あなたは、プライドを捨てたい…と思うことがないだろうか。
自分はつまらないプライドを持っているが、それを捨てることができない…と思う人は、結構いると思う。無駄なプライドを捨てた方がいいことは(頭では)わかっているのだが、どうしてもそれができないのだ。※自己の本質にかかわる…と感じるため、そうなってしまう。
今回は、プライドの高い人がプライドを捨てる方法について書いてみたい。
プライドの高い人は消える
無駄にプライドの高い人は消える。
池上彰さんが述べているように、無駄にプライドの高い人は消えていく。
たとえば、年下や後輩が自分の上司になると、「あなたの下で仕事をすることはできない」と言って去っていく(わたしも何度か、その場(修羅場?)を見たことがある)。
異動願いを出すか、会社を辞めるのだ。
本人は、その人事によりプライドを痛く傷つけられた…と感じており、(損得よりも)自分のプライドを守るために去るのだ。たしかに、その気持ちはわからなくもないが…
プライドの高い人には問題がある
プライドの高い人には(自分でもわかっていると思うが)問題がある。
このタイプの人は自己評価が高く、自分は他人とは違う、と考えていながら、実は自分に自信がない、という矛盾した感情を抱えている。
そのため、自分軸が確立しておらず(自分のものさしを持たず)、他人のものさしで自分を評価しようとする。そして、常に他者との比較で、自分が優位に立ちたいと考えている。
簡単に言えば、見栄っ張りの負けず嫌いである。
プライドを防波堤にする
また、無駄にプライドの高い人には、自分のコンプレックスを隠すために、プライドを高くしてバレないようにガードする、という傾向がある。
自分のコンプレックスがバレるぐらいであれば、プライドの高い「嫌な人」を演じた方がマシだとすら思っている。したがって、自分のコンプレックスが原因となる失敗を心から恐れている。コンプレックスがバレるぐらいなら、嫌われた方がまだいい…とすら思うのだ。
必要なプライドもある
ここで述べる「プライド」とは、無駄なプライド、不要なプライドのことだ。
一方で、必要なプライドもある。
仕事に対するプライドや、自分に対するプライドのことだ。
仕事であれば、「手を抜かない」、「質の高い仕事をする」、自分に対するプライドとは、「自分はやれる」という自分自身に対する信頼のようなものであったり、高く掲げた「志」のようなものだ。
これらのプライドは、捨ててはいけない。
自分比で考える
まずは、自分比で考えることが大事だ。
プライドの高い人は、見栄っ張りの負けず嫌いで、常に他者との比較で、自分が優位に立ちたいと考えている。 自分のものさしを持たず、 他人のものさしで自分を評価しようとするため、自分と他人との優劣の関係や他人の自分に対する評価が気になって仕方がないのだ。
なので、他人との比較をやめることだ。
比較をしたければ、昨日の自分、1週間、1ヶ月前の自分、1年前の自分と比較すればいいのだ。
それで、思いどおりに成長していれば良し、そうでなければ、「何が悪かったのか?」、「どうやれば成長できるのか?」と考えプランを立て、実行すればいいのだ。
※他人と比較しても、決して幸せにはなれない。
感情ではなく合理性を重視する
プライドの高い人は、感情で動く。
他人からバカにされたり、不遜な態度をとられると、激高するのはそのためだ。
これまで勝利してきた得意な手が、どうにも通用しなくなる。要するに時代遅れになっているわけです。どんどん出てくる若手の棋士はピストルの弾丸のようなものです。そこで自分のやり方に固執する、かつての勝者の末路は哀れです。頭でわかっていても行動できない。自分の思い込みや心理状況を冷静に分析することが必要です。
出典:名言DB|リーダーたちの名言集
米長さんは、49歳という史上最年長で名人を獲得した(真田信繁(幸村)が大坂夏の陣で没した年齢だ)。
その偉業の要因として、当時の若手を先生と呼び、(身を低くして)教えを乞うたことが挙げられている。無駄なプライドを持っている人であれば、そんなことは絶対にできないだろう(大企業であれば、部長、本部長クラスが、20代の若手に教えを乞うようなものだ)。
合理性を重視する
このとき米長さんは、己のプライドよりも、合理性を重視したのだ。
米長さんの真似をすることはなかなか難しいとは思うが、「理」を考えることを意識すれば、プライドを手放すことができるかもしれない。そのときには、「理」のために、一時的に(かつ戦略的に)プライドを手放すのだ、と考えれば、気持ち的に楽になるだろう。
※合理で認知の歪みを正すのだ。
人間万事塞翁が馬だと思う
人間万事塞翁が馬だと思えばいい。
人間万事塞翁が馬とは、
人生には浮き沈みがあり、(事前に予想できるものではなく)思いがけず、陰転、陽転するものだ、という意味だ。そこから、物事や出来事に一喜一憂すべきではない、という教えを引き出すことができる。※短距離ではなく「マラソン」の場合は、長い目で評価する必要がある。
最初に、年下や後輩が自分の上司になったときの例を挙げたが、その後、どのような展開になるのかは、誰にもわからない。また、社内で左遷のような異動を命じられても、その後、どのような展開になるのかは、誰にもわからない…(そのような状態から頂上を極めた人もいる)。
長い目で評価し準備を怠らない
苦しいときでもチャンスを待って、そのときのために準備をしていれば、逆転の目は十分にあるのだ。
唯一はっきりしていることは、人生には浮き沈みがある、ということだ。そうであれば、一時の感情で重大な決断をするのではなく、長い目で見て判断する必要があるのだ。
ここは「譲る」と考える
ここは「譲る」と考えればいい。
他人に「譲る」という行為は、利己的な人にはできない行為だ。
また、気持ちに余裕のない人、器の小さい人にもできない行為だ。人に気持ちよく譲れば、後に人から譲ってもらう目も出てくる。どうせ譲るのなら、気持ちよく譲ればいいのだ。
人に譲ることで、自分は利己的な人間ではなく、器の小さな人間でもなく、気持ちに余裕のない人間でもない、と確認できれば、それで良しとしよう。その方が、長い目で見れば、「自分のプライドを傷つけられた!」と憤慨するよりも、はるかにいい結果に結びつくのだ。
まとめ
今回は、プライドの高い人がプライドを捨てる方法について書いた。
1)自分比で考える(他人と比較しない)、2)感情ではなく合理性を重視する(合理で認知の歪みを正す)、3)人間万事塞翁が馬だと思う(長い目で評価する)、の3つだ。
最初に書いたが、プライドの高い人は、自分のプライドを守ることが優先順位のトップにくるため、(自己のプライドがらみの話になると)合理的な判断をすることができず(判断を誤り)、消えることになる。※何ら不思議なことではなく、必然的に消えてしまうのだ。
ささいなことであれば、「子供だね…」ですみ大事には至らないのだが、キャリアにおける意思決定でもそうしてしまうため、道を誤り自ら消えることになってしまうのだ。
感情による判断は間違う…という例になるだろう。