析や洞察が(汎用的に)別のケースでも使える…ということがあるかもしれないが、さすがにちょっと無理がある(笑)。※会社の会議などでも同じだ。

スポンサーリンク
?

 

 人に助けを求められないために生じる努力

人に助けを求められないために生じる努力がある。

self-esteem.hatenablog.jp

会社などにおけるグループワークは、「助け合い」がベースになっている。

それぞれの特長を生かして仕事をすれば、業務の効率を最適化でき、組織の利益を最大化できる、ということだ。なので、助け合いの輪の中に入れず、(その必要がないにもかかわらず)仕事を自己完結しようとする人は、(組織の中では)「できない人」ということになる。

なんでもかんでも自分でやろうとするのは、得策ではない。

コミュニケーションが嫌だからとか、不要なプライドがあるからだとか、いろいろ理由があるとは思うが…人に助けを求められない人は、無駄な努力をしがちである、ということは理解しておいた方がいい。そのことにより、自分の時間や労力が無駄になっていることに気づきたい。

 相対的に劣る努力

自分は努力だと思っていても、客観的にみれば大した努力ではない、というものがある。

たとえば、「土日で1時間ぐらい、業務に必要な勉強をしています」という人がいるとしよう。彼は自分なりに休みの時間を割いて、仕事のために努力をしている、と思っている。たしかに努力には違いない。だが、職場の同僚の多くが、2~3時間同様の勉強をしていたらどうだろうか?彼の努力は無駄な努力ではないが、報われる努力でもない可能性が高い。まわりとの比較で、少ない努力であれば、努力をしていても後退する可能性があるのだ

 まとめ

今回は、無駄な努力について書いてみた。

1)方向を間違えた努力、2)誤った目標に基づく努力、3)好みと一致しない努力、4)完璧主義に基づく努力、5)アウトプットしない努力、6)人に助けを求められないために生じる努力、7)相対的な努力、の7つだ。自分は努力をしているのに報われない…と感じるのであれば、無駄な努力をしている可能性がある。そんなときは、一度立ち止まって、考えることが必要になる。

努力の空回りは、避けた方がいい。