あなたは失敗について、どう考えているだろうか。
普通は、「失敗してもいい」などと考えることはできない。失敗したときは、人に迷惑をかけたり、嫌な気持ちになるので、「失敗してもいい」とは、どうしても思えないのだ。
たとえば、プライベートでは、希望の学校や会社に入れないこと、失恋や離婚も失敗にあたるかもしれない。そこそこの失敗したときは、ダメージが大きく精神的に落ち込むが、客観的にみれば失敗は、人生において必要な「イベント」だとすることもできる。
今回は、失敗してもいい、という話をしてみたい。
目次
失敗は悪いことではない
失敗という言葉の響きは、たしかに好ましくない。
「失敗を許す」というフレーズがあるが、その裏には「失敗=悪いこと」という前提がある。
たしかに、自分の失敗により誰かが迷惑を被ったとすれば、好ましくないことではある。また、自分が嫌な気分になったり、深くダメージを受けるのであれば、「失敗=悪いこと」になる。
※なので、「失敗してもいい」とは、なかなか思えないのだ。
プレゼンで失敗したが…
以前、私は上司のプレゼンのスライドを用意したことがある。
そのスライドの一部に英文を翻訳したパートがあったが、私のミスで翻訳後のスライドではなく、翻訳前のスライド(英文のみのモノ)を入れてしまった。上司はそのままプレゼンをしてしまい、プレゼンの最中でそのことに気がついた。※後で厳しく叱責された。
私の失敗で上司に迷惑をかけてしまったが、この場合は、上司もプレゼン前にスライドを確認しない、というミス(失敗)を犯している。このように、人生を振り返ってみると、自分の失敗により誰かに迷惑をかけたこともあるし、逆に、誰かの失敗により自分が迷惑を被ったこともある。
大きく考えれば、ある意味、お互いさまだともいえる。
そして、その失敗により、失敗した側が反省・改善し成長したのであれば、その失敗は無駄ではなかったということになる。失敗=悪、というのは短絡的すぎるのだ。
失敗なしでは学べない
あなたは「失敗をしない人」と聞いて、どんな人をイメージするだろうか?
完全無欠の機械のような人だろうか?人間ばなれした、とんでもなく優秀な人だろうか?もしかすると、ポジティブなイメージを抱くかもしれないが、それが正しいとは限らない。
失敗は必要なイベントである
学びには、大きく分けて2通りあると思う。
1)他人から学ぶこと、2)自分の経験を通じて学ぶこと、だ。1)は、書物や歴史を通じて先人から学ぶことを含む。主にペーパーや観察による学びだ。このプロセスで失敗は起こらない。
2)は、自分で悪戦苦闘しながら、前に進む経験から学ぶことだ。
このプロセスにおいて、失敗はつきものだ。失敗⇒学び⇒失敗⇒学び・・・このプロセスを繰り返して、成功に至るというのが普通だ。なので、失敗がつきもの…というよりは、失敗は経験から学ぶために必要なイベントなのだ。あなたにも、失敗から学んだケースがあるだろう。
ある程度のことを成し遂げようとすれば、必ず失敗する。
たとえば、体操選手が大会で華麗な大技を披露するが、ひとつの大技を成功させた裏には、とんでもない数の失敗がある。失敗⇒学び⇒失敗⇒学び・・・このプロセスを何度も繰り返して、やっと成功に至っているのだ。
※失敗してもいい、というより、失敗は必要なプロセスの一部なのだ。
チャレンジをしていない
失敗をしない人は、チャレンジしない人だ。
あなたは「失敗をしない人」と聞いて、どんな人をイメージするだろうか?と書いたが…
失敗をしない人というのは、とんでもなく優秀な人ではなく、単にチャレンジをしていない人だ。リスクをとらず、自分が「できると確信していること」だけをやるという人だ。
※行動回数の少ない人も、失敗が少ない人になる。
なので、目標を立てるときも、自分ができると確信している範囲内で目標を立てる。このタイプの人は、「失敗してもいい」とは考えないタイプだ(失敗を恐れ忌避するタイプだ)。
成長に失敗は必要である
自分はもう成長する必要はない…と考えるのであれば、それでいいかもしれないが、自分は変わる必要がある、もっと成長する必要がある…と考えるのであれば、自分ができると確信している範囲内で目標を立てても意味がない。
自分の成長を目指すのであれば、自分の現在のパフォーマンスで達成できる目標よりも、やや高い目標(チャレンジが必要な目標)を立てるのが普通だ。その差を埋めようとする努力が、成長を生み出すのだ。※その際は、失敗してもいい、というマインドが必要だ。
致命的な失敗は避ける
ただし、「失敗してもいい=どんな失敗でもしていい」ではない。
小さい失敗は、大きな失敗を避ける…という意味でもしてもいいが、致命的な失敗だけは、避けるようにしたい。致命的な失敗というのは、人生を毀損してしまうような失敗のことである。
また、生命にかかわる失敗もそうだ。夏になると毎年必ず水の事故が起こるが、その中には防げたものもあるように思う。このような致命的な失敗だけはしないようにしたい
出典:失敗を自分の中でどう処理するのか?
受験の失敗、就職の失敗など、キャリアにおける失敗は大きく感じる。
だが、それらは致命的な失敗ではなく、十分に挽回可能だ(挽回と考える必要すらない)。致命的な失敗とは、学びがどうの…というレベルではなく、人生そのものをダメにするような失敗のことだ。
たとえば、生命にかかわる失敗というのが、それにあたる。また、(それ以外でも)自分がとれる以上のリスクを取ったケースの失敗も、致命的な失敗になり得るので注意が必要だ。
まとめ
今回は、「失敗してもいい」というテーマで書いてみた。
誰しも、仕事やプライベートで失敗することがあると思うが、客観的にみれば失敗は、人生において必要な「イベント」だとすることもできる。失敗=悪、というのは短絡的すぎるのだ。
※致命的な失敗でなければ、失敗してもいい(必要なイベントなのだ)。
人は必ず失敗するし、迷惑をかける・かけられるは表裏一体だ。
長い目でみれば、どちらの立場に立つこともある。なので、ある意味、お互いさまといえる(ただし、他人に迷惑をかけたのであれば、謝罪は必要だが)。
また、その失敗により、失敗した側が学び成長したのであれば、その失敗は無駄ではなかったということになる。※自分が失敗したときは、失敗から学ぶ意識を強く持てばいい。
失敗してもいいという気構えを持つ
逆に、失敗をしない、ということは問題だ。
学べない、という可能性と、チャレンジしていない、という可能性があるからだ。
失敗から学ぶことはとても大切だ。失敗からしか学べないこともたくさんあるからだ。小さい失敗から学べば、大きな失敗を防ぐことができる、ということもある。
また、成長を目指すのであれば、自分の現在のパフォーマンスで達成できる目標よりも、やや高い目標(チャレンジが必要な目標)を立てるのが普通だが、「失敗をしない」ということは、これができていない可能性があるのだ。※チャレンジしなければ、失敗することもないのだ。
ただし、致命的な失敗は避けたい。この点にだけ気をつけて、失敗してほしい。
今回の記事:「失敗してもいい!むしろ仕事や人生で失敗した方がいい理由」