不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

好かれたい心理はわかるけど…そう思わない方がいい

人に好かれたい、という心理がないだろうか。

人に嫌われるよりは好かれた方がいい。当たり前のことだ。

だが、人に好かれたいがために、わざわざ特別な言動を選ぶ、ということであれば違うだろう。

もちろん、一般的に好印象だ…とされる言動を選ぶことはいいことだ。笑顔であいさつすればいいし、相手に気配りをすればいい。だが、好かれたいがためにそうすれば、効果を失うことになる。

今回は、この問題について書いてみたい。

目次

好かれたい心理がある

人に好かれたい…と思う人

人に好かれたい…という心理がある。

恋愛であれば、自分の好きな人に好かれれば付き合える。

恋愛でなくても、人に好かれた方が有利だ。敵視されたり足を引っ張られたりすることがないし、傷つけられる…ということもない。マイナス面がないことに加え、良好な人間関係の中で仕事や生活することができる、というプラス面がある。なので、人に好かれることはいいことなのだ。

※ダウンサイドをカットし、アップサイドを取ることができる。

別に好かれたくない…

別に好かれなくてもいいよ…という心理もある。

まず、他人に興味がない、というケースがある。興味がない人にどう思われようがどうでもいい…ということだ。恋愛でもこういうことがあるだろう。興味のない人に好かれても困る…ということがなくはない。

次に、好かれるためにコストがかかる、という理由がある。

きちんとあいさつしたり、笑顔を見せたり、気遣いをしたり、失礼のないようにすると同時にリスペクトしたり…ということが面倒でコストである、と考えると、別に好かれなくても…と思う。

※自分らしさを抑えることを負担に感じることもある。

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そう思わなくていい理由は…

媚に転化することがある

好かれたい…という気持ちが、媚びに転化することがある。

あえて相手に気に入られるような言動を選ぶ、ということだ。

相手の趣味趣向、嗜好、性格、考え方を調べ上げ、自分の哲学・正邪善悪のフィルターを通した上で、相手が気に入るであろう言動を選ぶ…ということであれば、別に文句はない。そこまでできるのであれば、やればいいと思う。

だが実際は、下心が透けて見えている単なる「イエスマン」程度にしかならないものだ。

好かれたいと思うと緊張する

恋愛の場合はそうだと思うが、相手に好かれたいと思うと緊張することがある。

※意識をすると緊張するのだ。

相手と関係性が何もなく、今後会うことはない…ということであれば、相手が好みのタイプであっても緊張することはない。だがそうでなければ、かなり緊張することになる。自分が相手に興味を持ち、「好かれたい」と思うことが緊張につながるのだ。※ミスできない…と思ったりする。

緊張するとコミュニケーションがうまくいかなくなり、残念なことになる。

特定の人を対象にすると…

特定の人に好かれたい…と思うと、言動に偏りが生じてしまう。

以前、明らかに「ある人に好かれたい」と思っている人がいた。

まわりから見ても明らかなのだ。ある人をBさんとし、Bさんに好意を持つ人をGさんとしよう。Gさんは、BさんとBさん以外の人と接する際の態度が全く違った(笑)。

Bさんに恋愛感情があったためか、Bさんと接するときは目がキラキラして表情も緩みっぱなし…という感じだった。ところが、Bさん以外の人と接するときは目が死んだ魚のようになっており、表情が暗かった。

こういう言動の偏りは好ましくない。差別的だな…と思われてしまう。

自分の評価を落とすことになる

言動の偏りは、自分の評価を落とすことになる。

わたしも、部長に対してはやけに丁寧に接するよね…と言われたことがある(笑)。

課長にはなめた態度(?)をとっているのに、部長の前ではやけにしおらしいな…ということだ。

わたしの場合は、媚びているというよりは、権威に弱かったためそういう態度になったのだと思うが、人により言動を変えていると、自分の評価を落とすことになる。何だお前は…となるのだ。

リソースの配分の問題がある

全方位的に好かれようと思えば、リソースの問題が生じる。

以前の記事で、友達が少ない人は、「友達を限定した方が、友達に使うリソースが少なくて済むので合理的だと思う。その分リソースを自分や自分の家族のために使える、と考える」と書いた。

この考えにも一理ある。

全方位的に好かれようと思えば、リソースの消費も大きくなるのだ。特に、自分が無理をしている場合は、リソースをとても消費する。それだけで精一杯でくたくたになる…という感じになる。

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好かれる云々は結果である

好かれる・好かれない、というのは結果である。

結果を直接掴みに行くアプローチは、なかなかうまくいかないと考えている。

たとえば、ブログのPVの目標が30万PV(月間)だとする。この数字を何が何でも達成しなければいけない、となると、自分のアクセスをPVにカウントしたくなると思う(笑)。結果を直接掴みに行こうとすると、このようにグレーゾーンに踏み込みたくなってしまうのだ。

 

好かれたい心理はわかるけど - サマリー

まとめ

今回は、「好かれたい」という心理の問題について書いてみた。

今回の記事で書いたそう思わなくていい理由は、1)媚に転化することがある、2)好かれたいと思うと緊張する、3)特定の人を対象にすると偏りが生じる、4)自分の評価を落とすことになる、5)リソースの配分の問題がある、6)好かれる云々は結果である、の6つだ。

そう思う気持ちは自然なものだと思う。

だが、その気持ちにしたがい行動することは、不自然かもしれない。自然から不自然が生まれる…という変な感じだが、その理由は「好かれたい」という気持ちが下心であるからかもしれない。好かれることで自分が得をしよう…というたくらみが、不自然なものを生み出すのかもしれない。

今回の記事:「好かれたい心理はわかるけど…そう思わない方がいい」