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日本のハロウィンはおかしい…海外との違いなど

日本の「ハロウィン」に対して、おかしいとか迷惑に感じている人が結構いるようだ。

日本のハロウィンはおかしい、変だ…と感じることは、極めて自然なことかもしれない。

その不快になる気持ちを理解することはできるのだが、不快になっても仕方がないとも思う。ここでは、どうすれば「ハロウィン」を不快に感じなくなるのか、その方法について書いてみたい。

※おかしいだろ…と本気で不快になっても体に悪く損だと思う(笑)。

目次

Halloween のイメージ

Halloween の1シーン

ハロウィーンといえば、このようなイメージだ。

カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある
出典:ハロウィン - Wikipedia

※微笑ましいイメージがある。

たとえば、アメリカでは、ハロウィーンのシーズンになると、カボチャの中身をくりぬいて、ハロウィーンのお化け(?)の顔を模したモノを、家の庭に飾ったりしている光景をよく見かける。また、子どもたちが仮装するイベントとしてもよく知られている(風物詩になっている)。

※子供が仮装して近所を回り、お菓子をもらうイメージだ。

子供が主役のイベント

子供たちが仮装し、近所の家を回る。

Children go in costume from house to house, asking for treats such as candy or sometimes money, with the question, "Trick or treat?" The word "trick" refers to "threat" to perform mischief on the homeowners or their property if no treat is given.
出典:Halloween - Wikipedia

定番の質問が、「Trick or treat?」というやつだ。「Treat」というのは、キャンディや(時には)小銭を意味するそうだ。「Trick」というのは、ここではある種の「脅迫」としている。

つまり、「キャンディをくれないと、不幸になるよ(だからキャンディちょうだい!)」というニュアンスだ。もちろん、本気でそういっているわけではなく、お約束のセリフになる。

この「Trick or treat?」には、(想像だが)1)子どもたちが仮装をして楽しむ、2)子どもたちが近所の人たちとコミュニケーションをとる、という目的があるのではなないかと思う。

つまり、海外の Halloween は、子供たちが主役のイベントなのだ。

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日本のハロウィンは…

では、日本のハロウィンはどうだろうか。

それは、2010年前後ぐらいから盛り上がってきたそうだ。

たしかに10年前は、今日のような盛り上がりはなかったように思う。5年前でもたいしたことがなかったはずだ。※ただし、今現在は、盛り上がっているのは大都市だけ、という気がしないでもないが…

そのうち、地方にも波及するのだろうか?

特に20代の成人による仮装・コスプレのイベントとして日本式にアレンジされたハロウィンが定着した
出典:ハロウィン - Wikipedia

その「日本のハロウィン」の内容だが、本家の Halloween とは異なり、成人が仮装やコスプレを楽しむイベントになっている。※本家とは違い、大人(20代の男女)がメインのイベントだ。

クリスマスに次ぐイベントに

その経済効果はたいしたもので、

2014年のハロウィンの経済効果は1100億円に上り、バレンタインデーの1080億円、ホワイトデーの730億円を抜き去って、すでに6740億円のクリスマスに次ぐビッグイベントとなった
出典:ハロウィン - Wikipedia

すでに、商業的にはクリスマスに次ぐビッグイベントになっているそうだ。

日本のハロウィンは、インスタやツイッターなどのSNSにのりやすいイベントであるため、短期間で急速に広がった…という背景もあるのだろうと思う。いつの間に…という感じではある。

ハロウィンに対する批判

日本のハロウィンに対しては、批判が結構ある。

いろいろな批判があるのだが、本質的な批判は、「オリジナルを理解&リスペクトしているのか?」ということだ。※ゴミがどうとかという批判は、本質から外れるのでおいておく。

西川貴教さん がツイートしたように、

「本来ハロウィンというのは小さな子供たちが仮装をするものであり、大人たちが仮装して我が物顔で歩き回るものではない」

出典:ハロウィン - Wikipedia

こう考えるのは自然なことだと思う。ハロウィーンというのは、先に述べたように、子どもたちの微笑ましいイベントなのだ。もう一度いうが、ハロウィンを消費している大人は、「本家を理解&リスペクトしているのか?」ということだ。※結果的には、そうなっていないのだろう。

