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不器用な生き方をやめたい

無駄なプライドは捨てた方がいいんじゃない?

教養を身につける方法

教養を身につけたい…と思ったことがないだろうか。

人としてのレベルを上げるために、教養を身につけたいが、その方法がわからない、知識を身につけることと、教養を身につけることの違いがよくわからない…という人もいるだろう。

今回は、教養を身につける方法について書いてみたい。

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 教養とは

まず、教養の意味からハッキリさせておこう。

教養とは、個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体ということができる。 教養は、知的な側面のみならず、社会規範意識と倫理性、感性と美意識、主体的に行動する力、バランス感覚、体力や精神力などを含めた総体的な概念としてとらえるべきものである。
出典:第2章 新しい時代に求められる教養とは何か

教養とは、ものの見方、考え方、価値観の総体ということらしい。

そして、知識や知恵を獲得する過程で身につけるもの、ということらしい。ウィキペディアによれば、教養とは、個人の人格に結びついた知識や行いのことで、これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある、ということになるそうだ。

教養が、単なる知識や知恵とは別物であることは、なんとなくわかる。

だが、教養とそれらが関係ないのかといえば、そうではないらしい。 教養は、知識や知恵を獲得する過程で身につけるもの、であるからだ。また、教養は人格ともリンクしているそうだ。

正直、わかるような、わからないような…という感じだ(笑)。

自分で「わかった!」と思っても、それをうまく人に伝えることができなければ、とても「わかっている」とはいえない。なので、もう少しわかりやすく考えを進めてみよう。

高校野球を見るとき

たとえば、高校野球をみるときの例で考えてみる。

ある実力が拮抗した両チームの試合を堪能するためには、

・野球のルールを知っている
・配球についての知識がある
・作戦についての知識がある
・それぞれの選手の特徴や調子を知っている
・それぞれの選手のストーリーを知っている
・選手や監督の心理状態が想像できる
・監督の采配の特徴を知っている
・監督のストーリーを知っている
・学校のストーリーを知っている

※ストーリは歴史を含む

これらの条件が必要になるだろう。つまり、各種の知識が必要になるのだ。

※なので、アナウンサーや解説者が知識を補ってくれる。

もちろん、この中の1つや2つだけ知っていても、野球観戦を楽しむことはできるが、4つ5つ知っている人と比べると、楽しみ方が浅くなる、表面的なものになる…と思うのだ。

フック(知識)をたくさんもっている人というのは、そのフックに引っかかったものを楽しむことができる。私なりにシンプルに解釈すれば、フックをたくさんもっていて、そのフックに引っかかるものを自在に楽しめる人が、「教養のある人」ということになるのだろうと思う

したがって、教養のある人は、人一倍できごとや人生を楽しめる人であると思う。

※フックに引っかかったものの、相互作用も楽しめる人だ。具体的には、自由に組み合わせて洞察したり、アウトプットしたり、新たな発見をしたり、などで楽しむことができる…ということだ。

なので、教養があれば、自ずから楽しめてしまうのだ。

 知識と教養の関係

だが、単純に「知識 ↑ = 教養 ↑」ではない。

あの人の知識の量は普通の人以上だと思うけれど、「教養があるとは言えないな…」と感じることがあると思う。そのタイプの人には、「何か」が足りないのだ。※惜しい状態だ(笑)。

知識と教養の間には、明確な隔たりがあり、そこを繋ぐ何かがなければ、ダメなのだ。

・知識は教養の必要条件

知識を得ることは、教養を身につけるための必要条件になる。

なので、あなたがもし「教養を身につけること」を目的とするのであれば、その目的を達成するために、「○○の知識を得る」とすることは、正しいことだ。※必要なステップになる。

※教養を身につけることは、個人的に目的にしたいことだ。

前回の記事で、

両者の関係は、適切に立てた「目標」を次々にクリアしていけば、「目的」を達成することができる…という関係でなければいけない。
出典:目標の立て方|仕事や人生に役に立つ

と書いたが、この関係に沿っている。

ただし、知識を得ることは、教養を身につけるための必要条件にすぎないので、それだけでは不十分だ。収集して蓄積した知識を、適切な場面で適切に活用できるのか…という問題がある。

※知識を得ることは、教養を身につけるための必要条件である。

・知識を活用できるかどうか

先の野球の例でいうと、ノーアウトランナー二塁という場面があったとしよう。

そこで取り得る攻撃側の作戦は、

1)送りバント、2)通常のヒッティング、3)右打ちで進塁打を狙う、などがある。

これらの作戦は、点差やイニング、投手と打者の力関係、打者や守備の技量、投手の心理状態、投手の球威や球種、バッテリーの配球や相手の作戦(守備位置)などの変数により、成功の確率が変わってくる。そのことを知っていれば、そのシーンひとつでも、おもしろくなるのだ。

