不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

自己正当化する人の心理|あなたがそうする理由など

自分を正当化する、という人がいる。

そのタイプの人は自己欺瞞をする人であり、自分の中に矛盾があっても、それを知りつつ、無理にでも自分を正当化する人である、というイメージがある。なので、いいイメージはないだろう。

だが私たちは、たまには自己正当化をするものだ(笑)。場合によっては、自己欺瞞が役に立つ、ということもある。今回は、自己正当化する人の心理などについて書いてみたい。

目次

図々しい頼みごとをしていたY君

自分を正当化するイメージ

以前、臆面もなく知り合いに頼みごとをする、という人がいた。

半ば仕事に近いような頼みごとで、頼まれた方は迷惑したと思う。

Y君は手土産も持たずにそうしていたので、「(そんなことをして)問題ないのか」と尋ねたところ、「彼にとっては簡単な作業だから問題ない」、「彼にもこの作業をするメリットがある」というようなことを述べていた。

その言い分に合理性があるとは思えず、Y君は自分の行為を正当化していただけだったと思う。

この話のおもしろいところは、Y君が自己正当化していたことは明らかだが、頼まれた方も自己正当化していたであろう、という点だ。

頼みごとをされた方も正当化する

私も同様の頼みごとをされたことがある。

そのときは、正直面倒だと思う(笑)。「どうして、自分が(大切な時間を使い)こんなことをしなければいけないのか」とか、「相手はこちらの時間の価値を軽く考えているよね」と思う。

だが、頼みごとを受けると決めたら、そこから自己正当化が始まる。

実は、この作業はおもしろいのではないか。人から頼まれないとやらないような作業なので、いい経験になるのではないか。この作業を通じて、何か発見や気づきがあるかもしれない。

また、頼んできた人との関係がよくなるのではないか、他者に与えることはいいことではないか、などと、自分が頼みごとを受けたことを正当化するのだ(笑)。

スポンサーリンク
 

認知的不協和を解消し正当化する

これまで挙げた例は、認知的不協和を解消するための自己正当化だ。

認知的不協和とは、「矛盾する認知を同時に抱えた状態」を指す。人は自分自身の中に矛盾があると、気持ちがよくない。なので、矛盾があるときは、矛盾を解消するために態度などを変える。

イソップ寓話の「すっぱい葡萄」の例では、手の届かないぶどうに対する見方を変えることで、矛盾を解消した(「甘くておいしい葡萄 ⇒ すっぱい葡萄」とした)。

先の頼みごとの例では、頼んだ方は「さほど手間がかかることではない」、「相手にもメリットがある」とし、頼まれた方は「自分にもメリットがある」と考えることで、矛盾を解消し自己正当化した、ということだ。気持ちの悪さを自己正当化により、解消したのだ。

自己責任バイアスによる正当化

自己責任バイアスにより自分を正当化するイメージ

自己責任バイアスによる正当化、というものもある。

自己奉仕バイアスともいうそうだが、成功したときは自己の能力など、内的要因が原因であるとし、失敗したときは運や環境など、外的要因のせいである、とすることだ。

仕事上で失敗したときに、「(上司の指示の不備や社内の仕組みのせいであり)自分のせいではない」とする人がいるが、自己責任バイアスによる正当化を行っている可能性が高い。

コミュニケーションでもあること

この話は、コミュニケーションの問題にもある。

人に対し、不適切なコミュニケーションをとる、という人がいるとしよう。たとえば、あいさつをしないとか、いつも仏頂面で笑顔を見せないとか、人に対する好き嫌いが激しく、対応に差をつけてしまう、という人のことだ。

こんな人にも言い分はある。親に問題があった、幼少期の環境に問題があった、学校に問題があった、いじめられたことがある、トラウマがある、などだ。だがそれが事実でも、外的要因のせいにして、(現在負うべき)自分の責任を回避している、ということになる。

自己責任バイアスにより、自分を正当化している、ということになるのだ。

自己正当化は使いよう

基本的には、自己正当化は好ましくないと思う。

そうすることには、他責思考に陥りやすくなり、1)成長できなくなる、2)他者からの評価が悪くなる、というデメリットがあるためだ。自分が責任を感じなければ、改善するための行動につながらない。他者の評価が悪くなれば、昇進や仕事にも悪い影響が出てくるだろう。

一方、「自己正当化は使いよう」ということもある。

たとえば、すっぱい葡萄にしても、手が届かないものに対し、「それほど価値を認めない」と認知を変えることでメンタルが安定するのであれば、それはそれでいいのではないだろうか(笑)。

頼みごとをされたときも…

頼みごとをされたときも、認知的不協和を解消するために正当化すればいい。

もちろん、断わりたければ断わればいいのだが、受けてしまった以上は、先に書いたように、この作業は(気づいていないだけで)おもしろいのではないか。人から頼まれないとやらないような作業なので、いい経験になるかもしれない、と考え、前向きな気分で作業した方がいいだろう。

これは、気持ちを切り替える、ということだ。

※得るものが何もなかったとしても、今後ある同様の依頼を断る根拠にはなる。

スポンサーリンク
 

まとめ

今回は、自己正当化する人の心理などについて書いてみた。

人は自分を正当化するものだ。認知的不協和を解消したいとする気持ちや自己責任バイアスがあるために、そうなってしまうのだ。自己正当化のデメリットを避けるためには、他責にしない、都合の悪い情報にも好奇心を持つ、などの対処が考えられる。

一方、自己正当化を上手く使う、という方法もある。

代表的なのが、気持ちの切り替えだろう。たとえば、学校を卒業してから何年も経つのに、学歴コンプレックスに悩まされている人がいるが、そんな人は、「学歴がすべて」から「仕事の成果がすべて」に認知を変えると、学歴コンプレックスから逃れることができるだろう。

今回の記事:「自己正当化する人の心理|あなたがそうする理由など」