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見返りを求めなければ報われる

あなたは、見返りについて考えたことがあるだろうか。

自分が相手に何かをした場合、その相手から見返りを求めた方がいい、その方が give & take で理に適っている(give & take であれば損をしないし、納得できる)、という考え方がある。

それとは別に、相手からの見返りを求めない方がいい、とする考え方もある。

その理由は、(一見、矛盾しているようにも感じるが)見返りを求めるよりも、求めない方がリターンがあるから、というものだ。今回は、「見返り」について深く考えてみたい。

目次

見返りは求めたくなるもの

自分が他人に何かを与えた場合、見返りを求めたくなるものだ。

これは、ある意味「当たり前の感情」だと思う。冠婚葬祭のシーンでも、何かしてもらえば、お返しをする、というのは当たり前のことだ。あいさつをされれば、あいさつを返すし、年賀状をもらえば、年賀状を返すだろう。

もちろん、与えても与えた分だけ返ってくるとは限らないが(少ないケースも多いケースもある)、Give & take という考え方自体は常識的なもので、極めて当たり前のことなのだ。

Give & take が一般的

世の中の人は、「与える人」、「取る人」、「中間の人」と3つのタイプに分けることができる。この中で最も大きな割合を占めるのが、「中間の人」で、give & take を心情とする人だ。

このことも、見返りを求めることが当たり前であることを示している。

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見返りを求めないケースがある

中間の人でも、見返りを求めないケースがある。

それは、自分が近しいと感じている人の場合だ。自分に最も近いのは、自分の子供や親だろう。

自分の子供にお金と時間を費やして育てたからといって、子供にその分の見返りを求めようとは考えないものだ。お前にはこれだけのコストをかけたので、社会人になったら返してくれ…という親はいない。自分が愛する恋人の場合も、そういうところがあるかもしれない。

その場合は、相手に何かしてあげたい、という気持ちが自然に湧いてくる。そうすることで、相手の喜ぶ顔が見たい、ということだろうか。ただしこの場合は、「相手の歓心」という見返りを求めている、とすることもできる(笑)。なので、子供のケースとはやや違うだろう。

情の度合いで変わってくる

相手に対する情の度合いで、見返りを求める度合いも変わってくる…ということは確かだろう

自分の子供のように情が濃いと、「見返りを求めない」ということになり、情の薄い他人になると「見返りを求める」ということになるのだ。

このことは、友人の場合を考えてみるとよくわかる。情の濃い友人(親友)に対しては、「見返りを求めず、何かをしてあげよう」という気持ちになるが、情の薄い友人(知り合い程度)であれば、見返りのことが頭をよぎるかもしれない。Give & take だよね…と思うのだ。

見返りを求めるデメリット

見返りを求めるデメリットについて、押さえておきたい。

まず、見返りを求める場合、見返りがなければ腹が立つ、ということだ。

あいさつをしたのに、あいさつを返してもらえない、年賀状を出したのに、年賀状を返してくれない、そんなとき、イラッとしないだろうか。相手のことを、腹立たしく思わないだろうか。

すべてが無駄になる

見返りを求めると、すべてが無駄になる可能性がある。

たとえば、あなたが自分の時間と労力を使って、会社の同僚を助けたとしよう。

あなたにはその同僚を助ける義務はなく、困っているのを見て、親切心から助けた…ということだ。だが、1度助けると、2度3度と助けを求められることがある。本当は1度だけにしたかったが断るのもカドが立つので、その後も(やや無理をして)助けたとしよう。

そうなると、どうしても見返りを求める気持ちが出てくる。自分の大切な時間と労力を使って、義務でもないことをしているのだから、それに対する見返りがあってしかるべきだ…と思うのだ。

※この場合の見返りは、感謝の言動かもしれない。

腹を立てると無駄になる

このとき、見返りがないと腹が立つ。相手に悪い感情を抱いてしまうのだ。

そして、その相手に対する当たりがキツくなったり、「もう助けないよ」ということになる。そうすると、今度は相手が感情を害する。「不親切な人だ」、「感じの悪い人だ」ということになるのだ。あなたからすれば、理不尽なことだが、人とはそういうものだ。

そうなると、あなたが同僚を助けるために費やした時間と労力が無駄になってしまう。おまけに、感謝もされず、逆に悪いイメージを持たれてしまう。悪評を流される可能性すらあるのだ。

