ブログを書いている人であれば、面白いブログを書きたい、と思うだろう。
ここでいう「面白いブログ」とは、読んで爆笑する、というものに限らず、興味を持って最後まで読んでしまう、というブログのことだ。あなたにも、そんなブログや記事があるだろう。
私の場合は、記事のトピックに関心があり、読みやすく内容があれば、面白いと感じて最後まで読む。つまり、何か価値を感じるため、自分の時間を費やし読もう…という気になるのだ。
では、自分が面白いブログを書くためには、どうすればいいのだろうか。何かおもしろくするための、特別なブログの書き方があるのだろうか。今回は、この問題について書いてみたい。
目次
- 目次
- 素材だけではつまらない
- 面白いブログには付加価値がある
- 明確なポジションをとることが大事
- 思考をスタートさせるスイッチに…
- 摩擦を避けてはいけない
- 反対意見もインプットになる
- 仮のポジションをとってみる
- ポジションは変更してもいい
- 面白いブログの書き方 - サマリー
素材だけではつまらない
素材メインで記事を書いても、面白いブログにならない。
たとえば、普通の「できごと」をそのまま書いてもおもしろくない。
普通の「情報」をそのまま書いてもつまらない。スペシャルなできごとや情報であれば別だが、そんなすごいネタはそうあるものではない。所詮「できごと」や「情報」というのは、素材にすぎないのだ。
素材だけでおもしろくしようとすると、うんとハードルが高くなる。
面白いブログには付加価値がある
面白いブログにしようと思えば、素材を加工して付加価値をつける必要がある。
たとえば、「できごと」であれば、そのできごとについてどう思ったのか(解釈したのか)、そのときどう感情が動いたのか、何を考えたのか、何か学んだことがあったのか…など、ブログの書き手のフィルターを通して(そのできごとから)出てきた主観的なものに価値がある。
付加価値をどう生み出すか…
情報であれば、情報の使い方が問題になる。
情報をメインで構成する場合は、その情報の(読者があまり意識していないであろう)すごさや有益さを解説したり、こんな使い方ができるという独自の提案をしてみたり…という部分に価値が生じる。
単にこの情報を知っていますので紹介します…という話であれば、よほど価値のある情報でなければ、「このブログはおもしろい!」とは感じてもらえないだろう。
高い価値のある情報とは、たとえば、読者のニーズがあるけれど、ググってもほとんど出てこない情報などだ。
つまり通常は、どこにでもある素材を自分で加工し、自分なりの付加価値をつけないと、おもしろくならないのだ。そういう意味では、料理や物作りなどと共通点があるだろう。
明確なポジションをとることが大事
面白いブログにするためには、書き手が明確なポジションをとることが大事だ。
ポジションをとる、というのは、自分の意見を明確にするということだ。「自分を前に出す」としてもいいだろう。これをしないと、記事がおもしろくならない。
自分のポジションをとらず、一般論に終始した無難な記事はおもしろくない。どこか他人行儀で、書き手の個性がみえないからだ。多くの読者に支持されているブログというのは、たいてい書き手の個性がよくみえるものだ。それは、書き手がポジションをとっているからにほかならない。
自分を押し出すと面白くなる
あなたは、どこか他人行儀であいまいな人に魅力を感じるだろうか?
