不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

ものの考え方|何を中心にしてものを考えればいいのか

何を中心にしてものを考えればいいのか…と、思うことがないだろうか。

あなたのまわりにも、ブレがなく筋が通っており、前向きで精神的にも安定している人がいると思うが、そのタイプの人は、何を中心にしてものを考えているのだろうか。何を拠りどころにして思考し行動しているのだろうか。そのタイプの人は、凡庸な人とは中心にするものが違うはずだ。

今回は、何を中心にしてものを考えればいいのか…について書いてみたい。

目次

自分を中心にしてものを考える

自分を中心にしてものを考える、という方法がある。

自分を中心にしてものを考える、というのは、自分の利益を中心にしてものを考える、という意味で、わかりやすい。自分の得になるのか損になるのか…と考え、得になるのであれば反応し、損になると思えば反応しない…というものだ。この考え方は自然なもので、否定するつもりはない。

だが、この考え方に大きな落とし穴があることも事実だ。

自分本位になると損をする

それは、自分の得になると思って行動しても、損になるケースがよくある…ということだ

たとえば、自分の損得を強く気にすると、視野が狭くなる。ものごとを、自分の損得にどんな影響があるのか…という観点からしか見なくなるためだ。

自分が損になるような話には耳を貸さないし、自分の損得に関係のない話であれば、興味や関心をあまり持たない。そして、自分の得になる話だけに食いつく…ということになりがちだ。

このような姿勢は、人間関係の構築においてマイナスに働く

また、他人からもらうことはするが、自分から他人に与える…ということをしないため、他人に影響力を持てず、人間関係を広げることができない。

そのため、人間関係から得るメリットを享受できない…ということになる。自分から他人に与える、ということは投資だ。投資をしない人にはリターンもない、という単純な話だ。

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他人を中心にしてものを考える

他人を中心にしてものを考える、という方法もある。

たとえば、嫌いな人を中心にしてものを考える人がいる。

以前の記事でも書いたが、ある集まりの幹事をしたとき、ある人が「○○さんが出席するのであれば、私は出席しません…」と言ってきたことがある。その人は、○○さんのことがかなり嫌いで、顔を合わせることもしたくなかったのだろう。このように、相手の動向を中心にして自分の行動を決める…というのが、他人を中心にしてものを考える、ということだ。

主体的ではなく、反応的に動く…ということになる

反応的な生き方になってしまう

会社員であれば、上司の言動が気になって仕方がない。

その上司のことが嫌いであれば、その感情が頭から離れない…ということがあるだろう。

その結果、上司に対する怒りや憎しみ、批判や非難する気持ち、自分を正当化する気持ちなど、その上司を起点とするさまざまな気持ちに頭が乗っ取られる…ということになる。

他人を中心にしてものを考えると、相手に強く影響を受けてしまうのだ

その相手が嫌いな人であれば、「自分は被害者だ」という気持ちが大きくなり、どうしても気持ちがネガティブになってしまう。心の平穏や安定が失われる、ということになるのだ。

原則を中心にしてものを考える

原則を中心にしてものを考える、という方法もある。

原則を中心にしてものを考えると、「自分を中心にしてものを考える」と「他人を中心にしてものを考える」のときに生じたデメリットがなくなる。

つまり、自分の損得を考えるあまり「視野が狭くなる」ということもないし、「相手に強く影響を受ける」、相手の言動で「心の平穏や安定が失われる」ということもなくなる。

偏りなくバランスの取れた見方ができる、ネガティブにならない・感情的にならない…ということは、とても大事なことだ。そうすることで、正しい選択や判断を主体的に行える…ということになるからだ。

また、原則を中心にしてものを考えれば、自己の一貫性を保つことにもなる。他者から見れば、ブレがなく筋の通った人だ…ということになるだろう。

では、どのような原則を中心にしてものを考えればいいのだろうか。

長期的な利益を考える

まずは、「中・長期的な利益を考える」ということだ。

スタンフォード大学で行われた、「マシュマロ実験」という有名な社会実験がある。

当時4歳の子供たちを対象に行った実験だ。この実験の結果から、現在の利益(目の前のマシュマロ1個だけ)を重視する子供たちと、将来の利益(合計2個のマシュマロ)を重視する子供たちの間で、差が生じる…ということがわかっている。

