不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

他人のいいところを見つけた方がいい

あなたは、他人の良いところを見つけてそこに注目する方だろうか。

それとも、悪いところを見てしまう方だろうか。何も考えていなければ、他人の欠点に目が行ってしまうのではないだろうか。人には欠点に注目する、という性質があるのでそうなるのだ。

だが、他人の欠点に目が行ってしまうことは、あまり好ましいことではない。他人ではなく自分にしても、長所を軽んじ欠点ばかりに注目していると、自分の良さがくすむことになるのだ。

今回は、他人の良いところを見つけること、について書いてみたい。

目次

欠点を挙げることは簡単

他人の欠点を見つけてあげつらうことは、とても簡単なことだ。

たとえば、ずぼらで整理整頓ができない、頭の回転が悪くレスポンスが遅い、頭の中の整理ができておらず、論理的に話せない、文章が書けない、字が汚い、笑顔がない、あいさつできない、愛想がない、気配りできない、自分本位で自己中心的だ…など、いくらでも出てくる(笑)。

要するに、あら探しは誰にでもできることなのだ

また、欠点は誰にでもある、ということが、ますます欠点をあげつらうことを容易にしている。誰にでもできる簡単なことを行って、「鋭い批判をした」と思うなら、それは間違いだ。

人の欠点を指摘しても意味がない

他人の欠点を指摘しても意味がない。

欠点を指摘する方は、「欠点を指摘することで相手に気づきが生じ、そこを自分で改めようとするのではないか…」ということを期待している。たしかに、相手によっては、思惑通りの効果が出る場合もある。※相手が聞く耳を持ち、柔軟性に富む場合だが、レアケースだ。

だが、多くの場合そうはいかない。

ひとつは、指摘された欠点を(自ら)重々理解している…ということがあるためだ

もしそれが、その人の中でコンプレックスとして居座っている場合、そこを刺激することは得策ではない。他人のコンプレックスというものは、安易に触れていいものではないのだ。痛い場所に触れられた方は、深く傷ついて、触れた人間に対し敵意すら持つようになる可能性があるのだ。

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裏目に出ることが普通にある

このようなケースでは、欠点を指摘しても意味がないどころか、裏目に出てしまう。

そこまで行かなくても、自分の欠点を指摘する人を「ウザい・うるさい」と感じる人は多い。「そういうお前にも欠点があるだろう」と(立場上)口にしなくても、反発する人は多いと思う。

このように、他人の欠点を指摘しても意味がないことが多いのだ。

長所を見つけることは難しい

逆に、他人の長所を見つけることは難しい。

なぜ難しいのか…だが、ひとつは、欠点のようには目につかない…ということがある。

他人の欠点にイラッとさせられることはあっても、他人の長所でイラッとさせられることはあまりない。「自己中心的で、他人に対する気配りのない奴だ…」とイラッとすることはある。

※イラッとすると記憶(印象)に残りやすい。

だが、「気配りをする人だ」、「表情の明るい人だ」とイラッとすることはない。

子育てでも、同じようなケースがある。子供が公共の場で騒ぐことを注意する、ということはよくあっても、子どもが騒ぎたいのを我慢して、大人しくした場合に、その態度をほめることができるだろうか?その場合は、特に気が付かず、スルーしてしまうことが多いのではないか。

注意することと比較すれば、ほめることの方が(目につかない分)難しいのだ

負けず嫌いだと…

負けず嫌いだと、他人の長所を見つけにくい。

他人の長所を認めたくない…という気持ちがあるため、他人の長所を素直に評価できなくなってしまうのだ。あるサッカー選手が、別のサッカー選手の素晴らしいシュート&ゴールを見て、いやいやこれはキーパーが取らないとダメですね…とコメントをするシーンをみたことがある。

客観的に見て、とても素晴らしいプレーだったが、そのコメントをした選手は、素晴らしいプレーをした選手のことを認めたくなかったのだろう。あえて、まわりが期待したコメントとは、全く別のコメントをしたのだ。わたしはそのとき、この人は相当な負けず嫌いだな…と思った。

他人のいいところを見ない

このように、あえて他人の良いところを見ない、ということもある

さらに、自分の長所を見ず、欠点に注目するタイプの人は、他人の長所を見ることも難しい。

自分に対してできないことを他人に対してやる…ということはむずかしいのだ。※このように、諸々のことがあるので、 他人の長所を見つける(見る)ことはかなりむずかしいのだ。

相手との関係が良くなる

他人の良いところを見つけることで、相手との関係が良くなる。

まず、他人の欠点を指摘せず、良いところを見つける、ということを信条にしている人は、相手の地雷を踏むことがない。相手のコンプレックスに触れて、相手を傷つけたり怒らせたりすることがないのだ。※相手の地雷を踏んで一変に嫌われる…ということがない(マイナスがない)。

マイナスがなければ、あとは0かプラスしかない。

相手の良いところを見つけ、好意的に接しようとする人を、遠ざけようとする人はほとんどいないだろう。人は、自分が認められている、一目置かれている、と思えば、気分が良くなり、好意を返そうとするものだ。なので、他人の良いところを見つけることが、人間関係の基本になる。

それでも欠点を指摘したい場合は

ポジとネガの割合については、以下が参考になる。

相手の欠点もやんわり指摘したい…という人は、参考にしてほしい。その場合は、相手との関係やポジティブな発言の割合などが大事になってくる。その点には、よく注意した方がいいだろう。

他人の良いところを見つけるためには…

どうすれば、他人の良いところを見つける(見る)ようになれるのだろう。

まず、そのためには、「自分から求めることが必要だ」という意識を持つことだ。

先に述べたように、他人の短所は目についてアウトプット(陰口をたたくなど)したくなるが、長所の場合は、 (目につかないので)自分から求める・見ようとすることが必要だ。

ただし、ただ求めるようにしたい…では弱い。他人の良いところを発見して取り入れる、という発想が必要だろう。自分の利益になる、と思えば、身が入るのではないだろうか。

※もちろん、人間関係が良くなる、ということも自分の利益だ。

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自分の長所を見るようにする

さらに、自分の長所を見るようにしたい。

先に、自分の長所を見ず、欠点に注目するタイプの人は、他人の長所を見ることもむずかしい…と書いたが、そうであれば、まずは自分の長所を見つけて、そこを見るようにすればいいのだ。

自分の長所がわからない…という人は、

長所と短所はコインの裏表であり、見方を変えれば短所も長所になり得ることを知った方がいい。また、ある意味、長所と短所はトレードオフの関係にある。たとえば、コミュニケーション能力がイマイチであるために、独力でコツコツ作業を積み重ねて行く能力が磨かれるのかもしれない。
出典:自意識過剰を克服する方法

短所から長所を求めるアプローチをとればいい。

多くの場合、長所と短所はトレードオフの関係にある。

したがって、短所をひっくり返せば、長所があるのだ。たとえば、(話す)コミュニケーション能力がイマイチ ⇒ 独力でコツコツ作業を積み重ねて行く能力がある、ということだ。

自分の長所を見るようにすると、気持ちも明るくなるはずだ。

まとめ

今回は、他人のいいところを見つけた方がいい…ということを書いた。

他人の良いところを見れない…という人は、自分の良いところも見れていないことが多い。なので、他人の良いところを見る前に、自分の良いところを見る努力をしてみてはどうだろうか

ある種の人にとっては、他人の良いところを見つけることは、とてもむずかしい作業になる。だがそうすれば、人間関係の改善につながる。すなわち、チャレンジする価値のある作業なのだ。

今回の記事:「他人のいいところを見つけた方がいい」