不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

次善の策をとればいい|最善策でなくてもいい

最善の選択をしたい…と思うのは、自然なことだ。

だが、最善策をとりたいと思っても、そうは問屋が卸さない…というケースがある。

自分がコントロールできること(生活習慣など)でもそうなのだから、相手があることで、常に最善策をとる、ということは不可能に近い。なので、次善の策をとることが、どうしても必要になるのだ。

※次善の策の組み合わせが、最善策と遜色のない結果を導く…ということもある。

今回は、「次善の策をとること」について書いてみたい。

目次

最善策をとれない

大坂冬の陣での、真田信繁(幸村)のエピソードだ。

大坂冬の陣」で幸村は、籠城(ろうじょう)案に反対し、徳川勢を迎え撃つことを主張した。※大坂方の権力者たちは、大坂城に対する絶対の自信からか籠城案を支持していた。この案を浪人たちが支持していた、という事実に注目したい。


幸村の迎撃案が浪人たちから賛同を得ていることを考えると、彼らが納得できる合理的な戦術だったと思われる。また、幸村は新参者であり、かつ疑われる立場であった(兄の信之が徳川方についているため)が、それでも、彼らが幸村の案を支持したということは、 幸村の能力を認め信頼していたと考えられる。


しかし、大坂城内のパワーバランスの結果、この案は採用されずに終わってしまう。
東軍の間者(スパイ)である小幡景憲が籠城に賛同していることから、徳川は幸村の迎撃策が嫌だったことがわかる。※援軍の来ない籠城策は、籠城する側にとって未来のない策になる。 幸村の真の狙いは、相手の戦力が整わないうちに戦いを挑み緒戦を飾ることで、豊臣につこうかどうか迷っている勢力の後押しをすることだった。(歴史に if はないが)もし、幸村の案が採用されていれば、この狙いが当たり、その後の状況が変わっていたかもしれない。
出典:家康を追い詰めた真田幸村のすごさ#2

真田信繁は、大坂冬の陣で籠城(ろうじょう)案ではなく、徳川勢を迎え撃つ案を主張した。

この主張に大坂方の浪人衆も賛同し支持したが、大坂城内のパワーバランスの結果、この案は採用されずに終わってしまう。真田信繁は、この城外での迎撃案が最善だと知っていたが、結局、「最善の策」をとることはできなかった。※相手があると、こうなるケースは普通にあるのだ…。

※東軍の間者(スパイ)の動きからも、最善であったことが裏付けられる。

人生ではよくあること

たとえ、「これが最善の道だ」とわかっていても、その道を歩めないことは普通にある。

受験に失敗して、希望した学校に入ることができない、入社試験に落ちて、希望した会社に入ることができない、告白に失敗して、好きな相手と付き合えない…などいろいろあるだろう。

最善を目指して、努力することはいいことだ。なので、もちろん最善を目指せばいいのだが、最善の道を常に選ぶ…ということは、実際問題としてはなかなかむずかしい(実際は不可能だ)。なので、そのことは頭に入れておく必要があり、最善を失った場合に備える必要もあるのだ

※相手がある以上、最善策をとれないケースは多々ある。

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柔軟な人になれる

以前、「もっと柔軟な人になる方法4つ」という記事を書いた。

その中で、柔軟な人になるためには、

1)一歩引いて俯瞰する、2)(視点などを)切り替える、3)リトライする、4)ユーモアを持つ、ことが大事だとした。※そのときは、柔軟な人になるための手段が4つある、とした。

ここにひとつ、「次善の策をとる」という項目を付け加えたいと思う

最善に固執してはいけない

柔軟性に欠ける人は、自分が最善だと思う道に固執する。

たとえば、社内で意見が対立したとしよう。そして、柔軟性に欠ける人の意見が、(最終的に)上司に却下されたとする。そんなとき、柔軟性に欠ける人は、他責の思考になり、「なぜわからないのか?」、「上司がバカだから、自分の意見が却下された」と思う。その気持ちはとてもよくわかるが(笑)、そこで終わってしまっては、ただの柔軟性に欠ける頑固な人に成り下がる。

次善の策を模索できる人は…

そんなとき、「自分の意見は間違っていないが、今の自分に足りないものがあるため(信頼性、影響力など)、意見が通らなかったのだ」と自責思考で考え、「次善の策」に切り替えることのできる人が、柔軟性のある人だ。※プランBを用意しておき、それに切り替える、ということだ。

たとえば、最善策を却下された信繁がどうしたかというと…

幸村は最善の策を却下されて、本当に失望したと思う。
消極的な大坂方の権力者に対し、「わかっていないな…」と思ったはずだ。徳川に勝てる見込みのある唯一の策が、幸村の迎撃策だったからだ。※秀吉による小田原征伐のようなもので、(幸村には)籠城策では勝てないことがわかっていた。
しかし、幸村のすごいところは、すぐに気持ちを切り替えて、「次善の策」を模索したところだ


実は大阪城には、秀吉も悩んだ弱点があった。
大坂城三の丸の南側、玉造口外だ。ここを責められると、堅牢な大阪城も比較的弱い。この弱点をなんとかすべく、幸村は「真田丸」と呼ばれる三日月形の砦(とりで)を築くことにした。ここを拠点として大軍相手に善戦し、相手に予想以上の損害を与えることで、何らかの活路を見いだせるかもしれない…と考えたのだ
出典:家康を追い詰めた真田幸村のすごさ#2

つかの間の失望後…すぐに気持ちを切り替えて、「次善の策」を模索した。

その結果が、真田丸の構築だ。真田信繁はこの真田丸を拠点にし、歴史に残る奮闘をすることになる。つまり、次善の策を採用しても、全力を尽くせば結果を出すことができるのだ。

すっぱい葡萄でOK?