目先の利益を我慢しながら将来の利益を重視する子供たちの方が、その後成功しやすくなるのだ。

このことは、直感的に理解できると思う。勉強すべきときに、目先の快楽を優先して遊んでしまうと、あとで後悔するはめになる。「あのときもっと先のことを考え、努力していればよかった…」となるのだ。

今更そう思っても仕方がないが(笑)、そこからの反省は今後に生かすことができる。すなわち、目先の利益よりも、3年、5年、10年後の利益を考えて行動する…ということだ。

自制することが必要になる

人はどうしても時間的に距離が近い利益の方を魅力的だと感じ、それを取りに行こうとする。

だが、そのような本能的な行動ではなく、「中・長期的な利益を考える」という原則を自分の中に立て、それに従い行動した方がいいだろう。そうすれば、成功する確率が高くなるのだ。

正邪善悪を考える

正邪善悪を考える、ということもある。

正邪善悪を考える…と言っても、ピンとこないかもしれない。

では、正邪善悪をどうやって決めるのか…という話になるためだ。なのでもう少しわかりやすくすると、子供たちのロールモデルの振る舞いとして、適切かどうか…ということだ

たとえば、あいさつをする、人に親切にする、自分本位になりすぎない、自分から人を嫌わない、約束を守る、感謝すべきときにはお礼を言う、相手を傷つけるような言葉やネガティブな言葉を発しない…など、ロールモデルの振る舞いというものがある。

ビジネスであれば、自分のビジネスが社会に与える影響を考え、悪い点があれば改める…ということになるだろう。その結果、社会への貢献度が高くなる(社会への貢献を考えて行動することにつながる)。

なかなかすべてにおいて理想的に振舞う、ということはむずかしいのだが、正邪善悪を原則にしておけば、大きく間違える…ということはないだろう。判断に迷ったら、正邪善悪を使えばいい。

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自分の利益と他者の利益を最大化する

これは、自分を中心にしてものを考えたときの、落とし穴に入らないための原則だ。

原則を中心にしてものを考える、としても、自分を中心にしてものを考えてしまう…ということはある。なので、あらかじめこの原則を用意しておくのだ。

先に、自分の得になると思って行動しても、損になるケースがよくある…と書いた。自分自身の視野が狭くなることと、人間関係においてしっぺ返しをくらうためだ。

したがって、自分の利益を中心にしてものを考えても上手く行かない。そこで、自分の利益と他者の利益を最大化する、と考えるのだ。「他者の利益を最大化する」というのは、自分の利益が最大化するポイントまで、他者の利益を求める…ということだ

具体的には、人に親切にしたり、与えたり、ということでいいと思う。

計算で人に親切にしたり、与えたりするのは、偽善ではないか…と思うのであれば、正邪善悪の原則からそうする…と考えてもいい。しかし、とっかかりが計算であっても、人に親切にすることはいいことだ。そうすることで、相手が喜べばこちらもうれしくなる。そこに計算はない。

まとめ

今回は、何を中心にしてものを考えればいいのか…について書いてみた。

今回の記事では、1)自分を中心にしてものを考える、2)他人を中心にしてものを考える、3)原則を中心にしてものを考える、と3つに分けた。

だがよく考えると、最初の2つも原則だと言えなくもない。だがそれらは、歪んだ非合理的な原則だ。なので、合理的な原則を中心にしてものを考えればいい…としたい。

考えは行動のもとになるものなので、ここを間違えてしまうと間違った行動をとってしまうことになる。なにかどうも上手くいかないな…と感じる人は、中心にするものを間違えている可能性がある。今、自分が中心にしているものは何か、拠りどころは何か…と考えてみたい。

今回の記事:「ものの考え方|何を中心にしてものを考えればいいのか」