人生をやり直したい…と思うことがある。
たとえば、情報や知識不足で大きな判断を誤った、ちょっとした注意や手間を省いたために、人生スケールで大変なロスが発生してしまった。
自分の不要なプライドを優先したために、人生の大事な局面で、非合理的な判断・選択をしてしまった…など。こういうことがあると、過去に戻り、選択をもう一度やり直したい、と思う。
今回は、人生をやり直したい…と思うときどうすればいいのか、について書いてみたい。
目次
- 目次
- 人生をやり直したい…と思うことがある
- なぜ「人生を間違えた」と思うのか
- 後悔には意味がない
- うしろを向いて前には進めない
- 反省はすればいい
- 集めたデータを活かす
- これまでより粘る
- 時間がかかることを理解する
- まとめ
人生をやり直したい…と思うことがある
人生をやり直したい…と、思うことがあるかもしれない。
たとえば、文系・理系の選択を間違えた、入る学校や会社を間違えた(受験先を間違えた)。
転職先を間違えた、転職するタイミングを間違えた(転職すること自体が間違いだった)、長い目で健康や資産形成のことを考えるべきだった。
自分に対する接し方を間違えた、他人との接し方を間違えた。
パートナー選びを間違えた、離婚したのは間違いだった。子供の育て方を間違えた、など、大きな問題で(後から)自分が間違えたと思うと、「やり直したい」という感情に囚われる。
なぜ「人生を間違えた」と思うのか
ではなぜ、「人生を間違えた」と思うのだろうか。
その選択をすることにより、自分が意図する道から悪い方に逸れてしまい、時間と共にどんどん逸れ幅が大きくなり、もはや修正がきかない状態で、好ましくない方に向かって進む(もしくはそういう状態にある)自分を認識するためだ。
※どん底で喘ぐ自分の姿に気づくと、人生を間違えた…と思う。
当然、自分が下した判断を間違いだと思いたくない。なので、しばらくは抗うが、厳しい現実を突きつけられ、選択と結果の因果関係がはっきりしたと感じる時点で、「間違えた」と思うのだ。
※間違えた…と思うと、やり直したいと思ってしまう。
後悔には意味がない
間違えたと思って後悔しても、意味がない。
後悔して現在や将来がいい方に変わるのであれば、後悔には意味がある。
だが、いくら後悔しても、それらがいい方に変わることはない。逆に、悪い方に変わる。あのような愚かな判断をした自分を許せない、となれば、自己承認できなくなる。結果、他者承認もできなくなり、ドツボにはまる。
親のせいで、教師のせいで、上司のせいで…と思えば、他責になり、自らの成長の芽を摘み取ってしまったり、他に責任を転嫁する「恨みがましい人」になり、他者からの評価が地に落ちる。
※後悔することは、「未来の利益を盗むこと」なのだ。
うしろを向いて前には進めない
後悔する時間は、必要もないのにうしろを向く時間になる。
顔をうしろに向けて前に歩けば、道を逸れたり、何かにぶつかってしまう。
顔をうしろに向けて車を運転しても同じだ。安全に前に進むために、時折バックミラーでうしろを確認する作業は必要だが、バックするとき以外は、顔をうしろに向けてはいけない。※うしろに向かって歩きたければ、後悔すればいいが、そうしても、人生をやり直すことにはならない。
後悔することは、未来の利益を盗むこと+前に進むことの障害になる、とする。
反省はすればいい
後悔はダメだが、失敗の分析や反省はすればいい。
失敗の分析や反省は、後悔とは異なり、将来に役立つためだ。
たとえば、情報や知識が不十分だったが、自分ではそう思っていなかった、選択肢の見逃しがあった、選択肢の比較・検討が不十分だった、自分にとって都合のいい情報ばかり集めていた、感情的に判断してしまった。地道な努力や積み重ねを過小評価し、避けてしまった。
聞く耳を持たなかった、まわりの判断に盲目的に従ってしまった。