魅力的な人というのは、自分を表に出しているものだ。表情豊かで(他人の働きかけに対し)リアクションも上手にとれる。その「押し出し」が明瞭さを生み、人を惹きつけるのだ。
ブログの記事にしても同様だ。
思考をスタートさせるスイッチに…
明確なポジションをとることが、思考をスタートさせる。
自分はこう思う、というポジションをとって初めて、それをどのように(わかりやすく)読者に伝えればいいのか、どう伝えれば説得力が増すのか、主張の根拠をどうするのか、主張に対する説得力のある反論はないのか…など、自ら考え出すのだ。
つまり、ポジションをとるということが、思考をスタートさせるスイッチの役割をはたすのだ。このスイッチが入った後の、知的なプロセスが記事の質を上げることになると考える。
※面白いブログになる、ということ。
プロセスを信じよ
余談になるが、「トイ・ストーリー」シリーズを制作したピクサー・アニメーション・スタジオには、「プロセスを信じよ」という言葉がある。これに倣って、知的なプロセスが記事の質を上げることになる、ブログを面白くする、と信じてみてはどうだろうか。
摩擦を避けてはいけない
ポジションを明らかにして表現する以上、必要以上に摩擦を避けてはいけない。
他人から批判されるのが嫌なので、あえて自分の意見を抑える…という人がいるが、もったいない話だ。他人と意見の相違がある…というのはごくごく当たり前のことだ。
したがって、(自分がポジションをとり意見をいえば)違う意見の人から批判されることもあるだろう。それも当然のことだ。そして、それを恐れる必要は全くないのだ。
反対意見もインプットになる
以前、お金持ちの特徴について書いたとき、
「それは違うのでは?」という実体験に基づくコメントをいただいた。
コメントの内容は、わたしの記事の内容に対する批判になるのかもしれないが、わたしは何ら不快な思いはしていないし、逆に、そのような意見をいただけるのは「ありがたい」と思った。
たとえ批判的な意見でも、真面目な意見であれば、インプットになるのだ。そして、そのインプットから気づきが生じることもある。他者との摩擦・からみがなければ、気づきもないのだ。
仮のポジションをとってみる
あいまいになったら、仮のポジションをとればいい。
記事を書き始めたはいいが、そのテーマに関する自分の考えが、途中でよくわからなくなることがある。森の上からみて進路を取っていたつもりが、気がつくと進路をロストし、木々の合間をさまよっているのだ。
そんなときは、仮のポジションをとってみてもいい。
上で、ポジションをとるということが、思考をスタートさせるスイッチの役割をはたす…と書いたが、たとえ「仮のポジション」でも、同様の効果が期待できるからだ。
ポジションは変更してもいい
実際に思考を深めてみると、そのポジションが間違っていた…ということは普通にある。
そう感じたときは、ポジションを変更すればいいのだ。自分がとったポジションにこだわって、都合のいい情報ばかりを集める…というのではダメだ。頭は常に柔軟にしておく必要がある。
自分のポジションが間違っていたら、自分にはセンスがない…と思うかもしれない。だが、ポジションが間違っていたと感じることはいいことなのだ。自らの考えが進んだ、深くなった…と肯定的に考えるべきことなのだ。自分の考えが進化(深化)すれば、記事が面白くなるためだ。
面白いブログの書き方 - サマリー
まとめ
今回は、「面白いブログの書き方」について書いた。
ポジションをとる、というのは、自分の意見を明確にするということであり、ブログ記事の質を上げる(おもしろくする)ために必要なことである。
記事の元になる「できごと」や「情報」というのは、素材だ。
料理の素材だけをみても、「おいしそう」とはなかなか思えないだろう。それと同じで、素材だけで記事をおもしろくしようとすると、ハードルが高くなる。つまり、素材を加工し、自分なりの付加価値をつけないと、おもしろくならないのだ。
先日、ブログの読者数によるランキングのエントリーが上がっていたが、多数の読者に支持されているブログというのは、書き手の個性が際立っている。
それは、書き手がポジションをとっているからにほかならない。
ポジションをとれば面白いブログになる
「自分はこう思う」というポジションをとって初めて、あれこれ考える思考がスタートする。
ポジションをとるということが、思考をスタートさせるスイッチの役割をはたすのだ。わたしは、このスイッチが入った後の知的なプロセスが、記事の質を上げることになる、と考えている。
他人から批判されるのが嫌なので、あえて自分の意見を抑えるという人がいる。
これは、自ら切れ味を鈍くしているに等しく、もったいない話だと思う。自分が意見をいえば、それに反論する人も出てくるだろう。それは当然のことで、むしろ歓迎すべきことである。他者の意見との摩擦により自分の考えがブラッシュアップされる…ということは普通にあることだ。
また、摩擦がなければ、新たな気づきもないのだ(摩擦を利用すればいいのだ)。
今回の記事:「面白いブログの書き方|付加価値をつける方法がある」