不器用な生き方をやめたい

無駄なプライドは捨てた方がいいんじゃない?

あなたには認められたい心理がある

他者に認められたい、という心理がないだろうか。

そのような心理は、程度の差はあれ誰にでもあると思う。能力を他者に認められなければ、いい学校や会社に入ることができないし、自分を交際相手として相手に認めてもらえなければ、交際や結婚もできないだろう。なので、誰かに認めてもらうことは、人生において必要なことだと言える。

今回は、他者に認められたい心理について書いてみたい。

 目次

 承認欲求がある

承認欲求

人には、承認欲求というものがある。

承認欲求とは、他者から認められたいと思う気持ち、としていいだろう。この気持ちは、程度の差はあれ誰もが持つ気持ちだ。子供であれば、親や先生、同級生からの承認を得たいと思う。会社員であれば、同僚や後輩、先輩や上司からの承認を得たいと思う。

そのほか、顧客や取引先からの承認を得たいということもあるだろう。他者から認められれば、単純にうれしいし、認められたということが自信につながり、今まで以上に行動できるようになったりする。まわりの目も変わるので、動きやすくなるということもある。さらには、自分の居場所を確保したという安心感も生まれるものだ(安心感があれば、チャレンジできるようになる)。

※他者に認められることには、大きなメリットがある。

 認められないと…

他者に認められないと、どうなるのだろうか。

まず、自信を持ちにくい、ということがある。子供が親や先生から「認められていない」と感じると、認められている人を横目で見ながら、「自分はダメなんだな…」と思うだろう。同級生から認められていないと、軽んじられたりいじめられたりするかもしれない。

会社の同僚や後輩、先輩や上司からの承認がないと、会社に「自分の居場所がない…」と感じるし、顧客や取引先から認められないと、ビジネスが上手くいかない。また、プライベートでも、自分が気に入った相手に認められないと、交際や結婚ができない、ということになる。

※他者に認められないと、(ある意味)はじまらないのだ。

 認められなかった学者さん

偉いさんから認められなかった学者さんを見たことがある。

だいぶ前の話になるが、Aさん、Bさんという若手の経済学者さんと、ベテランの経営者が経済問題について議論する、という場があった。Aさんは絵に描いたようなエリートで、正論を述べるタイプ、BさんはAさんよりは経歴の面で劣り、正論から外れた発言もする、というタイプだった。

ベテランの経営者の偉いさんは、(あくまでも私の印象だが)Aさんのことは認めていたが、Bさんのことは認めていなかった。議論の場だから、侃々諤々あっていいのだが、Bさんに対しては、やや小ばかにするような姿勢があった(学歴や職歴、年齢などが自分より下だったからだろうか?)。その光景をみた私は、「人から認められないということは、つらいことだな…」と思った(笑)。

※自己承認だけでは、何ともしがたいこともある。

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 認められないと悲惨だから…

認められないと悲惨だから、認められたいと思う。

認められない悲惨さは、今書いたとおりだ(笑)。悲惨さには、2種類あると思う。ひとつは、自分の内面の問題だ。他者から認められないと、「自分はダメな奴だ」と思う。「お前は何をやらせてもダメだな」と大人に言われた子供の気持ちを考えてみよう。そう言われたら、自分に自信を持てず自己肯定できない子供になってしまうだろう。自分に価値があるとは思えなくなるはずだ。

もうひとつは、対人関係において上手くいかなくなる、ということだ。自分が萎縮して上手く行かなくなるということもあるが、萎縮しなくても「認められなかった学者さん」のように、小ばかにされたり、軽んじられたりすることがあるのだ。これでは、対等のコミュニケーションができない。

※認められないと厳しいから、認められたいと思うのだ。

 認められればいいことがある

逆に、他者から認められればいいことがある。

そうなれば、単純にうれしく、気持ちがポジティブになる。他者に認められることで、「自分には価値がある」と思えるようになり、自己肯定できるようになる。他者に認められたことが、自己肯定するための合理的な根拠になるためだ。

また、他者から侮られる、ということがなくなる。バカにされたり見下されたり、いじめられたり…ということがなくなり、他者と対等のコミュニケーションがとれるようになる。気持ちが前向きになり、自己肯定でき、他者と堂々と渡り合えるのであれば、結果もおのずとついてくるだろう。

※多少の劣等感であれば、承認を受けることで払拭することができるだろう。

 行き過ぎるとまずいことに…

以上のことから、認められたいと思う気持ちは、自然なものであることがわかる。

だが、この気持ちが行き過ぎるとまずいことになる。ときどき、「自分を認めろ」とばかり、グイグイ攻めてくる人がいる(笑)。経営者だと、サイトや事業報告書に自分の大きな写真を乗せている人、著名人だと、SNSで自分アピールがすごい人、身近な人だと自慢する人が「その人」にあたる。

このタイプの人は、本人に悪気はないと思うが、まわりから嫌われたり、疎んじられたりする。掲示板などをみると案の定、「承認欲求や自己顕示欲が強くて嫌な奴」とされている(本人は自分のことなので、自分の評を見ても気付かないのだろう)。承認の押売りはまずい、ということだ。

※焦っており、余裕がないようにも感じる。

 他人軸で生きてはいけない

認められたいと思いすぎると、自分軸を忘れることがある。

常に他者の期待を満たすことを目的にして、言動を選んでしまう…ということがあるのだ。たとえば、親の期待を満たすために、親が望むことをしようとする子供がいる。自分がそうすることで、親が喜び親の愛情を得ることができる、と認識するためだ。

だが、このことは自分の中で「偽りの自己」を発達させることになる。偽りの自己を発達させてしまうと、相手の期待を満たす言動をとったときのみ、自分は価値のある人間だ、と思うようになる。そのため、他者からこう見られたいという形を目指し、自分を装うことになるのだ。

これは、自分軸を捨て他人軸で生きるということだ。

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 まとめ

今回は、他者に認められたい心理について書いてみた。

他者に認められたいという気持ちは、程度の差はあれ誰もが持つ自然な感情だ。他者に認められると物事(ひいては人生)が上手く行くが、認められないとそうではないためだ。なので、この気持ちを否定することはないし、「他者の期待を満たすことで認められる必要はない」と肩肘を張る必要もないだろう。

自分軸がありそれがぶれない限り、他者の期待を満たしてもいいし、他者の承認欲求を満たしてもいいのだろうと思う(良いコミュニケーションは、お互いの敬意の交換により成立する)。ただ、この気持ちが行き過ぎるとまずい、ということは頭にいれておきたい。

今回の記事:「あなたには認められたい心理がある」