不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

人のふり見て我がふり直せ|大人に必要なことです

人のふり見て我がふり直せ、ということわざを知っていると思う。

人のふりにイラッとしたときは、「人のふり見て我がふり直せ」と思い、自分にも同じような言動や態度がないか…と自省すれば、イライラを(ある程度)抑えることができ、自分の言動や態度の改善、ひいては成長につながる。なのでこれは、日々の生活の中で実践的に使えることわざだ。

今回は、「人のふり見て我がふり直せ」について書いてみたい。

目次

人のふり見て我がふり直せの意味

人のふり見て我がふり直せ

人のふり見て我がふり直せの意味から確認しよう。

この中のふり(振り)というのは、外面にあらわれる言動としていいだろう。人に認知される・伝わる言葉やそれ以外のボディランゲージ、態度ということになる。なので、口にする言葉はもちろんのこと、口調や目線、顔の表情、手足の動きや仕草というものも、「ふり」としていいだろう。

このことわざの意味だが、他人のふりをよく見て、いいところは真似し、悪いところは真似しないことで自分のふりを改善せよ、という意味だ。どちらかというと、「悪いところは真似するな」というニュアンスが強いのではないかと思う。「まずは、他人の失敗から学べ」という意味だろう。

人のふりは目につきやすい

人の好ましくないふりは、目につきやすい。

人の欠点が目につきやすいことと同じだ。人には「損失回避性」というものがあり、損に対し敏感に反応するので、他人の好ましくない振る舞いにより、自分が損をした…と感じると、そのことが頭にのこる。中には、その場でスルーできず、ブチギレたり説教をし始めたり…という人もいる。

公共の施設で、所員の対応が悪いと説教をするおじさんを見たことがあるが、所員の態度から「自分に対し敬意が払われていない」と感じ怒ったようだった。おじさんにしてみれば、承認欲求が満たされなかった…ということだと思うが、広い意味では損をした、という気持ちになったと思う。

※不快な思いをした=損をした…ということだ。

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自分のふりには無頓着

人は、他人のふりには敏感に反応するが、自分のふりには無頓着だ。

そうなる理由には、自分のふりを客観的に観察できない、評価できない、ということがある。たとえば、会社での言動の一部始終を録画して後で見返せば、ある程度客観的に観察&評価できるかもしれないが、そんなことはできない。同時に主観と客観を共存させることは、まず不可能だ。

なので、「人のふり見て我がふり直せ」ということわざがある。他人の好ましくなりふりを見て、自分も同じことをしていないだろうか…と、自分のふりを見直すきっかけにできる。自分のふりに対する他者の反応をみて、自分のふりを見直す…ということも可能だが、比較的難易度が高いと思う。それよりも、「人のふり見て我がふり直せ」を実践する方がカンタンなことなのだ。

他者の失敗から学ぶ

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという言葉がある。

愚者は自分が実際に経験したことからしか学べないが、賢者は歴史からも学ぶことができる…という意味だ。たしかに、私も含めて普通の人は、自分の体験から学ぶことが主になる。痛い目にあってはじめて、「ああそうか…」と思うのだ(笑)。賢者にももちろんそういうことはあるが、それに加え、外部ソース(歴史など)からも自分の体験と同様に学ぶことができるのだ。

人は必ず失敗をするものなのだから、他者の失敗を糧にして同じ轍を踏まないようにすることが大事になる。人間関係における失敗などは、「人のふり見て我がふり直せ」で事前に回避できることが結構ある。なので、人のふりを観察&評価し、そこから学べばいいのだ。

※自分がわざわざ、つまらない失敗をする必要はないだろう。

受付にいる人のふり

受付にいる人とコミュニケーションをとることがあると思う。

仕事では他社や役所へ行ったときもそうだし、プライベートでは、役所や金融機関、病院・薬局へ行ったときや、ホテルにチェックインするときもそうだろう。この中で、行ったときに「人のふり見て我がふり直せ」を思いだすことがある。それは、個人経営の病院へ行ったときだ。

※個人経営の病院は、院長の考え方次第なので、対応にバラエティがある。

中には、「患者=顧客」という意識の薄い人がいるのかもしれない。もちろん、院長がよくできた人の場合は、人員の選定から教育までキチンとできているので、受付の対応もしっかりしている。だが、経営や人員管理に興味のない人であれば、対応がなおざりになることもある。

できません・わかりません

ずいぶん前の話になるが、ある病院へ行ったときのことだ。

受付の前に立った瞬間、受付の人が何も言わずドンと診察券入れを目の前に置いた。その瞬間「あれ?」と思ったが、気にせずある質問をした。その質問に対し、「できません」のひと言。できる病院もできない病院もあるので、そのこと自体はいいのだが、ひと言だけで済ます。

人がそこそこいたので、「待ち時間はどれぐらいか」と尋ねると、これも「わかりません」のひと言。「○○時間以上かかりそうか」と尋ねても、同じく「わかりません」のみ。清算待ちが何人、診察待ちが何人ということはわかっているはずなのだが、大枠でもわからないという。

※「待ってもらうしかない」というもうひと言もあった(笑)。

何がまずいのか?

この対応の何がマズいのだろうか。

まず、こちらが何も言っていないのに、(ロクに目も合わさず)ドンと診察券入れを目の前に置くのはマズいだろう(笑)。もしかすると、何か言ったのかもしれないが、聞こえなかったか、そのときの相手の対応の印象が悪かったので、覚えていないのかもしれない(認知の歪みかも)。

こちらの質問に対し、「できません」、「わかりません」のひと言というのは、いかにもマズい。
その場合は、クッション言葉を入れるか、できない・わからない理由を言う…というのが、適切な対応だ。たしかに、「できません」、「わかりません」のひと言で済ます対応は、簡潔で合理的だが、人とのコミュニケーションというのは、合理性ではなく効果を重視すべきなのだ

※医師はいい人だったし、この受付の人も悪い人ではないと思うが行動がマズい。

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まとめ

今回は、「人のふり見て我がふり直せ」について書いてみた。

これを実践すると、他人とのコミュニケーションにおいて生じたイライラを、ある程度抑えることができ、自分の言動や態度の見直し&改善、ひいては成長につなげることができる。なので、イラッとしたときは、このことを思い出し、「人のふり見て我がふり直せ」と呟けばいい。

ある病院の受付の人の例を出したが、その人に悪意があるわけではなく、悪い人というわけでもない。ただ、有効なコミュニケーションのやり方を知らない、というだけだ。大人になると、注意してくれる人もいなくなる。なので、自分で気付いて改善していくしかないのだ。

今回の記事:「人のふり見て我がふり直せ|大人に必要なことです」