人生において、「苦しいとき」という時期がある。
そんなときは、「人生のどん底ではないか」と感じ、このまま何年も同じ苦しい状態が続くのではないか…と思ってしまう。もはや「先がないのでは…」とすら思うこともある。
しかし、どん底にいるときというのは、そこから永遠に這い上がれないような気がするし、(かなりネガティブになっているため)事態を打開する行動も上手く取れないものだ。
今回は、苦しい時にとるべき考え方などについて書いてみたい。
目次
- 目次
- 現実を受け入れる
- 冷静に淡々と受け入れる
- 自分を責めても仕方がない
- 自分にやさしくした方がいい
- 被害者意識を持たない
- 現状を打開できなくなる
- 努力が報われないと思わない
- 不公平だと思わない
- 正しい努力は裏切らないと思う
- やるべきことを忍耐強くやる
- 不安を利用する
- 撹拌はチャンスになる
- まとめ
現実を受け入れる
現実は現実として受け入れるしかない。
今仕事がない・仕事が上手くいかず生活が苦しい、目下の窮状を凌ぐのが精いっぱいで、将来の生活の目途が立たない…など、ひどい現実であれば、その現実から目をそむけたくなる。
金銭的な困窮でなくても、職場の人間関係や働く環境が最悪で、精神的にかなり追い詰められている…というケースもあるだろう。だがまずは、現実は現実として受け入れるしかない。
冷静に淡々と受け入れる
そのほかにも、受験や就職の失敗など、キャリアに関する厳しい現実もある。
さらには、加齢や健康のこともある。もう少しライトなことでいえば、いくら努力しても成績が伸びず苦しい、努力しているのに仕事で結果が出ず評価されない…などという現実もあるだろう。
どうせ受け入れなければいけないのであれば、最善の受け入れ方をしたい。
それは、感情的にならず、厳しいことは厳しいと正確に認識し、冷静に淡々と受け入れる…ということだ。メタ認知で受け入れる、としてもいいだろう。そうすることではじめて、その厳しい現実に対してどう向き合えばいいのか…ということを、落ち着いて考えることができるようになる。
現実が厳しければ、できるだけ上手に対応する必要があるのだ。
自分を責めても仕方がない
厳しい現実を招いたのは、自分のせいだ…と思うと、自分を責めたくなる。
あの時もっと努力をしていれば、志望校に入れたはずだ…あの時あのような選択をしたことが、今の厳しい現状につながっている…と、悔やんでも悔やみきれないようなことはあるもの。
だが、今更そうしたところで、「自分を痛めつける」以外の効果がない。間違った自分に罰を与える…という以外の意味はないのだ。この罰の付与もデメリットだが、ほかにもまだある。
そういう思いは、引きずりやすいのだ。そもそもその思いを忘れることはないし、仮に忘れたと思っても、(エピソード記憶になっているので)折に触れて顔を出す…ということになる。
現状が上手く行っていれば、引きずることもないのだが、現状が厳しければ、そういう思いを引きずってしまう。極端なケースでは、夢にまで見て、嫌な思いをする…ということもある。
自分にやさしくした方がいい
なので、自分にやさしくした方がいい。
それも自分だよね…と思って、自分にやさしくした方がいいのだ。そうすると、間違えて失敗したけれど、「まぁいいか」、それも「自分らしいよね」ということで、気持ちが楽になる。
そこには、多少あきらめのような感情もあると思うが、後悔で身を焦がし自分をきびしく痛めつけるよりは、いいことだろう。何よりそうすることで、気持ちを切り替えやすくなるのだ。
さらに、自分にやさしくなると、他人にもやさしくできる…ということになる。カドがとれて丸くなり、人当たりがよくなるのだ。自分にも他人にも寛容になるので、そうなるのだろう。
被害者意識を持たない
苦しい時は、被害者意識を持たないようにしたい。
先に、「厳しい現実を招いたのは、自分のせいだ…と思うと、自分を責めたくなる」と書いた。
自分の責任を自覚しつつも、他者を責めたくなることもある。「あいつのせいで…」、「ああいうことをされたから…」、「親の育て方が悪い…」と、親のせいにするケースもあるだろう。
実際、その分析は的を射ているかもしれない。誰かが悪いのかもしれない。だが、いくばくか的を射た分析ができたところで、被害者意識を持ってしまえば、マイナスの意味しか残らない。
現状を打開できなくなる
被害者意識を持つと、どうしてもネガティブになってしまう。
他者への恨みつらみのような感情が、支配的になってしまうのだ。そして、主体性を失い行動のモチベーションも上がらなくなってしまう。ネガティブになると、人間関係は悪くなりがちだし、主体性を失い行動できなくなると、現状を打開するための道を切り開くことができなくなる。
なので、苦しい時は、被害者意識を持たない方がいいのだ。
努力が報われないと思わない
苦しい時は、努力が報われない…と思ってはいけない。
努力しているのに結果が伴わず低迷が続く…ということは普通にあることだ。
これだけ勉強しているのに、テストの結果がそれほど上がらない…、スポーツでは、これだけ練習しているのに、思ったほど上手くならない…ということがある(過程の中で普通にある)。