ただし、知識があっても、何も考えずにボーっと見れていれば、特におもしろくもないだろう。これは、「持っている知識を、適切な場面で適切に活用できていない」ということになる。

手持ちの知識を活用できるかどうか…が問題なのだ。

・アウトプットできるのか

手持ちの知識をアウトプットできるかどうか…ということも問題だ。

先に、自分で「わかった!」と思っても、それをうまく人に伝えることができなければ、「わかっている」とはいえない…と述べたが、上手くアウトプットできないのであれば、知識になっているかどうかが疑わしい。その場合は、知識をアウトプットできるようにすることが先決になる。

※先に知識の理解&定着が必要だ。

 自分の頭で考える

ものごとは、自分の頭でよく考えたい。

偉い人がこう言っているから…ということで、鵜呑みにするのは危険だ。

私もよくブログの記事で、偉い人の言葉を引用するが、引用するときは、「本当にそうなのか?」と自分の頭で考えるようにしている。彼らがどのような文脈の中でそのような発言をしたのかわからないし、都合のいい言葉の一部だけを切り取っている…という可能性もあるからだ。

「本当にそうなのか?」と考え、OKだと思ったら、引用するようにしている。なので、この記事に書いてある内容も、「本当にそうなのか?」と自分で考えてみてほしい。

そうしないと、他人の考えに流されてしまうのだ。

・反対のための反対はしない

自分の頭で考えるのは結構だが、反対のための反対をしてはいけない。反対のための反対とは、批判や反対することを目的として、情報や知識、他人の言説に接する…ということだ。

よく、理路整然と反対している人がいる。

そのような人は、おそらく頭の良い人だと思う。だが、反対のための反対をしているのだな…ということが透けて見えると、頭は良くても「教養のない人だな…」とがっかりすることがある。

人の言動には、ほとんどの場合完璧がないので、反対や批判をしようと思えば、いくらでもできてしまうのだ。なので、安易に反対や批判をするのであれば、教養を身につけることから遠ざかることになると思う。反対のための反対には意味がない、と考えた方がいいだろう。

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 人・本・旅から学ぶ

人・本・旅から学べばいい、とする意見がある。

僕はよく「人・本・旅の3つからしか人間は学べない」と言っています。つまり人間と人間の社会をよく知るためには、たくさんの「人」に会って、いろいろ教えてもらう。それから自分で「本」を読む。そしてできるだけ多くの場所に「旅」をして、現場の空気を吸い、そこで働いている人をよく見て、「ああなるほど、この地域の人たちはこういうふうに生きてるんだな」と体で理解するのが早い。それで「人、本、旅」と言っているのです。
出典:今の日本人は、本当に教養がないのか?

この話には賛成だ。

以前、「百聞は一見にしかず」という言葉について書いたことがあるが、

「百聞は一見にしかず」という言葉をご存じだと思う。
だが、この言葉に続きがあることを知っているだろうか?それは、「百見は一考にしかず」⇒「百考は一行にしかず」⇒「百行は一果にしかず」というものだ。
これをわかりやすくすると…
考えること(一考)>百見 ⇒ 行動すること(一行)>百考 ⇒ 成果を出すこと(一果)>百行。まだわかりにくいかもしれないが、以下、右に行くほど大事になるよ、ということだ。
インプット(聞く・見る) ⇒ 思考 ⇒ アウトプット ⇒ 成果を出すこと
出典:内向的な人はアウトプットを増やしたい

このサイクルを回すことが、教養を身につけるプロセスになるのだ。

「インプット」の部分が、旅をして現場の空気を吸ったり、「本を読む」ということになり、インプットしたものを咀嚼し、自分の頭で考え洞察し、自分なりにアウトプットする。アウトプットに対し、他者からフィードバックをもらえば、「教えてもらう」ということになるだろう。

もちろん、インプットの部分でも、人に会ったり、教えてもらう…ということがある。

先に、「知識」と「教養」の間には、明確な隔たりがある。そこを繋ぐ何かがなければ、ダメなのだ、と書いたが、これまでの話で、「そこを繋ぐ何か」が、少しは見えてきただろうか(笑)。もしそうであれば、幸いだ。教養を身につければ、人生は楽しく豊かなものになるのだ。

なので、教養を身につけることを目的としたい。