あなたは、自責と他責、どちらの思考をするだろうか。
また、「自責と他責はどちらがいいのか…」と考えたことがないだろうか。一般的には、他責思考よりも自責思考の方がすぐれる、とされるが、本当にそうなのだろうか。さらに、責任に対するちょっとした考え方の違いが、何かに大きな影響を与える…ということがあるのだろうか。
今回は、自責と他責はどちらがいいのかについて書いてみたい。
目次
- 目次
- 他責のメリット
- 抱え込み・過度の悲観がなくなる
- 自分は違う…と考えることができる
- 自責のメリット
- 自責とすることで主体的になる
- 自分の成長につながる
- 失敗を生かすことができる
- 勘違いがなくなる
- 他責のデメリット
- 成長できなくなる
- 他者からの評価が悪くなる
- 自責のデメリット
- 他者の責任に目が届かない
- まとめ
他責のメリット
他責とは、「他者に責任がある」とすることだ。
他者というのは、人を指す場合もあるし、人以外のことを指す場合もある。
他責のメリットだが、自分が責任を感じずに済む、ということがある。たとえば、「このプロジェクトが上手く行かないのは、プロジェクトリーダーが悪いからだよね…」、「彼(女)の責任だよね」とすれば、自分に責任はない、とすることができる。無責任ではあるが(笑)。
抱え込み・過度の悲観がなくなる
個人的な経験で言うと…
私は会社である失敗をしたことがある。
自分の失敗で(結果的に)上司を困らせた・恥をかかせた…ということになり、上司からかなり強い言葉で叱責を受けた。
出典:一流と呼ばれる人のコミュニケーション術#2
私の失敗で、上司に恥をかかせることになったのだが、このときの失敗でも、他責思考であれば「事前にチェックしなかった、あなたにも責任があるでしょ」と言うことができる。
他責にすると、 「自分に責任はない」と考えたり、「自分に責任があっても、他者にも責任がある」と考えることができ、それほど深刻に思い詰める…ということがなくなるのだ。
※すべて自分のせいだ…と、不必要に抱え込んだり、過度に悲観することがなくなる。
自分は違う…と考えることができる
他者に責任がある、とすることで、「自分は違う」と考えることができる。
大学がつまらないのは、「まわりのレベルが低いから」、「まわりの連中が、何も考えていないから」、「自分に刺激を与えてくれるような人がいないから」と他者のせいにすれば、「自分はそいつらとは違う」と考えることができる。
会社でも同じことだ。「まわりの連中のレベルが低い」、「上に尊敬できる人がいない」、「自分の提案を理解できる上司がいない」とすれば、「自分は違う」と考えることができる。なのでプライドの高い人には、他責が合うのかもしれない。※両者には、親和性がある。
自責のメリット
自責とは、「自分に責任がある」とすることだ。
一般的には、他責よりも自責の方が良い、とされる。それは、適切な範囲の自責であれば、他責を上回るメリットがあるためだ。※先に述べた他責のメリットが、本当にメリットと言えるかどうかについては微妙なところだ。ケースによっては、メリットになり得る、という程度かと思う。
自責とすることで主体的になる
まず、自責とすることで主体的になる、ということがある。
たとえば、「このプロジェクトが上手く行かないのは、プロジェクトリーダーが悪いからだよね…」と考えると、「このプロジェクトが上手く行こうが行くまいが、オレは知らん」ということになり、「自分は、言われたことだけをキチンとやればいいや…」という気持ちになる。
たしかに、プロジェクトの成否の責任はプロジェクトリーダーにある。なので、「このプロジェクトが上手く行かないのは、プロジェクトリーダーが悪いからだよね…」というのも、間違ってはいない。だが、そう考えることが、はたして自分の利益になるのだろうか…ということだ。
自分の成長につながる
おそらく、自責を入れた方が自分の利益になる。
つまり、「プロジェクトリーダーの責任は大きいけれど、メンバーである自分にも責任があるよね」とした方がいいのだ。
そう考えることではじめて主体的になり、自分がどう動けばプロジェクトが成功するのだろうか…と頭を使うようになるのだ。これは、「指示されたことをだけをやる」という状態から、視座がひとつ上がる、ということだ。
自分が成長するためには、主体的になることが必要なのだ。
主体的になれば、(受け身のときよりも)他人に対する働きかけをしよう、という気分になる。その働きかけにより相手が変わるかどうかは別にしても、他人に対する働きかけができる人は優秀だし、出世できる人だ。※管理職には必要な能力だ。
このスキルを身につけることも、本人の成長につながるだろう。
失敗を生かすことができる
