不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

好きこそ物の上手なれを深く読むと…

「好きこそ物の上手なれ」ということわざがある。

このことわざを座右の銘にしている人もいるだろう。

「好きこそ物の上手なれ」の意味だが、「どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ」(故事ことわざ辞典)だ。

このことわざの意味をもう少し掘り下げて考えると、

好きなコトであれば、誰に強いられることもなく自分から取り組むことができ、モチベーションを保ちながら努力を続けることができる。したがって、スキルが比較的早く上がる、ということだ。

※好きなことであれば、自律的に情熱を持って努力することができる。

今回は、「好きこそ物の上手なれ」について深く考えてみたい。

目次

好きなことをやる人が強い

好きこそ物の上手なれを実践する女性

自分の好きなことをやっている人には勝てない。これは真実だ。

自分の興味や好奇心から自発的に勉強をしている子どもと、親にいわれて嫌々机に向かっている子どものどちらが伸びるのか?と問われれば、答えは明らかだ。(素質が同程度であれば)勉強に対する集中力が全く違うので、勝負にならないだろう。

勉強でもスポーツでも、嫌々取り組んでトップに立つというのは、事実上不可能だ

当初は嫌々だったが、やっている内におもしろくなってきて、気がついたらトップグループに入っていた…というケースはあると思うが、終始嫌々でトップに…というのは無理がある。

同程度の素質を持ち、好きで取り組んでいる人には勝てないからだ。

仕事でも同じこと

これは仕事でも同じことだ。仕事を半ば趣味のようにして取り組んでいる人には勝てない。

彼(女)らにとっては、苦労が苦労でなくなってしまう…というのは言い過ぎかもしれないが、それに近いような状況があると思う。普通の人が苦労だと感じることでも、仕事を半ば趣味にしている人は、あまり苦労だとは感じないのだ。

自分の愛することを仕事に選びなさい。そうすればあなたは一生のうち、1日も働く必要がなくなる。ということわざがあるが、苦労が苦労でなくなる、ということは、こういうことだ。

好きであれば自律性が保たれる

好きであれば、自律性が保たれる。この「自律性」というのがカギだ。

仕事が好きであれば、上司から指示された仕事であっても、「やらされている」という気持ちにはさほどならない。なので、自律性が保たれる。この(他者から)自律性を侵害されない…という感覚は非常に大事で、このことが仕事に取り組む意欲を下支えする

自律性を侵害されるとやる気が…

多少なりとも勉強しようとしていた子どもが、親に「勉強しなさい」といわれ、一気にやる気を無くしてしまう…という現象がある。勉強しようと思っていたけれど、言われたからやめた…となるのだ。

これは、子どもが自律性を侵害された…と感じるからだ。(親の余計なひと言で)自分の意思で行動を選択したい、という欲求を満たせなくなったので、やる気を無くすのだ。

※勉強が好きな子どもの場合は、必ずしもそう感じるとは限らないが、そもそも勉強が好きな子どもであれば、(自発的に勉強するので)親から「勉強しなさい」といわれることがない。

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寝ないでやれるのは好きだから

寝ないでやれるのは、「好き」という気持ちがどこかにあるためだ。

よくスタートアップ企業などで、(数ヶ月程度)睡眠時間を極端に削り厳しい環境で仕事をする…というケースがある。これは仕事に「好き」の要素が少しでもないと、無理なことだ。嫌だと思う仕事を徹夜同然のスケジュールでやらされて、何日もつだろうか。数週間もたないだろう。

※嫌いであれば、ストレスで心身がおかしくなると思う。

わたしは子どものころゲームにはまり、(夏休み中だったが…)徹夜に近い形で何日もゲームに没頭したことがある。そのときは…ゲームをやりたくて仕方がないので、食べる時間も眠る時間ももったいなく感じたものだ。ビジネスでも、このような感覚を持つことは可能だろう。

好きなことでなければ続かない

単純な話だが、好きなことでなければ続かない。

子どものころでも大人になってからでもいいが、おもしろくない習い事を途中でやめてしまった…という経験がないだろうか。特に不器用な人は、興味の対象が狭いことと、意固地で柔軟性に欠けるところがあるので、何かを強いられて始めたら、まず長く続かずにやめてしまう。

当然だが、続かなければ、スキルは上がらない。ビジネスを行う上でスキルが上がらなければ、内外から評価を受けることができない。上司から評価されることもないし、顧客から評価されることもない。会社員としてもダメだし、自分でビジネスを始めてもダメだということだ。

