不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

腰が低い人を意識する

あなたは人と接するとき、腰が高くなっていないだろうか。

人には自分の能力を高く見積もる、という性質があるため、(油断すると)普通の人でもやや腰が高くなってしまいがちだ。自分の能力だと、多少腰高に振舞っても許されるかな…という甘い考えに支配されることがあるのだ。しかし、その考えは間違いで腰は低くした方がいい。

今回は、腰が低い人を意識する、ということを書いてみたい。

目次

できる人は腰が低い

できる人は腰が低い…これは事実だ。

だれかが、中途半端に偉い人は、プライドが高く接するときに気を遣うが(少しでも失礼なことをしてしまうと、激しく怒る)、本当に偉い人は、器が大きく寛容で接しやすい…というような発言をしていて、「たしかにそうだよね…」と思ったことがある。

これは、「できる人は腰が低い」に通じる話だろう。

中間管理職レベルでは、腰が高い人もそこそこいると思うが、会社の経営に関与するレベルになると、腰が低い人の割合が多くなるのだ。もともと腰が低いから出世できた、というケースもあるだろうし、出世の途中で自ら気づき、腰を低くするようになった…というケースもあるだろう

できない人は腰が高い

いずれにしても、できる人は腰が低いのだ。

自らを省みて、「腰が高いな…」と思うのであれば、あなたはできる人ではないだろう。

自分はできる、と思っているかもしれないが、多少できたとしても、それは限定的な話だ。トータルで見れば、できる人ではないはずだ。他人からは「できない人」だと思われているだろう。

※総論で言えば、できる人は腰が低いし、できない人は腰が高いのだ。

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腰が高いと…

腰が高いと、まずいいことがない。

強いてあげれば、不要なプライドが満たされる、ということだろうか。

ただし、不要なプライドは、本来持つべきプライドではないので、それが満たされても、本質的に意味のあることではない。※不要なプライドは、できない人が持つものだ。

まわりから嫌われる

腰が高いと、まわりから嫌われる。

これは極めて当たり前のことであり、たとえ「腰が高い人」であっても、自分以外の腰の高い人を嫌うはずだ。たとえば、上から目線で、下の者に対し統制的にふるまう上司を、誰が好きになるのだろうか…いるとすれば、倒錯した人ぐらいだろう(笑)。

このタイプの人は、「自分は嫌われてもいい」、「誰かが嫌われ役を演じなければいけない」、「嫌われ役をあえて自分が演じているのだ」などと自己を正当化することがあるが、多くはパーソナリティが嫌われているのである。※パーソナリティではなく、やり方の場合もある。

協力を得られなくなる

まわりから嫌われると、まわりの協力を得られなくなる。

嫌いな人を積極的に助けようとする人はいないので、当たり前のことだ。

たとえば、部下が上司を嫌うと、面従腹背になってしまうだろう。また、まわりの協力を得られないだけではなく、無駄に敵を作ってしまうことになる。悪評が立ってしまうと、それに影響を受ける人がいるためだ。

たとえば、社内で評判の良い人であれば、その人と直接話したことがなくても、知らず知らずのうちに良い印象を抱くものだ。逆に、社内で評判の悪い人であれば、なんとなく悪い印象を持つものだ。このような風評の影響というのは、無視できないものなのだ

できない人が腰高な理由

できない人が腰高な理由がある。

自分が秀でた点を探し出しては、ことさら自画自賛したり虚勢を張ったりして、自尊心を上げ底するしかありません。もしくは、自分を正当化するため、周囲をこき下ろすしかない。
極論してしまえば、頭の悪い人、能力のない人、嫌われる人ほど、平均以上効果のレベルをアップさせるのです(結果的に自己評価と客観評価の乖離が大きくなる)。
出典:頭の悪い人ほど自己評価が高いのはなぜか

他人が評価してくれないので、自分で何とかするしかないのだ。

自分がパッとしない、という現実はわかっているが、そのような感情を持つこと自体おもしろくない。なので、そのネガティブな感情を払しょくするために、腰を高くしてしまう…ということだ。

虚勢を張る、と表現してもいいだろう

評価されていませんね…

相手がほぼ同意する「最強のお世辞」がある。

それは、「あなたは(会社などから)正当に評価されていませんね」というものだ。

あなたは、実力に比して、(他者から)過小評価されていますね…という意味だが、たいていの人はこの言葉に同意する。人には自分の能力を高く見積もる、という性質があるからだ(笑)。

だが、この感覚が行き過ぎると、腰高につながってしまうのだ。

 

腰を低くする意味とは

腰を低くする意味

腰を低くする、という意味は、卑屈になる、ということではない。

相手の目線で考える、相手の立場から考える、ということだ

たとえば、エンジニアは「自分の作りたいモノ」を作ろうとしがちだ。そうすることが楽しいからだが、顧客のニーズを無視して、自分の作りたいモノを作る、というのは、「腰が高い」という姿勢だろう。

買ってくれる人がいなければ、ビジネスとして成立しないからだ。ビジネスとして行っている以上、ビジネスが成立しなければ意味がない。なので、モノづくりをする人は、腰を低くして、顧客の立場から考えることが必要になるのだ。※顧客の声に耳を傾けることもそうだろう。

子供に対する姿勢

親が子供に対する姿勢にしてもそうだ。

普段子供に対し、「約束を守りなさい」と言っている親が、親の都合で約束を守らないことがある。

また、親の都合で子供に対し、統制的に接することがある。これらは、「腰が高い」という姿勢になる。一方で、子供の目線で物事を考えることができ、細かいことには口を出さず、子供の自律性を尊重する、という態度は「腰が低い」と言うことができるだろう

結論だが、腰は低くした方がいいのだ。

今までよりも少し、「腰を低くすること」を心がけてみてはどうだろうか。もしかすると、何かがいい方向に変わるかもしれない。人間関係などで悩んでいる人は、試してみるといいだろう。

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腰が低い人を意識する - サマリー

まとめ

今回は、腰が低い人を意識する、ということを書いた。

できる人は腰が低く、そうでない人は腰が高い。

後者のさえない人の場合、さえない自分を補償したい…という気持ちが働いて、腰が高くなる、ということがある。「弱い犬ほどよく吠える」と通じるものがある。この場合は、吠えない代わりに腰を高くしているだけの話だ(笑)。

腰が高い人にはそれなりの理由がある。

だから、そうなってしまうことも理解できる。だが、腰が高いことのデメリットを考えると、不要なプライドは捨てて腰を低くした方がいいのだ(腰が低い人を目指した方がいいだろう)。

今回の記事:「腰が低い人を意識する」