名作と評価される「風と共に去りぬ」という映画を知っていると思う。
だが、名作だからおもしろいだろうと期待してこの映画をみても、「大しておもしろくない」と感じるかもしれない(笑)。主役のスカーレット・オハラが、共感しにくいタイプの人物であることと、映画の背景にあることをよく知らないためだ。
ちなみに、戦後の日本では、スカーレットに共感しやすい状況があり(敗戦から立ち直るが、志を失うという状況)、大ヒットしたそうだ。
今回は、「風と共に去りぬ」をみる前に知っておきたいこと、について書いてみたい。
目次
映画製作当時のこと
原作は、1936年に出版されたマーガレット・ミッチェル原作の「風と共に去りぬ」。
主演は、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル、監督は、「オズの魔法使」でも有名なヴィクター・フレミングだ。日本での公開は、戦後の1952年(13年後)になる。
第二次世界大戦開始年
1939年といえば、ノモンハン事件(日ソ国境紛争。両国合わせて2万人弱の戦死者が出ている)が起こり、ドイツ軍のポーランド侵攻から第二次世界大戦が始まった年である。この年には、アメリカが日米通商航海条約を破棄する、という日本にとっては大きな出来事もあった。
驚愕のカラー作品だった
黒澤明が「姿三四郎」で監督デビューしたのが1943年(昭和18年)のことだ。
ゆえに、「風と共に去りぬ」は、黒澤明の監督デビュー4年前に公開された作品になる。黒澤作品がカラーになったのは1970年のことだが、この映画は、1939年でありながらカラー作品である。
※日本の軍隊関係者がこの映画をみて、「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」と衝撃を受けたそうだが、さもありなんだ。カラーについてだけ言えば、31年もの差がある。
メガトン級の大作だった
風と共に去りぬは、当時としては超大作だった。
製作費だが、「オズの魔法使」は約280万ドルで、当時としては「莫大な製作費」とされている。
一方、「風と共に去りぬ」は390万ドルで、莫大な製作費を超える製作費になる。これだけの資金と3年という年月を使って、3時間42分という長編映画を作った、ということになる。
15年後に公開される黒澤監督の名作「7人の侍」だが、この映画も超大作とされる(数千人を動員し、1年以上かけて撮影をしている)。この「7人の侍」の製作費だが、2億1千万円だ。この金額からも「風と共に去りぬ」の製作費がケタ外れにすごい、ということがわかると思う。
※映画を見ると、スケールの大きさを感じることができる。
風と共に去りぬの時代背景
この時代のこと
風と共に去りぬの時代のことも、知っておいた方がいい。
スカーレット・オハラは、1845年にジョージア州で生まれている。
南北戦争は、1861~1865年だから、スカーレットが16歳のときにはじまり、20歳で終わったということになる。スカーレットが炎上するアトランタを脱出するシーンがあるが、あれは1864年(19歳)のことだ。
※原作では、1861~1873年(16~28歳)の話になる。
寺田屋事件~龍馬暗殺
そのころ、日本では何があったかというと…
1862年、寺田屋事件(薩摩藩の尊皇派が、島津久光により鎮撫された事件)、生麦事件(薩摩藩の藩士が英国人を殺傷した事件)、1863年、新撰組結成(芹沢鴨暗殺)、薩英戦争勃発、1864年、池田屋事件、禁門の変(長州敗北)、長州征討、1866年には、坂本龍馬が暗殺されている。
※この時代、日本もアメリカも内戦をしていたのだ。
南北戦争のこと
南北戦争についても、知っておいた方がいい。
南北戦争は、1861~1865年に起こった内戦だ。
南部と北部の利害の対立が、戦争にまで発展してしまった。当時、南部では、広大な土地に単一作物を栽培し、それを欧州へ輸出することで経済を回していた(自由貿易を志向していた)。支配層は農園の所有者であり(スカーレットの父親もそうだ)、黒人の奴隷が労働力となっていた。
北部有利とした理由
それに対し北部は、工業化が進んでおり奴隷を必要とせず、欧州製の工業製品よりも競争力を高く保つために、保護貿易を志向していた。これらの違いが対立を生み、それが先鋭化し内戦になったのだ。映画の中で、レット・バトラーが、戦争になると北部が有利だと語るシーンがあるが、南部と北部の工業化の違いを考えると、納得できるだろう。
リンカーンのこと
1860年の大統領選に勝利したのは、エイブラハム・リンカーンだった。
南北戦争が起こると、リンカーンは、北軍の最高司令官として指揮をとる。
そして、戦争真っ只中の1862年に、奴隷解放宣言を行った。なので、スカーレットら南部の人たちからみると、憎き敵軍の司令官ということになる。映画の中でも、リンカーンがどうの…というセリフが出てくる。
※リンカーンは、1865年に暗殺された(56歳だった)。坂本龍馬暗殺の1年前のことだ。
地理・「ヤンキー」のこと
タラはどこにある?
