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人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

ものごとや出来事の本質を見抜く方法3つ

あなたは、本質を見抜く目を持っているだろうか。

顕在化した物事や出来事に目を奪われ、それらの理由を単純化して安易に理解&納得し、消化していないだろうか?それでは、ものごとや出来事の本質に迫ることは、到底できないだろう。

他人ごとならそれでいいかもしれないが、自分の問題であれば、常に本質に迫るような見方・考え方を取った方がいい。※他人ごとでも、そこから学ぶためには、本質を見ることが必要だ。

今回は、物事や出来事の本質を見抜く方法について書いてみたい。

目次

 

原因と結果の関係を考える

結果をもたらす原因がある

目に映る出来事は結果であり、背後に原因がある。

たとえば、あなたの現状(職業・年収や社会的なステータス、人脈など)は結果であり、その結果を導いた原因があるはずだ。

したがって、人の現状(結果)の原因は、その人がこれまでに行ってきた努力や選択、考え方ではないか、と仮説を立てることができる(もちろん、運もあるだろう)。

ものごとの本質を見抜こうと思えば、この原因と結果の関係をよく考える必要がある。このとき(原因を探るとき)気を付けたいのは、1回の「なぜ?」で終わってしまわないことだ

人はわかりやすい言説に飛びつきがちだ。

たとえば、なぜ、年初からこれだけ株が下げたのか?と考えたときに、「中国経済の失速が懸念されているから…」で終わっては、とても本質に迫ることはできない。

仮説を立てる

少し前に同様の理由で株が下げたことがあり、今回で二度目になる。

その事実を踏まえ、1)この種の事由は蒸し返される、2)二度目の方がインパクトが強い、3)ほかの要因(Fed の利上げなど)が下げの燃料になっている、など、「…のではないか?」という、自分なりの仮説を立てることが大事だ。※仮説を立てたあとは、検証が必要。

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作用・反作用を考える

ものごとには、作用があれば、反作用がある。

作用した結果、反作用が生じ、それが結果をもたらしているのではないか?ということだ。

たとえば、会社の人間関係で考えてみよう。あなたが同僚や部下に対し、繰り返し非礼(無礼)な態度を取ったとしよう。そのような態度を取られた相手は、必ずあなたに対し不快感を抱く。そして、あなたの足を引っ張る行動を取るようになり、あなたの仕事に支障が出るようになる。

このストーリーでは、あなたが非礼な態度を取ったことが「作用」、相手がその態度に反発したことが「反作用」、仕事に支障が出るようになったことが、その結果だ。結果の原因は「作用」にあたる、あなたが相手に対し、非礼な態度を取ったことだ。

都合よくスルーしてはいけない

結果の「仕事に支障が出るようになったこと」は、観測しやすいのでわかりやすいが、その結果を導いた原因をよく考えず、スルーしてしまうことがある。

または、原因に薄々気が付いていても、「部下から嫌われて一人前」、「同僚に嫌われることを恐れてはいけない」などと、都合のいいように解釈してしまうこともある。

都合のいい解釈は、原因を軽視することにつながる。

溜っていたものがあふれたのでは…

溜っていたものがあふれたため、結果として顕在化したのではないか?と考えることも必要だ。

テレビをみながらコップに水を注いでいるとしよう。それを横で見ている人は、水の量がコップの八分目を過ぎると、「危ないな」と思うはずだ。しかし、当の本人は現状に気付かず、そのまま水を注ぎ続ける。そして、水がコップからあふれると、そこで初めて気が付く…というものだ。

これはたとえ話だが、現実でも似たような話はたくさんある。

先に述べた例でも、一度や二度の非礼であれば、相手は許してくれるかもしれない。しかし、それが続くと、相手は許さないだろう。「仏の顔も三度まで」、「兎も七日なぶれば噛み付く」という格言があるが、溜っていたものがあふれると、結果として何かが起きる(顕在化する)ということだ。

溜ると変化が起こる

余談になるが、溜っているもので、個人的に気になるものがある。

日銀が保有する国債の残高だ。まだ、コップから水があふれている状態ではないが、もしそうなれば、どういう結果を引き起こすことになるのか?ということは、事前に考えておかなければいけない。

いずれにしても、ものごとの本質を見極めるためには、(顕在化している)結果だけではなく、それを導いた背後の原因やメカニズムを、客観的な目でよく見て考えることが必要になる。

 