そんなときは、「自分には才能がないからダメなのだ…」と思い、あきらめてしまいそうになる。だが、あきらめたらそこで終了する。そうすると、どん底から這い上がることはできない。
不公平だと思わない
不公平だとも思わない方がいい。
そもそも人は公平ではないし、人生も公平ではない。
たとえば、幼稚園に入る段階から公平さは失われている。(遺伝的な話を除いて考えると)早生まれの子供と4~5月に生まれた子供の間には、知力や体力においてハッキリとした差がある。
早生まれの子供よりも、4~5月に生まれた子供の方が、かなり有利なのだ。
その優位性は、小学校に入っても続く。
成長が早く、比較的知力や体力に優れた4~5月生まれの子供は、学級委員長などの要職を経験することができたり、スポーツでも活躍しやすく、多くの有意義な経験を積める可能性がある。
これらの有意義な経験は、その後も彼らにプラスの影響を与え続けるだろう。
これは一例だが、世の中において不公平は当たり前なのだ。世の中が「不公平だ!」と思えば、自分が被害者のように見えてくる。そうすると、先の「被害者意識を持たない」で述べたようなデメリットが発生するので、(実際に不公平であっても)不公平だとは思わない方がいいのだ。
※不公平なことは結構ある。不公平だと思い出したらきりがない。
正しい努力は裏切らないと思う
そのかわり、正しい努力は裏切らない…と思えばいい。
サラリーマンから将棋のプロ棋士に転身した瀬川さんが、こんなことを言っている。苦しいときに投げ出さず、冷静沈着にやるべきことをやる。そうした努力の蓄積が凄まじいパワーとなって、ウサギの跳躍を生み出す。瀬川さんは、奨励会時代にそういう人物を目の当たりにしたそうだ。
その人は、奨励会に在籍したある時期、成績が上がらず、非常に苦しんでいた。だが、苦しいときに投げ出さず、冷静沈着に正しい努力を積み重ねていた。その結果、一気に自分(瀬川さん)を追い越して棋士になった…ということだ(その後、タイトルも取り、一流の棋士になっている)。
やるべきことを忍耐強くやる
瀬川さんはそのとき、彼の姿を驚きと羨望の目で見ていたのだろう。
瀬川さんはそのとき、奨励会を抜けることができず、プロ棋士になることができなかった(まさに人生どん底…大きな挫折を経験することになった)。このリアルな話にはとても共感できる。
つまり、苦しいときに投げ出さず、冷静沈着にやるべきことを忍耐強くやっていれば、そのうち結果は出るよ…ということだ。この場合の「やるべきこと」というのは、正しい努力のことだ。
苦しいときこそ、正しい努力は裏切らない…と思いたい。
不安を利用する
苦しいときは、不安で押し潰されそうになる。
半年後、1年後、自分はどうなってしまうのだろうか。今の厳しく苦しい状態が、この先も続くのだろうか、そうであれば明るい未来がないではないか…と不安になってしまう。
だが、外部環境がどんどん変わり、激しい変化が当たり前の現在では、不安があるのは当たり前のことだ。たとえば職業にしても、自分の今の職業が、5年後、10年後に(これまでとほとんど同じ形で)あるとは、とても言えなくなってきている。
最近のニュースに、レジのないスーパーができた…という話があった。
セルフのレジというのは、これまでにもあったが、全くレジがない…というのは革新的だ。この形態が普及すれば、レジのパートやバイトの職は、かなり姿を消す…ということになる。
撹拌はチャンスになる
どうせ不安はぬぐえないのだから、不安を利用することを考えたい。
たとえば、不安を研ぎ石にして、自分の感性を磨いたり、変化に対応するセンスを磨く…ということができる。
また、世の中の変化が激しいので、「撹拌」が起こりやすく、どん底から這い上がるチャンスも増える…と考えてもいい。※現に、ネットの普及による撹拌後はそういう形になっている。
不安は可能性だと考え、不安に押し潰されるのではなく、不安をある意味楽しんだり、利用すればいいのだ。※できる人ほど、変化に伴う不安を歓迎するそうだ(ワクワクするそうだ)。
なので、この点はできる人のマインドを取り入れたい。
まとめ
今回は、苦しい時にとるべき考え方などについて書いてみた。
今回の記事で述べたのは、
1)現実を受け入れる、2)自分にやさしくなる、3)被害者意識を持たない、4)努力が報われないと思わない、5)正しい努力は裏切らないと思う、6)不安を利用する、の6つだ。
わたしには、瀬川さんの「苦しいときに投げ出さず、冷静沈着にやるべきことをやる。そうした努力の蓄積が凄まじいパワーとなって、ウサギの跳躍を生み出す」という言葉が印象的だ。
苦しいときは感情的になりやすいが、その感情を抑えて冷静にやるべきことをやる(正しい努力を続ける)。そうすれば、遅々とした亀の歩みが「ウサギの跳躍」になる、ということだ。
「冷静沈着にやるべきことをやる」というのは、「力をためる」ということだ。
そして、力をためることができれば、何かのタイミングで「ウサギの跳躍」をすることができる。何かのタイミングというのは、「閾値」だろう。ここに到達するまで、(時間がかかるので大変だが…)忍耐強く粘り、正しい努力を続けることができれば、大きな跳躍ができる。
すなわち、人生のどん底から這い上がることができる…ということだ。