不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

判断を誤るな…目先の確率を使うと判断を間違える

あなたは、何かの意思決定するとき、確率で判断するだろうか。

確率(期待値)で判断することは、間違いではないと思う。そうすると、合理的な判断になる可能性が高いためだ。ただし、目先の確率だけで判断すると間違えることがある…というのも事実だ。

今回は、目先の確率を使うと判断を誤る、ということについて書いてみたい。

目次

確率で判断する

確率で判断することは、合理的なことだ。

質問1:あなたの目の前に、以下の二つの選択肢が提示されたものとする。
選択肢A:90万円が無条件で手に入る。
選択肢B:コインを投げ、表が出たら200万円が手に入るが、裏が出たら何も手に入らない。
この場合は期待値が変わってくるので、選択肢Bを選ぶことが正解になる。
しかし、選択肢Aを選ぶ人は多いはずだ。90万が95万、98万になれば、さらにその数は増えるはずだ。期待値を計算できる人でも、99万であれば、選択肢Aを選ぶかもしれない
出典:皮肉なことに損失回避性で損をしている

期待値による行動としてもいいと思うが、

この選択肢において、Aを選ぶタイプの人は損をし、Bを選ぶタイプの人は得をすることになる。数回の選択なら、前者が得をすることがあるが、選択の回数が多くなれば、損をすることになる。人生は選択の連続なので、いつもAを選ぶタイプの人は人生において損をすることになる

確率(期待値)で判断することは、合理的なことなのだ。

確率で決めると間違う

ただし、目先の確率で決めると間違う、というケースがある。

たとえば、あなたは自動車に乗るとき、シートベルトをするだろうか。

もちろん、道路交通法でシートベルトの着用義務が定められているため、シートベルトをする、という人が大半だと思うが、仮に、法で定められていない場合でも、自ら進んでするか…ということだ。

その場合は、しない人が結構いるのではないだろうか。

シートベルトをしない人は、「自分は事故を起こさない」とか、「シートベルトが必要になる事故が起こる確率が低いから…」ということで、シートベルトをしない、という判断に至るのだろうと思う。※シートベルトが命を守るような事故をする確率が低いと考える。

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大きな失敗を避ける必要がある

だが、この判断は誤りだ。

シートベルトをすることには、ほとんどコストがかからない。せいぜい、気持ち的に「面倒だ」というぐらいだろうか。面倒だ…といっても、実際はそれほど面倒なことではない。

※習慣にしてしまえば、その気持ちもなくなる。

なので、シートベルトで命が助かることがある、と考えれば、事故が起こる確率が低くても、シートベルトをする価値はある。取り返しのつかない失敗を防ぐことができるためだ。

致命的な失敗はNG

失敗はしてもいいのだが、

また、生命にかかわる失敗もそうだ。夏になると毎年必ず水の事故が起こるが、その中には防げたものもあるように思う。このような致命的な失敗だけはしないようにしたい
出典:失敗を自分の中でどう処理するのか?

致命的な失敗だけは、避ける必要がある。

ノーコストで致命的な失敗を回避できるのであれば、積極的にそうした方がいい。車に乗るときは、シートベルトをした方がいいし、自転車にのるときは、ヘルメットを被った方がいいのだ。

※ヘルメットの場合は、ややコストがかかるので被らない人が増える。

宝くじの場合

逆のケースで、宝くじの場合がある。

宝くじを当てる努力をしたり(高額当選者に話を聞きに行ったり、当てるための情報収集&分析したり、当たるとされることを実践してみたり…)、綿密な購入計画を立てて、10年間宝くじを買い続けたところで、目的を達成できる可能性は著しく低い
出典:正しい努力の仕方

この場合は、目先の確率で決めてもいい。

※目先の確率とは、期待値を計算せずに認知している確率とする。

宝くじを買うことには、それなりのコストがかかるためだ。もし宝くじを買うコストが、シートベルトをしたり、ヘルメットを被るコストなみに小さければ、宝くじを買えばいいと思う。

実際はそうではないので、この場合は目先の確率で判断してもいいのだ。

選挙に行った方がいい?

自分が選挙に行って1票入れたところで、大勢になんら影響はない。

その1票で当選者が変わる、政治が変わるという確率は、限りなく0に近い。

その確率から考えると、選挙に行くことは無駄で、止めた方がいい…ということになる。選挙に行くコストも、時間や交通費など多少はかかる。そう考えると、やはり無駄な行動になる。

選挙に行くことには意味がある

だが、選挙に行くことには意味がある。

ひとつは、政治(ひいては社会)に対し主体的にかかわることができる、ということだ。

自分が参加しなかった選挙のニュースについては、(どこか他人事で)興味を持たずスルーする、ということがある。一方、自分が参加した選挙の場合は、選挙特番を興味を持ってみる、ということがある。自分がかかわっているか否か…ということは大きいのだ。

さらに…

もうひとつは、自分自身で「あるべき姿」を具現化することで、自分のレベルを上げ、理想の自分に近づくことができる、ということだ。

選挙に行くことが「あるべき姿」だと思っていれば、そう考えることもできる。※自身の成長に資する、ということだ。

さらには、自分が投票に行くことで、他の人に(好ましい)影響を与えることができるかもしれない。近しい人であれば、自分を見倣って投票に行くかもしれない。そうなれば、連鎖的に投票に行く人が増えるかもしれない。

「1票で政治が変わるのか?」という確率だけでは、考えない方がよさそうだ。

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確率以外の要素も考える

確率で判断すると同時に、確率以外の要素も考えた方がよさそうだ。

宝くじを買う…私にはお金の無駄に見えるが、夢を買ったんだ、当選発表まで夢を見ることができて、その間、仕事や生活に対するモチベーションも上がるから無駄ではない、と主張する人がいるかもしれない。そうであれば、その人にとっては(宝くじを買うことは)無駄ではないのだろう
出典:本当に時間を無駄にしているのか?

上で、宝くじは確率で判断した方がいい、としたが、

もし「当選発表まで夢を見ることができて、その間、仕事や生活に対するモチベーションも上がるから無駄ではない」と思うのであれば、(その人的には)メリットがコストを上回る可能性があるだろう。その場合は、宝くじを買っても報われる…ということになりそうだ。

判断を誤らないためには…

確率が小さいからといって、即無視することは得策ではない

起ったときの結果の重大性とその結果を防ぐ(または導く)コストを考え、起ることの結果が重大でかつその結果を防ぐ(導く)コストが小さいのであれば、行った方がいい…ということだ。

※コストがある程度かかっても、メリットがコストを上回る場合も同様だ(期待値による判断になる)。

なので、(法律とは関係なく)シートベルトは締めた方がいいのだ。

 

判断を誤るな - サマリー

まとめ

今回は、目先の確率を使うと判断を誤る、ということについて書いてみた。

確率(期待値)で判断することは、合理的なことなので、そうすればいいと思う。

ただし、目先の確率で決めると間違う…というケースもある。

たとえば、仮にシートベルトが役に立つような事故が起きる確率が低いとしても、シートベルトをした方がいいのだ。自分の1票で政治が変わらないとしても、選挙に行った方がいい。確率が低いから即無視できる…とは、考えない方がよさそうだ。※ケースに応じて考える必要がある。

今回の記事:「判断を誤るな…目先の確率を使うと判断を間違える」