スカーレットの心のよりどころは、「タラ」だ。
最初この映画をみたとき、タラというのは地名だと思ったのだが、オハラ一家が所有する大農園の名称だ。
アトランタ(ジョージア州)の南にあるジョーンズボロという町に実在した農園をタラのモデルにしている。アトランタはフロリダの北側に位置する州であり、アトランタの南端から20キロ南に進むと、ジョーンズボロに達する。
映画では、スカーレットたちが戦火を逃れ、アトランタからタラへ戻るシーンがあるが、30~40キロの距離を馬車で一気に駆け抜けた、ということだ(馬がああなってしまうのもわかる)。
あの場面がタラの丘
余談だが、この「タラ」という名前は、アイルランドのタラ(タラの丘)という地名に由来する。
スカーレットの父であるジェラルドは、アイルランドからやってきた移民なのだ。映画では、父と娘が丘の上で夕日に包まれる、という重要なシーンがあるが、この丘がタラの丘なのだろう。
ヤンキーの意味は…
映画では、「ヤンキー」という言葉が出てくる。
野球好きな人にはお馴染みのNYヤンキースのヤンキーだが、
NYを含めニューイングランド地方(北東部の6州:メイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカット)に住む人のことを指す。
彼らは自分で名乗るぐらいだから、ヤンキーが蔑称だとは思っていないが、スカーレットのいたジョージア州では、今でもヤンキーを蔑称として使う人がいるようだ。映画では、北部の住民を指す言葉(蔑称)として、使われている。
※北部出身の使用人に対し、ヤンキーという言葉を使う場面もあった。
すごい俳優が出演していた
V.リーとC.ゲーブル
スカーレット・オハラを演じたのは、ヴィヴィアン・リーだ。
1913年生まれなので、映画の公開時は26歳になる。
19歳のとき結婚し、翌年子供を出産している。なので、出産を経て「風と共に去りぬ」に出演したということになる。この映画に出演するまで、世界的にはほぼ無名の女優であった。
バトラーは当て書きだった
レット・バトラーを演じたのは、クラーク・ゲーブルだ。
1901年生まれなので、ヴィヴィアン・リーとはちょうどひと回り違う。
映画公開時は38歳。
「風と共に去りぬ」の原作者マーガレット・ミッチェルは、彼をイメージしてレット・バトラーを描いたそうだ(無名のヴィヴィアン・リーとは違い、ゲーブルはすでに大スターだった)。
助演も名俳優だった…
アシュレー・ウィルクスを演じたのは、レスリー・ハワードだ。
1893年生まれなので、(映画ではとてもそうは見えないが)クラーク・ゲーブルより8歳も年上になる。
日本生まれの大スター
メラニー・ハミルトンを演じたのは、オリヴィア・デ・ハヴィランドだ。
彼女は(父親の仕事の都合で)日本で生まれている。
どことなく、日本人的なものを感じるのはそのせいだろうか。彼女は、アカデミー主演女優賞を2度受賞する、という輝かしい経歴を持つ(「風と共に去りぬ」公開から7年後の映画で、最初のアカデミー主演女優賞を獲得)。
※ヴィヴィアン・リーとオリヴィア・デ・ハヴィランドはアカデミー賞を2度受賞、クラーク・ゲーブルも受賞したことがあり、レスリー・ハワードはノミネートされたことがある。
映画・風と共に去りぬ - サマリー
まとめ
今回は、「風と共に去りぬ」をみる前に知っておきたいこと、について書いてみた。
最初にこの映画をみたときの感想は、「スカーレットは嫌な人だな…」、「スカーレットに感情移入できないので、あまりおもしろくないな…」というものだった。名作と聞いていたので、ハードルを上げていた…ということもあるだろう。とにかく、大しておもしろいとは思わなかった。
だが、当時の時代背景や南北戦争のこと、地理のことを知ってみると、かなり内容に入りやすくなる…ということがわかった(推奨)。初見では、タラとアトランタの位置関係がよくわからなかったのだが、それだけでも知ってみると、よりリアルに感じることができるようになるものだ。
※また、新撰組が京都の町を走り回っていたころの話だと考えると、何か感じるものもある。
今回の記事:映画「風と共に去りぬ」をみる前に知っておきたいこと