どこかで向き合う必要のあることから逃げてしまった、心を閉ざしてしまった、萎縮してしまった、自分の成長を信じることができなかった、リスクを嫌い石橋を叩きすぎた、一発逆転を狙って、不必要なリスクをとってしまった、諸々の基本的な考え方に問題があった…などだ。
集めたデータを活かす
自分の失敗から集めたデータを、今後に活かすことを考えたい。
人生をやり直したい…と思うほどの失敗をしたのであれば、そこには貴重なデータがあるはずだ。この貴重なデータを活かさない手はない(絶対に活かすべきだ)。
わたしの例だが、ある学校に入学しようとし、現地まで行ってはじめて、「この学校では無理だ」と思い取りやめたことがあった。そのため、かなりの費用や時間が無駄になってしまった。
事前に現地を視察する費用や時間をケチったために、それ以上の損害を受けることになった。これは、人生スケールでロスが発生してしまった例だ(笑)。
このできごとからの教訓は、一次情報を大切にせよ、ということだ。
これまでより粘る
人生をやり直したい…と思いがちな人には、粘りが欠けている。
20代でそう思う人は、30代になってもそう思うだろう。30代で人生をやり直したいと思うのであれば、40代になっても50代になっても、そう思うだろう。
その原因のひとつは、その人に粘りがないことだ(grit 理論で有名になった「やり抜く力」としてもいい)。粘りのある人は、どんな選択をしようが、その環境の中で根を張ろうとする。
たとえ土地が貧しくても、そこから養分を得て、自ら成長しようとする。
一方、粘りのない人は、根を張ろうとしない。自分の選択を後悔してみたり、不平不満をぶちまけてみたり、あきらめてみたり…ということには熱心だが、自ら根を張る地道な努力をしないのだ。
※わたしの「この学校では無理だ」という判断も、粘りを欠いた判断だったかもしれない。
時間がかかることを理解する
結果が出るまでには時間がかかるので、どうしても粘りが必要だ。
これは以前掲載したものだが、初期段階における「努力」と「成果」を表すグラフだ。
青色が「努力」で茶色が「成果」を表す。学習の初期段階では、努力しても成果が伴わない。一部の人は、成果が出なくても、プロセス自体を楽しむことができるので、(成果が伴わなくても)努力を続けることができる。
だが、多くの人は、「努力しても成果が出ないではないか」と感じ、やる気を失いやめてしまう。
だが、地道に正しい努力を続けていれば、人力で海を埋め立てるような途方もない話が、池を埋め立てる話になり、水たまりを埋め立てる話に変わる。つまり、だんだんと努力に対する成果がはっきりしてきて、手ごたえが出てくるのだ。※そのためには、続けなければいけない。
この次のグラフは、以下の記事で確認してください。
まとめ
今回は、人生をやり直したい…と思ったときどうすればいいのか、について書いてみた。
今回の記事で書いたのは、1)後悔しない(うしろを向いて前に進まない)、2)後悔ではなく反省をすればいい、3)集めたデータを活かす、4)これまでより粘る、5)結果が出るまで時間がかかることを理解する、の5つだ。
先にも書いたが、20代で人生をやり直したい…と思う人は、30代以降でもそう思う。
後悔する人は、自分の未来を盗むことになるし(20代で30代の人生を盗んでいる)、人であるかぎり、20代でも30代でも最善の選択を続けることなどできないからだ。
このつまらない繰り返しを絶つためには、何かを変える必要がある。
具体的には、失敗は分析&反省し、学びとして刻む。そのとき集めたデータを活かす(失敗のデータを体を張って集めたと思えばいい)、結果が出るまで時間がかかることを理解し、これまでより粘る、ということだ。人生をやり直したいと思うときは、自分が変わるチャンスでもあるのだ。
今回の記事:「人生をやり直したい…と思うときどうすればいいのか」