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不器用な生き方をやめたい

無駄なプライドは捨てた方がいいんじゃない?

白鵬の問題を「ダメ押し」してみる

時事書評・スポーツ

白鵬が千秋楽の大一番で変化して勝った問題。

白鵬の大一番での「変化勝ち」については、賛否両論あるようで、このテーマを話題にしたブログの記事も一通り出揃ったようだ。※賛否両論あるのは、当たり前のことだ。

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当初はこの問題について書くつもりはなかったが、(あえて逆張りしているのかもしれないが)「賛」の方の意見が結構あるようなので、「否」の立場からその理由を書いてみたい。

 「賛」の方の意見

「賛」の方の意見だが、わかる部分もあれば、そうでない部分もある。

※あの変化をOKとする意見は、あっていいと思う。

これは、「他の競技でもよくあること」として書かれていることだが、

たとえば柔道。
技をかけ合って戦うというのが普通でしょうが、中には返し技で勝とうとするひともいます。すなわち自分からは技をかけず、相手のミスを狙っていくというスタイル。
こういうのはあんまりいい目で見られません。
出典:村紗カイの日記

柔道の返し技がいい目でみられない、ということはないと思う。

私は柔道をやっていた時期があるが、その間、柔道の返し技がいい目で見られない、という話は聞いたことがない。柔道の返し技というのは、ボクシングでいえばカウンターパンチに当たる。かなり高度な技なのだ。返し技を決めた人に対し、「上手いな」、「狙っていたな」とは思うが、「セコイな」、「安易に勝ちに行ったな」とは思わない。

また、「相手のミスを狙って」というが、「一瞬のスキを狙って」というイメージの方が近い。※ボクシングでもそうだが、攻撃をかけると(一瞬だが)スキが生じるのだ。

自分からは攻撃しない受け身のスタイルが(消極的なので)いい目でみられない、という主旨なのかもしれない。※相手のミスを狙うことは、普通のことだと思う。

 将棋の一件

また、「他の競技でもよくあること」と言うが、本当にそうなのだろうか?

よく考えてみると、ひとつ思い当たる事例があった。

将棋の電王戦であった一件だ。

この一件は、以下のサイトに顛末が載っている。

www.huffingtonpost.jp

簡単に言うと、プロ棋士が将棋ソフトのバグを利用して勝った、ということだ。

そのバグは対戦前から知られていたもので、バグを突く手を指せば勝てる、ということがあらかじめわかっていた。※バグを修正してはいけない、というルールがあったため、(将棋ソフトの開発者は)バグのことを知っていても修正することができなかった。

このときも騒ぎになった。その勝ち方は、プロ棋士としてどうなの?という話だ。※将棋ソフトの開発者は(まだ序盤だったが)その手をみて、あっさり投了してしまった。

将棋関係者の声としては、勝つことを優先したプロ棋士を擁護する声が多かったと記憶しているが、ある現役の棋士が、勝負に勝つことと観戦者の期待に応えることのバランスを考えなければいけない、という主旨の発言をしていた。

関係者としては、勇気のある発言だ。私はその意見に賛成する(後述する)。

私が思い当たるのは、この一件ぐらいだ。

「千秋楽の大一番で変化して勝つ」レベルの話が、よくあるとは思えない。あまりないから、騒ぎになるのだ。※大相撲の放送で、あれだけのブーイング(やじ)を聞いたのは初めてだ。

もしよくあるのであれば、レベルの違う話だと思う。

 変化は技術なのか?

変化なども技術なのだから、目くじら立てずに楽しんだ方がいい、という主旨だ。

でも変化だって立派な技術なんだよなぁ。
出典:白鵬の使う変化や猫だましも、立派な技術として見てほしい

たしかに、この方が後段で書かれている、「内無双」については立派な技術だと思う。※「内無双」は、誰にでもできる技、というわけではない。「変化」とは意を異にすると思う。

「変化を楽しめるか?」と問われると難しい。

相手に悟られないための所作、手のつき方、立ち合いのタイミング、手の出し方、身体の開き方、足の運び方など細かい点を考えれば、変化も技術には違いないが、それは一般の観戦者に伝わりにくい技術だ。どこがどう上手くて変化が決まったのか、というスロー画面を使った細かい解説がなければ、楽しむのは無理だろう。