そう、助けたことのすべてが無駄になる、ということだ。

セルフイメージが悪くなる

見返りを求めると、セルフイメージが悪くなる。

※セルフイメージは自分の言動に影響を与えるので、それが悪くなるのは問題だ。

あいさつをしたのに、あいさつを返してもらえない!とイラッとしている自分や、 年賀状を出したのに、年賀状を返してくれない…と相手に腹を立てている自分は、「あるべき自分」だろうか。やや余裕を失って、小さくなっている自分…ということにならないだろうか。

このように、見返りを求めると、セルフイメージが落ちてしまうのだ。

見返りを求めないメリット

見返りを求めないメリットについても、押さえておきたい。

先に述べたデメリットの裏返しになるが、まずは見返りがなくても腹が立たない、ということだ。相手に見返りを求めなければ、自分が助けた相手が何も返してくれない…と憤ることがなくなる。

このことは、かなり大きなことだ。

人間関係が良くなる

その結果、「人間関係が良くなる」ということになる。

助けた相手から、感謝されやすくなるのだ。Give & take であれば、持ちつ持たれつのイーブンの関係だ、と感じるため、それほど相手に感謝することはない。

だが、「与えられていることの方が多いな…」と思えば、感謝する。

あなたに「今の自分があるのは、あの人のおかげだ」、「あの人には足を向けて寝られない」という人がいないだろうか。もしそういう人がいるとすれば、あなたはその人から多大な恩恵を受けているはずだ。そして、「十分にお返しができなくて申し訳ない…」という気持ちを抱いているのではないだろうか。

その人は、あなたに見返りを要求しなかったはずだ。そして、見返りがない(あるいは十分ではない)からといって、腹を立てたりしなかったはずだ。だから、感謝されるのだ。

これまでいろいろな人を見てきたが、まわりと良好な人間関係を保っている人というのは、見返りを求めないタイプの人が多いと感じる。

自分本位な人は論外だが、Give & take にシビアな人も、良好な人間関係を築きにくい…ということだと思う。

セルフイメージも良くなる

単純に、「見返りを求めない人ってカッコいい」と思わないだろうか。

赤の他人に親切をして、そのままサッと去っていく。良いイメージだと思う(笑)。

やはり、見返りを求めない人はカッコいいのだ。なので、自分のことを「見返りを求めない人間だ」と思えれば、セルフイメージは良くなる。

※余裕がある大人(器の大きい人)というイメージだろうか。セルフイメージが良くなれば、自分の言動に良い影響が出るだろう。

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Give & take の方がいい場合も…

ただし、誰にでも与えればいい、というものではない。

やや例外的ではあるが、Give & take を追求した方が良い場合もある。

いわゆる一定の割合で存在する「エゴイスト」に与えることは、あなたにとってマイナスになります。あなたが彼らの食い物になってしまう…ということです。あなたは疲弊し、誰に対しても与えることをやめてしまうかもしれません。
出典:「情けは人のためならず」の意味をもっと考える

相手が、自分本位の人物である場合だ。

この場合は、与えた方が疲弊することになる。

もともとは、「与える人」だったけれども、自分本位の人物に与えた結果、疲弊してボロボロになってしまった(利用されてしまった)。その結果、それに懲りて与えることをやめる…という人もいる。

こうなってしまっては、ダメなのだ。

この場合は、見返りを求めないメリットは吹っ飛んでしまう。なので、相手が自分本位のエゴイストであれば、見返りを求めた方がいいのだ。エゴイストに感謝されることはないし(いいカモだ…ぐらいにしか思われない)、エゴイストに嫌われてもさほど実害はない。

まとめ

今回は、「見返り」について書いた。

巷の自己啓発書によくあるように、なんでもかんでも、見返りを求めない方がいい、とはしない。

というのは、見返りを求めた方がいいケースもあるためだ(相手によるのだ)。ただ、基本としては、「見返りを求めない」とすることだ。「かけた情けは水に流す」という考え方でいいと思う。

先に、世の中の人は、「与える人」、「取る人」、「中間の人」と3つのタイプに分けることができる、と書いた。この中で最も成功しやすいのが、「与える人」だ。もっと言えば、見返りを求めない与える人、ということだ。

相手が自分本位の人でなければ、そのような態度で接したい。