違う角度から考える

別の角度からながめてみる

ものごとや出来事を違う角度からながめる、ということも必要だ。

有名なだまし絵で、見方によって、「老婆」とも「若い娘」とも解釈できる絵がある。

なぜ、見方に違いが生じるのかと考えてみると、ひとつには、「老婆」としてみたときの、「目」がポイントであることがわかる。そこの部分を「目」として見ると、老婆に見え、「耳」として見ると、若い娘に見えるのだ。

わたしたちは、このように、単独で見ればよくわからないものに対し、まわりの状況から決めつけて解釈し、結論を導き出すことがある。その決めつけ方により、結論が全く違うものになってしまうのだ(そして、一方の見方に縛られることがよくある)。

両面から考えてみる

先の株価の例でいうと、暴落はピンチなのかチャンスなのかと、両面から考えてみることだ。

ピンチとして捉える場合は、「ワーストケースにどう対応すればいいのか?」、チャンスとして捉える場合は、「どう買っていけばいいのか?」と、両面から考えてみることだ。そして、事態が明らかになったとき、何が正しくて何が間違っていたのかをよく検証すればいいのだ。

 

発信者の利害やバイアスに注意する

ポジショントークに注意する

情報であれば、発信者の利害やバイアスに注意したい。

情報には、発信者の利害を含まないものもあるが、多くの情報には、発信者の利害やバイアスが含まれている。たとえば、「ポジショントーク」と呼ばれるものがある。

株の「買いポジション」をたくさん抱えている市場関係者が、今後の株の動向について、メディアで発言するとしよう。そのとき、(内心では株は下がるだろう…と思っていても)「今後株価は下がります」と正直に言うだろうか?

自分のポジションに不利に働くことは言わないだろう、と考える方が自然だ。

自分の直接的な利得と専門家としてのレピュテーションを秤にのせ、「今後一時的には調整するが、その後は上昇するだろう」という、微妙な(絶妙な?)言い方をするのではないだろうか。「今後しばらく株価は下がり続けるだろう」というコメントはしないのだ。

ネガティブな情報は隠れている

また、証券アナリストのレポートは、会社についてポジティブな内容のものが多い。

事実であっても、相手が心証を害するようなネガティブなことを書くと、取材がしにくくなったり、意趣返しをくらうということがあるためだ。したがって、レポートを見るときは、アナリストの定性的なコメントは無視し、数字だけを追うのが正しい見方かもしれない。

専門家の話でも鵜呑みは禁物…

メディアを通じて、いろいろな人が情報などを発信しているが、たとえ専門家の話であっても、鵜呑みにしてはいけない。その理由は二つある。

まずは、その人が、「濃い」専門家なのか、「薄い」専門家なのかわからない…ということだ。本当の意味では専門家ではないのに、その「薄い」専門家が「濃い」専門家として情報を発信する場合がある。

メディアでは、愚直な「濃い」本物よりも、弁の立つ「薄い」専門家が重宝される傾向にある。もちろん、内容に問題がなければそれでもいいのだが、「薄い」専門家は、メディアサイドの意向を忖度しやすいように思う。

「専門家としての矜持」(良い意味でのプライドだ)も薄いため、グレーゾーンに流されやすいのだ。

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不誠実な発言をすることがある

ふたつめは、「濃い」専門家でも、不誠実な発言をすることがあるということだ。

わたしが体験したケースだが、誰がどう見ても立派な肩書きを持つ専門家が、事実と違うことを平気で述べるということがあった。

なぜそんなことが起こるのかというと、「利害」が絡んでいるからだ。人には事実であっても、立場上認められないとか、自分の損得を考えて、あえて事実と違うことを述べるということがあるのだ。

ものごとの本質を見極める上において、この種の「歪み」については、よく注意したい。

 

ものごとの本質を見抜く - サマリー

まとめ

今回は、ものごとや出来事の本質を見抜く方法について書いた。

今回の記事で述べたのは、1)原因と結果の関係を考える、2)違う角度から考える、3)発信者の利害やバイアスに注意する、の3つだ。

なぜ本質をつかむことができないのか…と考えると、思考が浅かったり、間違った情報を鵜呑みにしている…ということがある。

本質というのは深部にあるので、浅い考えでそこに到達することはむずかしい。また、間違った情報をもとに本質がないところに手を突っ込んでも、本質をつかむことはできないのだ。

今回の記事:「ものごとや出来事の本質を見抜く方法」