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帰納と演繹の違いをわかりやすく説明する

推論の形式には、「帰納」と「演繹」がある。

対義語の関係にある両語だが、学生時代は混同することがあった。帰納は「帰ることで納める」、演繹は「ふえんえき」、敷衍(おし広げること)+演繹のえき、と覚えれば混同することはない。自己流の覚え方だが、それぞれの意味にも合致している覚え方だ。

※敷衍は「ふえん」と読む。

今回は、帰納と演繹について書いてみたい。

目次

帰納とは

帰納とは、個別の具体的な事例から、一般的な法則を導くことだ。

たとえば、複数のつぶれた中小企業において、取引先&売上げが減る、負債の比率が大きくなる、社長が金策に走り回る、オフィスが移転して規模が小さくなる、キーパーソンが退職した、ほかにも退職する人が目立つ、という事実が観測されたとしよう。

これらの事実から、「人とお金が○○程度離れると、小さな会社はつぶれる」と結論付けることができる。ここでは、「人とお金が○○程度離れると、小さな会社はつぶれる」というのが、一般的な法則になる。

また、データを集めて回帰モデルを求める、ということがあると思うが、この回帰モデルも一般的な法則にあたる。ただし、回帰モデルが完璧ではないように、帰納により導いた一般的な法則の精度にはバラつきがある。

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・そう簡単な話ではない

ただし、実際に使おうとするとむずかしい。

たとえば、自分のブログのデータから、ブログのPVを上げるための一般的な法則を求めようとしているのだが、なかなか上手くいかない。精度の高い回帰モデルを作ることができないのだ。

演繹とは

演繹とは、論理的推論により結論を導き出すことだ。

演繹の代表例としてよく持ち出されるのが、三段論法だ。1)ストレスは身体にダメージを及ぼす、2)私は他人よりもストレスを受けやすい、3)私は他人よりも身体に(ストレスによる)ダメージを受けている、というものだ。

三段論法では、「大前提⇒小前提⇒結論」となり、前提が正しければ結論も正しくなる。この例の場合は、大前提は必ずしも正しくなく、小前提の真偽も不明なので、結論は間違っている。ストレスは身体にダメージを及ぼすと思い込んでいる人は、考えを改めた方がいいだろう(笑)。

※演繹では前提が正しければ、結論も正しくなる。前提が間違っていれば、そこから積み上げて導いた結論も間違うことになる。

帰納+演繹

帰納と演繹で、ウィキペディアにわかりやすい説明があったので紹介したい。

重いものと軽いものを同時に落とせば、直感的には重いものが早く落ちると思う。ガリレオは、このことに疑念を持ったのだろう。実験を通じて、物体の落下速度が質量に比例しないことを示した。実験を通じて示したので、「帰納的な判断」ということになる。

ここからガリレオは、物体の落下速度は質量にかかわらず一定だと考えた。これを大前提とすることで、演繹の道が開けた。物体を落下させる実験を行わなくても、その落下時間を計算できるし、全く異なる条件下で同じ実験を行った場合の結果についても、値を得られるようになったのだ。

帰納で演繹の大前提を求めればいいのだ。

ブログであれば…

ブログであれば、PVを大量に集めている複数のブログからデータをとる。

※自分の書いたヒット記事からデータを集めてもいい。

どんなデータをとるかという部分にセンスが必要かもしれないが、そこから帰納を用いて一般的な法則を導く。たとえば、ブログでは「2千字以上書くことがいい」とされているが、その常識めいたことが覆る可能性もある(2千字未満でも、よく読まれている記事はある)。

それらしい一般的な法則を導き出せれば、それを真似するもよし、それを演繹の前提にしてさらに思考を進めてもよしだ(演繹をすれば、より多くの情報を導く(得る)ことができる)。まずは、帰納でそれらしい一般的な法則を導き出せるかどうかが肝になる。

年齢に応じた推論を使う

年齢に応じた推論を使えばいいのかもしれない。

若ければ演繹的、歳をとれば帰納的に推論する、ということだ。歳をとると計算力は落ちるが、直観力は伸びる。なので、どんなデータを取るかという部分に、直感を使うことができる(上でセンスが必要かも…と書いた部分だ)。

若ければ、直観力は落ちるが計算力がある。なので、演繹的な思考が向いているのだ。将棋の棋士が手の見えない中盤で指し手を選ぶ際、若い棋士は論理を軸にして、年配の棋士は直感を軸にして選ぶ、ということがある。もちろん、若い棋士が直感を使ったり、年配の棋士が論理を使うこともあるのだろうが、前者の方が(己の特長を活かせるため)自然なのだ。

※年齢に適した推論を中心にすれば、上手くいくのかもしれない。

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まとめ

今回は、帰納と演繹について書いてみた。

それらしい一般的な法則から演繹を使い事象を説明する、という試みは魅力的だ。なので、たとえば経済学者は、「消費者は期待される効用を最大化する行動を選ぶ」という前提から演繹をする。

また、効率的市場仮説というものがある。これは、「市場は常に情報的に効率的である」という仮説だ。つまり、株価であれば、市場は株価の価値を決定づける情報を反映している(情報が織り込まれている)、ということだ。そこから、株価は常に公正であり、投資家が株を安く買ったり高く売ったりすることはできない(市場平均には勝てない)、となる。

この仮説が正しいかどうかは置いておくが、仮定を前提として演繹しよう、そして、現実の事象を説明しようという試みだ。このとき必要になるのは、それらしい一般的な法則を見い出すこと、当てはまりのいいモデルを作り出すことだ(そうすれば、演繹の精度が上がり結論の間違いが少なくなる)。

今回の記事:「帰納と演繹の違いをわかりやすく説明する」