嫌いだと閾値まで努力できない

この記事で書いたように、

自己成長のコツ|粘りが知的な成長をもたらす

粘りが効かないので、「粘ることで新たに見えること」を永遠に目にすることができない

好きなことに取り組んだことがない…という人は、「そういうことがある」ということさえ、わからないかもしれない。結局、好きなことをしなければ、粘りも効かず、成長できないのだ。

※勉強でも仕事でも、粘って閾値まで努力できないと成果は出ない。

 

自分の「好き」がわからなければ…

好きなことがわからない

自分の好きなことがわからない…というケースはよくある。

そういうときは、二つの選択肢がある。1)とにかくがむしゃらに色々やってみる、2)好きか嫌いかわからないが、得意な分野へ足を踏み出す、の二通りだ。

2)についてだが、(誰にでも)好きか嫌いかよくわからないけれど、多少できるかな…という分野があるはずだ。「話す」ことが得意、「書く」ことが得意、「聞く」ことが得意、「表現」が得意、「分析」が得意など、人によっていろいろあると思う。

たとえば、「話す」ことや「聞く」ことが得意なのであれば、コミュニケーション能力が特に重視される分野への進出を考える…ということだ(期待値の高いところへリソースを入れる)。

得意な分野で勝負する

不器用な人は、「自分以上に得意な人はたくさんいるから、そこに入ってもね…」とネガティブに考えがちだが、そうであれば、自分の並や弱いところで勝負しても全く勝ち目がない。

なので、少しでも勝ち目がある土俵で勝負すべきだ。まずは、自分の中の比較でいいのだ

2)の利点はもうひとつある。成功体験を積める可能性が自己比で高い、ということだ。

何でもそうだが、成功体験を積んでいるうちに好きになる…ということは普通にある。成功する ⇒ 好きになる ⇒ 意欲 ↑ ⇒ スキル ↑ 、という好ましい流れができる可能性があるのだ。

 

突き詰めれば二択である

好きなことをやるか好きになる

結局は、好きなことをやるか、好きになるしかない、ということになる。

人が幸せを感じる順番というものがある。

1)好きな仕事をして対価を十分に得る
2)好きな仕事をして必要最低限の対価を得る
3)嫌いな仕事をして対価を十分に得る
4)嫌いな仕事をして必要最低限の対価を得る

他人からみると申し分ないのに、自分では「不幸せだ」と思っている人がいるが、そのタイプの人は赤字で書いた「3」に属する。

このタイプの人は、対価をモチベーションに仕事をしているが、自分のことを幸せだとは思っていない。自分のやりたいことをやれない…という不満を抱えながら仕事をしているのだ。

嫌いな仕事では幸せになれない

つまり、嫌々仕事をして十分な対価を得ても、ハッピーにはなれないのだ

そうであれば、好きなことをやるか、今の仕事を好きになった方がいいのではないだろうか。「自分は不幸せだ…」と思いながら仕事をすることは、自身の健康にも良くないだろう。

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好きこそ物の上手なれ - サマリー

まとめ

「好きこそ物の上手なれ」ということわざがある。

このことわざの意味は、好きなコトであれば、自分から主体的に取り組むことができ、やる気を保ちながら努力を続けることができるので、スキルが比較的早く上がる、というものだ。

正直、好きなことを仕事として取り組んでいる人には勝てないと思う。

そのタイプの人たちは、自分の興味や好奇心を燃料にして、自発的にどんどん前に進むことができる。勤務時間しか仕事をしない、(勤務時間以外で)仕事に関する勉強は全くしない…という人とは、根本的なところで違うような気がする。

仕事が好きであれば、「自律性」が保たれる。この(他者から)自律性を侵害されない…という感覚は非常に大事で、このことが仕事に取り組む意欲を下支えする。この感覚があれば、他者から指示された仕事であっても、うんざりすることなく、前向きに取り組むことができるのだ。

そもそも、好きなことでなければ続かない

嫌いなことを長く続ける、というのは苦痛だ。嫌いなことでも自分が得意で結果を出すことができるのであれば、仕事として成立する(この場合は、マーケットがあることが前提になるが…)。なので、仕事が嫌いでも何の問題もない…とする意見もあるが、わたしは違和感を感じる。

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仕事が嫌いな人にサービスを受けたくない

そのような状態では、本人がハッピーではないからだ。

あなたは、自分が不幸せだと思っている人にサービスを受けたいと思うだろうか?

ときどき、仕事についてはプロフェッショナルだが、表情が暗い、愛想がない、雑談を全くしようとしないなど、人間味がなく他者を寄せつけない雰囲気を出している人がいるが、このタイプの人ではないかと思う。※そんな人には、この仕事をやりたくないのにやらされています…感がある。

嫌な仕事をすることは、本人だけではなく、まわりの人も不快にするのだ。

今回の記事:「好きこそ物の上手なれを深く読むと…」