ローカライズされて当然

その批判に対する反論もある。

他国の文化は(輸入されて広がるとき)ローカライズされて当然だ、というものだ。

外国にしかない独特のお寿司。寿司は日本の文化。しかし文化は海外に伝わればローカライズされて当然。
出典:メディアとオッサン達によるハロウィン叩きが始まった

この方は「カリフォルニアロール」 とプロ野球の応援の例をひいて説明されている。

プロ野球の鳴り物の応援については、日本では賛否両論あり(否の方が優勢?)、鳴り物を禁止する球場が増えているはずだが、基本的にはアメリカ人がその鳴り物の応援をみて、不快になることはないだろう。

「なんじゃこりゃ?」とは思うだろうだろうが(笑)。

また、「カリフォルニアロール」を提供する店舗やそれを食べるアメリカ人をみて、不快になる日本人もあまりいないだろう。「ふーん」程度だろう。中には、少しはいるかもしれないが。

なので、文化のローカライズをお互い許容しているともいえる。

名称を変えることが条件

ただし、「許容」には条件がある。それは名称を変える、ということだ。

カリフォルニアロールの例では、「カリフォルニア」という固有名詞を名前に入れて、固有のモノにしている。日本の野球は、本家のベースボールではなく、あくまでも「野球」である。

特に、昭和の時代の狭く泥臭い球場+鳴り物の応援は、「野球」文化そのものだ。※輸入された当初は、(そのまま)「ベースボール」だったようだが、その後「野球」になったようだ。

名称をオリジナルから変更すれば、「オリジナルとは違いますよ」ということになる。

Judo の話

たとえば、日本には「柔道」というものがある。

柔道はスポーツではあるが、武道であり、日本の文化といってもいいだろう。柔道は世界のどこでも、「Judo」と呼ばれる。※名称変更がない。

柔道には「礼に始まり礼に終わる」という精神がある。

もし日本の柔道が他国でローカライズされて、この精神がないがしろにされたら…「礼」をせずにいきなり試合を始めたり、「礼」をせずに試合を終了したら、少なくとも柔道関係者は不快に感じるだろう。それは柔道ではない、と思うはずだ。

Judo だから不快になる

それは、(ローカライズした人たちが)柔道を理解していないし、リスペクトしていないと感じるからだ。余談だが、カラー柔道着の導入の際も、日本の柔道関係者は不快に感じたらしい。

当時会場にいた講道館国際部長の安部一郎は「ひとめ見ていやーな予感がした」としていた
出典:カラー柔道着 - Wikipedia

それは、名称が「Judo」だからだ。

もし、「柔道」が他国でローカライズされたときに名称が変わり、「Iodo」だとか「Kodo」であれば、(柔道に対するリスペクトがなくても)日本の関係者は何とも思わないはずだ。柔道とは違うものだと認識するためだ。別物だと思えば、関心が薄くなるし、腹も立たない。

 

日本のハロウィンはおかしい

結論

日本の「ハロウィン」を Halloween だと思うから、おかしいとか不快に感じるのだ。

ハロウィーンではなく、「ハロウィン」だと思えばいいのだ。ハロウィーンが日本に輸入されて広がる過程で、「ハロウィン」というものに名称変更され、ローカライズされたと考えればいい。

※実際、ハロウィーンではなく、「ハロウィン」とする報道も多い。

Haloween の発音

もともと、ハロウィンなんてモノはない。正しくはハロウィーンだ。

Halloween(hæ̀ləwíːn)

したがって、このロジックに問題はない(笑)。

日本の「ハロウィン」を不快に感じている人は、このロジックで、「オリジナルを理解&リスペクトしているのか?」という疑問や憤りを回避できるはずだ。「ハロウィン」は、子供が主役のほほえましいハロウィーンとは別物なのだ。※子供ではなく大人のイベントである。

多少こじつけでも、考え方を変えれば、腹を立てることもなくなるのだ(笑)。

今回の記事:「日本のハロウィンはおかしい…海外との違いなど」