わたしのことだが、昔は、かなりの完璧主義者だったと思う。
以前にも書いたが、(仕事では)自分の仕事はもちろんだが、他人の仕事の細かいところまで厳しくチェックするので、同じチームのメンバーには、かなり煙たがられていたと思う。そのことについて薄々わかってはいたが、当時は人間関係よりも自分の完璧主義を優先していた。
今回は、完璧主義をやめた方がいい、というテーマで書いてみたい。
目次
- 目次
- 完璧を目指すのがいいとは限らない
- 100点を目指すマイナスがある
- 完璧主義者は嫌われる
- 余計な仕事を増やしてしまう
- 費用対効果・心身への影響の問題がある
- リソースの配分に問題がある
- 完璧主義は嫌われる - サマリー
完璧を目指すのがいいとは限らない
完璧を信条としていた当時のわたしは、常に100点を目指していた。
当時のわたしの理屈は、「神は細部に宿る」のだから、細かい部分についても、おろそかにしてはいけない。100点を目指しても、実際にはミスもあり、90~95点ぐらいになってしまう。
なので、初めから90点を目指したら、80~85点になってしまうではないか。そんな点数ではダメで満足できない…。そうであれば、最初から100点を目指すべきだ、というものだった。
一理あるが…
もちろん、この理屈にも一理ある。
100点を目指さなければ、高得点はとれない。90点を目指して100点とれる…ということはないのだ。100点を目指そうとすれば、ちょっとしたケアレスミスも許されなくなる。したがって、時間と労力をかけて細部までチェックする「完璧主義」にならざるを得ないのだ。
100点を目指すマイナスがある
それでも今は、「完璧主義は害が大きい」と考えている。
そもそも、本当に100点を目指すことがいいことなのか…という問題がある。
たとえば、自分が100点を目指すことで、他者に迷惑をかけたり、(迷惑だと感じた)他者から嫌われる、ということがある。チームメンバーに嫌われると、チームの雰囲気が悪くなり、(自分が100点を取ったとしても)チームとしてのパフォーマンスが落ちる、ということがある。
つまり、完璧を目指すマイナスもあるため、常にそうすればいい…というものではない。
完璧主義者は嫌われる
完璧主義を貫くと嫌われる
上でも述べたが、完璧主義を貫くと、人間関係が悪くなることがある。
これは、実体験に基づく教訓だ(笑)。
個人で完結する仕事であれば完璧主義でも問題ないが、複数の人が参加するプロジェクトではそうはいかない。完璧主義者というのは、完璧なアウトプットを求める。そこは、個人の仕事であろうが、チームの仕事であろうがあまり関係ない。
それでもまだチームの中で下っ端であれば、自分に割り当てられた仕事を完璧にすることで自我を保つことができるが(不満は感じるが…)、チームの中心人物になるとそうはいかない。
チームとして出す成果物に完璧を求めるのだ。そうなると、大変なことになる。
他人に厳しくなる
必然的に他人に厳しくなってしまうのだ。
完璧主義を貫こうと思えば、自分の仕事に厳しいのはもちろんだが、他のメンバーの仕事にも厳しくならざるを得ないのだ。
自分がチームの中心人物である、ということは、そのほかのメンバーは自分より未熟なケースが多い。なので、彼(女)たちの仕事の甘さが目について仕方がない。
嫌われる道へ進む
なので、いちいち細かくチェックを入れて、「ダメ出し」を繰り返すはめになるのだが、そういうことを(相手の気持ちを斟酌せずフォローもなしに)やっていると、確実に嫌われてしまう。
相手に気配りをして丁寧に進めれば、嫌われることはないかもしれないが、こちらも相手の不完全な仕事ぶりにイライラしているので、そうもできないのだ。※気持ちの余裕を持てないのだ。
余計な仕事を増やしてしまう
余計な仕事を抱え込んでしまう
また、余計な仕事を抱え込んでしまう、ということがある。
その理由だが、上述のように、人間関係が悪くなってしまうので、他のメンバーに助けを求めたくても求められなくなる、というのが一点。その結果、本来自分がやらなくてもいいような仕事まで抱え込んでしまう。このことは、自分で「詰み」に向かっているようなものだ(笑)。
自分がやらなくては気が済まない…
自分がやらなくては気が済まなくなる、というのが二点目。
完璧主義者は、人よりも自分の方が質の高い仕事ができる…と考えている。部分的に見れば、実際そうであることは多いのだが…そのため、自分がやらなくては気が済まなくなってしまう。
※他者に仕事を任せミスが多いと、イライラしてくるのだ(笑)。
