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他人の不幸は蜜の味を利用すればいい

他人の不幸は蜜の味という言葉を聞いたことがあると思う。

言い得て妙だな…と思う人もいるだろう。他人の不幸は蜜の味を実感したことのある人も多いのではないか。一方で、何となく後ろめたさを感じる言葉でもある。人の不幸をほくそ笑むことは、人として間違った行為ではないか…と感じるためだ。正しいこととは、誰も思わないはずだ。

今回は、「他人の不幸は蜜の味」について書いてみたい。

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目次

他人の不幸は蜜の味とは

他人の不幸は蜜の味

他人の不幸は蜜の味の意味から考えてみよう。

端的に言えば、他人が不幸になったことをほくそ笑んでしまう、ということだ。

学生のときの話だが、クラスメートのA君の顔に突然上靴が飛んできて直撃する、ということがあった。上靴を飛ばして遊んでいた同級生の上靴が、顔面に強くヒットしたのだ。

A君は痛さのあまりその場でしばらくうずくまっていたが、そのシーンをたまたま見たB君が、ほくそ笑んで立ち去る、というシーンを今でも鮮明に覚えている(笑)。A君とB君は仲が良くなかったので、B君からしてみれば、「他人の不幸は蜜の味」になったのだろう。その場を誰かに見られることは、(人間性を疑われることになるので)最悪ではある(笑)。

※B君の態度を異様に感じたので、今でもハッキリと覚えている。

シャーデンフロイデ

シャーデンフロイデという言葉(ドイツ語)が、この感情を表すそうだ。

シャーデンフロイデとは、ウィキペディアによると、「他者の不幸、悲しみ、苦しみ、失敗を見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情。ドイツ語で「他人の不幸(失敗)を喜ぶ気持ち」を意味する」というものだ。「メシウマ」とか、「ざまぁみろ」という感情のようだ。

※掲示板では、「○○が負けるとメシがうまい」と書かれることもある。

先天的に持つ感情である

この「他人の不幸は蜜の味」は、先天的なモノのようだ。

ひとつのシナリオは「平等」を表すもので、母親はまず子どもたち同士で遊ばせ、それを2分間放置したのち、さらに2分間黙ってひとりで読書する。もうひとつのシナリオは「不平等」の状況を表し、母親は自分の子どもの友だちのほうだけを膝に乗せたうえで、その友だちに対して読み聞かせるように本を読む。どちらのシナリオでも、母親は最後に本の上に誤ってコップに入った水をこぼして、そのときの子ども(実子)の反応を検証した
出典:カラパイア

2~3歳の子供が被験者となったおもしろい実験がある。

平等と不平等という状況を意図的に作り、相手の失敗に対し、反応が変わるかどうか…という実験だ。平等な場合は、相手の失敗を喜ぶという反応はなかった。それに対し、不平等な場合は、相手の失敗を手をたたいて喜んだそうだ。これは、相手の不幸に蜜の味を感じた…ということだ。

※同様のことは、サルなどの動物にもみられるそうだ。

妬みが燃料になる

他人の不幸は蜜の味という感情を引き起こすのが妬み(ねたみ)だ。

相手を妬むと、相手を引きずり下ろしたくなる。自分が努力して相手を超えればいいのだが、それには時間と労力がかかるし、努力しても超えられる保証はない。そんなとき、相手が不幸によりダメージを受けると、「しめしめ…」ということになるのだ(自分が持つ劣等感が軽減されるのだ)。

上で述べたB君のように、自分が嫌いな人物がダメージを受けると「メシウマ」となるが、その嫌いも妬みからくることがよくある。自分が持ちたいが持てないものを持っている、自分がやれないことをたやすくやってしまう…ということであれば、妬みから嫌いとなるかもしれない。

※妬みがなければ、「他人の不幸は蜜の味」は発動しないのだ。

他人の不幸は蜜の味を抑えることはできる

他人の不幸は蜜の味は先天的なモノだが、抑えることはできる。

端的に言えば、他人を妬まなければいいのだ。他人に対して、優越感を持たない(優越感は劣等感の裏返しになる)、「自分は自分、他人は他人」と考える。「自分のこれからの努力次第で、どうにでも変われる」と強く思っていれば、他人を妬むという気持ちは小さくなる。

だが、完全になくすことはできないのかもしれない。また、そうする必要もないのかもしれない。妬みをプラスのエネルギーとして利用することは可能だし、妬みからの気付きが、自分の視野を広げ、自分を正しい方向に導く…ということがあるためだ。

※他人の不幸は蜜の味という感情は誰にでもある、とした方がいい。

他人の不幸は蜜の味を利用する

そうであれば、他人の不幸は蜜の味を利用すればいい。

今述べたように、妬みをプラスのエネルギーとして利用すればいい。「よし、私も…」ということで、自分の成長に集中すればいいのだ。また、自分が勝つにはどうすればいいのか…と考えることで、展望が開けることもある。単体では勝てないが、組み合わせで勝てることは、普通にあることだ。

※何らかの好ましくないサインと、警鐘にすることもできるだろう。

・コミュニケーションで利用する

別の角度から利用することも考えてみよう。

自分の話が自慢のようになってしまうことがある。そんなときは、わざと自分を落として相手に蜜の味を提供すればいい。たとえば、今どき海外で勉強したり仕事をしたり…ということはめずらしいことではないが、相手によっては自慢ととられることもある。そんなときは、落とせばいいのだ。

語学で苦労した話とか、食事で苦労した話とか、モテなくて苦労した話をすればいい。そうすれば、多少は蜜の味を感じてもらうことができる。ファストフードの店員さんに、「キャッチアップ、キャッチアップ」と言われたのですが、(catch up)と理解し、何に追いつけばいいのかサッパリわからず、困り果てました…みたいな小ネタを持っておくといい(笑)。

※店員さんは、「ケチャップ(ketchup)はいるか?」と言っていた。

もうひとつ例がある。以前、会社の先輩がこいつは○○大卒だよと私に人を紹介したことがある。その人はすかさず、「いやいや、私はピンキリのキリの方ですから…」と言って、自分を落とした。「クライアントに嫉妬されるかも…」と思い、咄嗟に自分を落としたということだ。

※嫉妬されると想定し、予防的に蜜を提供したということだ。

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まとめ

今回は、他人の不幸は蜜の味について書いてみた。

他人の不幸は蜜の味は、多くの人が持つ感情であり、ネイティブなものだ。なので、この感情を持っているからといって、恥じることはない。もちろん、この感情を小さくすることはできるが、自分も他人も持っている、と考えておいた方がいいだろう。

そこから、この感情を利用すればいい、という発想が出てくる。自分自身の感情を利用してもいいし、他人の感情を利用してもいいだろう。後者では、コミュニケーションにおいて、蜜の味を提供するよう心がけることだ。相手が自分に嫉妬するようなときは、さりげなく蜜を提供すればいいのだ。

今回の記事:「他人の不幸は蜜の味を利用すればいい」