楽しめるとすれば、変化の技術ではなく、シチュエーションだ。

弱い力士が強い力士に変化で勝つ、小兵力士が大きい力士に変化で勝つ、これらは、技術というよりは、シチュエーションに面白味(意外性)があるので、楽しめるのだ。

※その証拠に、逆の場合は全然おもしろく感じない。

 興行という視点が抜けている

「賛」の方の意見には、興行という視点が抜けていると思う。

大相撲はスポーツ競技ではあるが、興行だ。※神事とリンクした歴史ある興行だ。

横綱の土俵入りや、そのほかの関取衆が化粧まわしをつけて土俵入りしたり、千秋楽には三役揃い踏みもある。審判(行司)が、主役のようなきらびやかな衣装をまとって差配する、というのは、相撲ならではだろう。相撲はあくまでも興行なのだ。

大相撲は興行であり、白鵬はプロです。プロである以上、選手(力士)は、観客が求めるものを提供しなければいけません。究極的には「勝つ」よりも「相撲を見せることで観客を楽しませる」ことが目的です。
出典:スポーツ興行でルールより優先されるもの

大相撲が興行として成立しなければ、勝ち負けには意味がないのだ。

なので、「勝ち負けがすべて」ということではない。

先に、ある現役の棋士が、勝負に勝つことと観戦者の期待に応えることのバランスを考えなければいけない、という主旨の発言をした、と書いたが、まさしくそのとおりで、プロであるならば、両者のバランスを考える必要があるのだ。

観戦者の期待に応えながら勝負に勝つ、という道をそれぞれのレベルで模索すべきだ

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私は平日の優勝のかからない一番で、横綱が変化して勝つことに対しては、まぁ好ましくはないけれど、仕方がないかな…という立場だ。このようなケースは、かつての日本人横綱でもあったと思う。

だが、千秋楽の大一番でこれをやってはいけない。

「顧客を満足させる行為」とは、真逆の行為だからだ。※千秋楽の大一番というのは、最も注目度の高い取り組みだ。ここで、そのような行為を行ってはいけない。

白鵬が優勝賜杯を受け取るころには、館内はガラガラだったそうだ。※いつもはテレビで表彰式までみるけれど、今回はみなかった…という人も多いのではないだろうか。

表彰式で土俵に現れた白鵬に観客は「勝てば何でもええんか!」「恥を知れ!」「変わり身はやめろ!」などといったヤジが飛んだ。優勝インタビューでマイクを向けられた白鵬はそれをじっと聞いていて言葉が出なくなった。
出典:JCASTニュース

長く大相撲をみているが、(表彰式での)このような辛辣なヤジは初めて聞いた。

 エゴイストと見られる可能性がある

白鵬は「とにかく自分が勝てばいい」と考えている、と思われても仕方がない。

ここで「変化」を選択する必然性が薄いからだ。※ケガでもしていれば別だが…

白鵬は千秋楽の前日まで、ギアを上げて非常にいい相撲を取っていた。対する日馬富士は、どちらかというと怪我もあり(優勝争いに絡めず)精彩を欠いていた方だろう。ここまでの相撲内容やモチベーションを考えると、普通に取れば白鵬が勝った可能性が高い。

※仮に負けたとしても、決定戦に勝てば優勝。

もちろん勝負に絶対はないし、勝てるときに勝つ、というのが勝負の鉄則だ。だが、この保険のかかったシチュエーションで、大横綱があえて「変化」を選択したところに、ガッカリ感があるのだ。※自己利益の獲得に、バランスが傾き過ぎたと思う。

エゴイストは好感を持たれない、これは確かなことだ。

 まとめ

今回は、白鵬が大一番で変化した問題について書いた。

このことから思うのは、自分の利益を考えすぎてはいけない、ということだ。ビジネスを回す立場であれば、顧客や従業員、出資者やビジネスパートナーの利益もよく考える必要がある。そして、自分が喜ぶことばかりではなく、「相手が喜ぶことをする」ということを考えなければいけない。

私たちは、自分ひとりの力で相撲を取っているわけではないのだ。