自責の思考をすれば、失敗を生かすことができるようになる。
先に述べた私の失敗で、「事前にチェックしなかった、あなたにも責任があるでしょ」と思えば、問題をそれほど深刻に考えることはない。深刻に考えすぎても害になるのだが、軽く考えてしまうと、同じような失敗をまたやらかしてしまうことになる。
失敗したときに自責だと思えば、失敗の原因を(主体的かつ真剣に)探り、同様の失敗をしないような対策を立てることができる。これは、「失敗を生かす」という好ましいプロセスだ。
※失敗を生かすプロジェクトのリーダーになることができるのだ。
他責であれば、このプロセスは生じない。
勘違いがなくなる
自責の思考をすれば、勘違いがなくなる。
たとえば、「まわりの連中のレベルが低い」、「上に尊敬できる人がいない」、「自分の提案を理解できる上司がいない」などと、考えないようになるためだ。
もし、「まわりの連中のレベルが低い」と感じるのであれば、自分も同程度だし、「上に尊敬できる人がいない」と思うのであれば、自分も下から尊敬される人ではない。
つまりは、自責の思考で「身の程を知る」ということだ。
その結果、自分に対する勘違いがなくなるだろう。
他責のデメリット
他責のデメリットを考えてみよう。
他責だと、「オレの責任じゃないよ」ということから、「オレは知らんよ」となる。
もし、全く自分に責任のないことであれば、そう考えてもいいだろう。自分に全く責任のないことまで、「自分の責任だ…」などと思っていたのでは、とても身体が持たない(笑)。だが、いくばくかでも自分に責任のあることであれば、「相応の責任がある」と考えた方がいい。
成長できなくなる
それは、自分が成長できなくなるためだ。
人は主体性を失うと、モチベーションも失う。その結果、仕事であれば「上司に言われたことだけやっておけばいいや…」となるのだ。このような消極的な姿勢で、成長することはむずかしい。
※責任を感じないので行動しない、ということもある。
視座も上がらず、他人に対する働きかけのスキルも上がらない。どこか距離をおいた感じで、「言われたことを淡々とこなす…」ということになる。このタイプの人は、出世することもない。
他者からの評価が悪くなる
他責だと、他者からの評価が悪くなる。
これは、ある意味当然のことだ。あなたは、「責任逃れをする人」についてどう思うだろうか。まわりに言い訳ばかりをして、責任から逃れようとする人がいれば、イラッとするはずだ。
また、もし誰かに「お前のせいだ」と言われれば、カチンとくるだろう。その指摘が半分正しくても、カチンとくるものだ(笑)。たとえそれが、直接的な指摘でなくても、こちらの責任を示唆するような言動であればカチンとくる。他責の人は、他人の反発や反感を受けやすくなってしまうのだ。
その結果、他者からの評価が下がり、人間関係が悪くなりやすいのだ。
自責のデメリット
適切な範囲の自責には、デメリットがない。
だが、その範囲を超えると、デメリットが生じる。
先に書いたように、自分に全く責任のないことまで、「自分の責任だ…」などと思っていたのでは、とても身体が持たない。チラッと「もしかして自分の責任かな…」と考えてみてもいいが、客観的にみて、「そうではない」ということであれば、自分の責任とはしないことだ。
他者の責任に目が届かない
自責が行き過ぎると、他者の責任に目が届かなくなる、ということがある。
仕事上の問題というのは、いろいろな人にいろいろな割合で責任があるものだ。
なので、自責とするにしても、そこは冷静な目で見ておかなければいけない。その上で、自分にできることから取り掛かる、ということになる。大事なのは、そこだけに留まらないことだ。
他者の責任も勘案した上で、「この問題を解決するためにはどうすればいいのか…」と考えた方がいい。 自分にできることから取り掛かることは、その第一歩と位置付ければいいだろう。
自責では、自己完結するのではなく、視座を上げることが大事なのだ。
まとめ
今回は、自責と他責はどちらがいいのかについて書いてみた。
自責と他責のメリットを比べると、自責のメリットが汎用的であるのに対し、他責のメリットは限定的だ。両者のデメリットを比べた場合は、他責のデメリットの方がはるかに重大で大きい。
こう考えると、「自責の方がすぐれる」という結論になる。
職場でまわりの人を見回してみよう。自責寄りの人と他責寄りの人がいると思うが、どちらの人が成功しているだろうか。一時的に、他責寄りの人が成功しているように見えるケースもある。
だが、長い目で見れば、自責寄りの人が成功することになる。一時的な評価よりも、長い目で見たときの評価を重視したい。他責寄りの人は、自責の方に踏み出してみてはどうだろうか。
今回の記事:「自責と他責はどちらがいいのか」