誰かに任せてやらせたところで、質が低いのでやり直しになる。だったら、最初から自分がやった方が早いではないか…と考える。その結果、これまた、本来自分がやらなくてもいいような仕事まで抱え込んでしまうのである。※これは、経験の浅い管理職がやりがちなミスでもある。
そんなこんなで、このタイプの人は、余計な仕事を抱えがちになるのだ。
費用対効果・心身への影響の問題がある
費用対効果に問題がある
完璧主義は、「費用対効果」に問題があるケースが多い。
80点を90点にするよりも、90点を100点にする方がかなり大変だ。
同じ10点でも、かかるコストが全く違う。100点にするためには、ミスが全く許されない。ケアレスミスひとつあってもダメなのだ。なので、ダブルチェックは当然としても、トリプルチェック以上が必要になることもよくある。何度もチェックする作業は、精神的にも大変だ。
かかるコストが指数関数的に増える
つまり、完璧を目指せば、かかるコストが膨大になるのだ。
完璧を目指せば目指すほど、かかるコストが指数関数的に増える、というイメージだ。はたして、そのコストに見合うだけのリターンがあるのだろうか?ほとんどのケースでは、ないだろう。
肉体・メンタルに悪影響を及ぼす
完璧主義は、心身に悪影響を及ぼす。おかしくなりそうなこともある。
上述したように、人間関係がギクシャクし、余計な仕事を抱え込んでしまうような状態になってしまうと、肉体やメンタルに負担がかかるようになる。肉体やメンタルが不調になると、パフォーマンスに負の影響が出るが、完璧主義者は(完璧主義ゆえに)それを容認しないのだ。
完璧主義者が、「理想」と「実際のパフォーマンス」の間のギャップが広がるような状況の中で仕事をするのはつらい。精神を病みやすい状態だと言っていいだろう。そんなとき、オール・オア・ナッシングの傾向が強い完璧主義者は、仕事を投げ出したくなるので注意が必要だ。
リソースの配分に問題がある
無駄にリソースを使っている可能性がある
以前、わたしは同僚に、チームで使う機材の配線をするよう指示したことがある。
テスト用の機材で、1週間もすれば引き取られるものだ。なので、そのまま普通に(ケーブルが見える形で)配線してもらえればよかった。※彼にはそうすることを期待していた。
わたしがこのあたりの背景をキチンと説明して指示すればよかったのだが、そうしなかったために誤解が生じた。彼は、床のパネルを一枚一枚工具を使ってはがし、その下にケーブルを敷設し、外から見えない完璧な配線をしたのだ。※長く使うのであれば、それでいいのだが…
これは、わたしの指示のミスである。わたしに非があるのだが、もし彼が、「何のための機材ですか?」「いつまで使いますか?」とわたしに質問していれば、無駄に完璧な作業をすることはなかっただろう(機材を返すときにまた、床のパネルをはがすはめになった…)。
無駄に完璧な作業をしても意味がない
このエピソードから伝えたいのは、完璧主義者は、無駄に完璧な作業をしている可能性がある、ということだ。
崖に向かって全力で走れば、崖から落ちてしまう。コースアウトして新記録を出しても意味がない。
間違った方向に全力で走ることは愚かなことだ。すなわち、この仕事にどこまでリソースを使うべきなのか、を常に、鵜の目鷹の目で評価する必要があるのだ(俯瞰も必要になる)。
※崖に向かって完璧な走りをしても、全く意味がないのだ(笑)。
無駄なことに貴重なリソースを使っていた…と気づいたときの疲労感・徒労感は半端なく大きい。時間をかけ、無駄に完璧な仕事をしたことのある人は、この気持ちがわかるだろう。
完璧主義は嫌われる - サマリー
まとめ
わたしは、完璧主義は害が大きいので、やめた方がいい、と考える。
理由は、以下の五点だ。
1)他者に嫌われる、2)余計な仕事を抱え込んでしまう、3)費用対効果に問題がある、4)肉体・メンタルに悪影響が出る、5)無駄にリソースを使っている可能性がある
特に、チームワークが必要な仕事において、悪影響が大きく出る。
そのため、「労力をかけた割には、得るものが少ない…」という残念な事態になりかねない。もし、あなたがチームリーダーであれば、その責任を問われることになるだろう。
※完璧主義を治すと、これらのデメリットがなくなることから、気持ちに余裕を持てるようになり、(肩の力が抜けて)これまでより「いい仕事ができる」ということもある。
限定的に使う方法はある
もし、「劇薬」の完璧主義を上手く利用したいなら、限定的に使うことだ。
本当に価値のある部分を見極めて、投入するリソースに見合うだけのリターンがある、と確信した場合は、完璧主義を発動させてもいいだろう。その際も、節目節目でその評価に変わりがないかチェックしたい。チームの仕事であれば、人間関係にも留意する必要がある。
今回の記事:「完璧主義は嫌われる…完璧主義をやめた方がいい」