では頑固な人が、スムーズに「次善の策」に移行するには、どうしたらいいのだろうか。

「すっぱい葡萄」という寓話がある。

キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。
出典:すっぱい葡萄 - Wikipedia

この話の解説は、以下のとおりだ。

手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を「価値がない・低級で自分にふさわしくない」ものとみてあきらめ、心の平安を得る。フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする。また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語である。
出典:すっぱい葡萄 - Wikipedia

最善の道をある意味おとしめることにより、心の平安を得る、ということだ。

※つまり、ただの負け惜しみだ(笑)。

このような負け惜しみは、本来好ましくないことかもしれないが(事実、好ましくないだろう)、「次善の策」に気持ちを切り替えるためには、有効な手段のひとつかもしれない。どうしても、気持ちの切り替えができない…というときは、すっぱい葡萄を使えばいいだろう。

※すっぱい葡萄を劇薬として使えばいい。

理由があるとする

すっぱい葡萄よりもベターなのが、「理由がある」とする考え方だ。

受験に失敗したことには理由がある、入社試験に落ちたことには理由がある、告白が失敗したことには理由がある…ということだ。結果にはそれを導く理由があるので、その理由を考えればいい

上で、「自分の意見は間違っていないが、今の自分に足りないものがあるため(信頼性、影響力など)、意見が通らなかったのだ」と述べたが、こう考えることも、理由を考えることだ。理由を考えたら、結果をやんわりと受け入れることだ。そうか…と思えば、結果を受け入れられるはずだ。

次善の策から道が開ける

次善の策から道が開けることは、普通にある。

最善策をとれなかったから、もうダメだ…ということではないのだ。

※もうダメだ…と思ったら、道は開けない。

そして、付け加えるならば、世の中不思議なもので、「次善の策」で頑張っているとき、以前自分が期待していたポストを凌ぐお鉢が回ってくることがある。これだから、世の中、何が良くて、何が悪いのかわからないのである。
出典:次善の策を講じる

人間万事塞翁が馬」ということだ。

人間万事塞翁が馬とは、人生には浮き沈みがあり、(事前に予想できるものではなく)思いがけず、陰転、陽転するものだ、という意味だ。そこから、物事や出来事に一喜一憂すべきではない、という教えを引き出すことができる。


最初に、年下や後輩が自分の上司になったときの例を挙げたが、その後、どのような展開になるのかは、誰にもわからない。また、社内で左遷のような異動を命じられても、その後、どのような展開になるのかは、誰にもわからない(そのような状態から頂上を極めた人もいる)。苦しいときでもチャンスを待って、そのときのために準備をしていれば、逆転の目は十分にあるのだ


唯一はっきりしていることは、人生には浮き沈みがある、ということだ。そうであれば、一時の感情で重大な決断をするのではなく、長い目で見て判断する必要があるのだ。
出典:プライドの高い人がプライドを捨てる方法

※人生は思いがけず、陰転・陽転する。

はっきりしていることは、1)人生には浮き沈みがある、2)長い目で見た方がいい、3)現状を嘆いては未来がない、ということだ。※人生には浮き沈みがあるので、長い目で見た方がいい。

3)現状を嘆いては未来がない、について少し説明すると、「こんな会社に就職するはずではなかった…」と思いながら嫌々仕事をする場合と、「こんな自分を拾ってくれてありがたいな…」と思い仕事に励む場合があれば、前者のケースに該当する人にはロクな未来がない、ということだ。

次善の策からでも立派な道が開ける…ということを肝に銘じておきたい。

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次善の策をとればいい - サマリー

まとめ

今回は、次善の策をとればいい、ということを書いた。

自分が最善と思う道はある。それが本当に最善なのか、そうでないのかはわからない。

だが、「最善の道を進めない」と感じたら、失望するだろう。はっきりしていることは、その失望を引きずって「取り返しのつかない失敗をした」、「自分は終わった…」と思っているとロクな未来がない、未来が開けない、ということだ。※開くはずの未来も開かなくなってしまう。

人生で最善の選択ばかりできる人はいない。そして、それが本当に最善だったかどうかは、わからないのだ。そうであれば、次善の策を胸を張って選択すればいい。そしてその選択を、「最善の選択だった」と思えるように努力すればいいのだ。※人生では、「二枚腰」が必要なのだ。

次善の選択が、結果的に当初最善だと思った選択を上回ることはごく普通にあることだ。

今回の記事:「次善の策をとればいい」