不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

木を見て森を見ずは仕事にも使える…ビジネスなどに利用する

木を見て森を見ず、ということわざがある。

木を見て森を見ずの「木」は、細部、緊急度の高いこと、具体的なこと、時間的に近いところにあるもの、とすることができる。「森」は、全体、本質、重要度の高いこと、抽象的なこと、時間的に遠いところにあるもの、とすることができる。

このことわざが教えるところは、仕事や生活にも利用できるだろう。

今回は、「木を見て森を見ず」について書いてみたい。

目次

意味と由来は

木を見て森を見ず…を実践する女性

木を見て森を見ずの意味だが、「細部に気をとられ全体や本質を見失う」ということだ。

由来は、英語の「You cannot see the wood for the trees」だとすることがあるようだが、英語を母国語としない国にも同様の言葉があるので、このことわざの由来が何かは特定できないだろう。

この比喩は、比較的思いつきやすいものなので、同時発生的にできたものかもしれない。

 

木を見て森を見ず

ビジネスでは

仕事では、緊急度の高い仕事ばかりやってしまう…ということがある。

緊急度というのはわかりやすい。締め切りのような形で目に見えるので、わかりやすいのだ。

なので、このわかりやすい「ものさし」を使って仕事の優先順位を決め、その順番で仕事をする…ということになりがちだ。だが本来は、重要度を考慮しなければいけない。この場合は、緊急度に頼ることが「木を見る」ことに相当し、重要度を考慮することが「森を見る」ことに相当する。

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部分最適化になる

仕事では、部分最適化をしてしまうことがよくある。

以前、わたしは同僚に、チームで使う機材の配線をするよう指示したことがある。
テスト用の機材で、1週間もすれば引き取られるものだ。なので、そのまま普通に(ケーブルが見える形で)配線してもらえればよかった。
わたしがこのあたりの背景をキチンと説明して指示すればよかったのだが、そうしなかったために誤解が生じた。彼は、床のパネルを一枚一枚工具を使ってはがし、その下にケーブルを敷設し、外から見えない完璧な配線をしたのだ。
出典:完璧主義者は嫌われる…完璧主義をやめた方がいい

同僚の彼は、申し分のない完璧な仕事をした。

だが彼には見えていない部分があった。「1週間もすれば引き取られる」という部分だ。見せるのを怠ったわたしのミスだが、この「森」の部分が見えていれば、当然彼の行動は違ったはずだ。

自分のまわりしか見えない

自分と自分のまわりしか見えない…ということがある。

自分の利益かせいぜい自分が所属する部署の利益までしか見えない。そして、その狭い利益を取りに行こうとする。これも、部分最適化になる。森が見えていない状態での部分最適化はまずい。

最適化をしたつもりが、結果的に逆効果になる…ということは普通にあることだ。

森が見えない…

森というのは、なかなか見えづらいものだ。

たとえば、平社員の段階で経営者の視点を持て…と言われても普通は無理だろう。

※できたらすごいと思うが…。

ブログなので、PVのことを考えてみよう。「PVを上げること」を課題だとすれば、ビジネスと同じなのだ。本質的には、ビジネスにおける「顧客数を上げること」と何ら変わりがない。

木や森にあたることは

木にあたることは、目先に見えている具体的な個々の作業だ。

記事を書くことやリライトすること、デザインやテクニカルな話もあるだろう。

森にあたるのは、何に対しどのタイミングでどういう割合でリソースをかければいいのか…ということだ。全体最適にするためのマップ、としてもいいだろう。これがわたしには見えない(笑)。

※見えるまで、試行錯誤しながら壁にぶつかりまくるしかないだろう。

このマップが見えている人が、結果を出すことになる。

 

木を見て森を見る

木を見て森を見たい

実践では、木を見て森を見ることが必要だ。

木は具体的でわかりやすいので、よく目に入ると思う。なので、森をどう見るかが問題だ。

画家はキャンバスから少し離れ自分の描いている絵を見る、ということをする。同様に、棋士が盤から離れ局面や状況を俯瞰する、ということもある。森を見ることはむずかしいので、意図的にこういうことをしなければいけない。

※物理的・心理的に距離をとって見るのはいいことだ。

先のブログの例でいうと、毎日、記事を書いたりリライトしたり…ということばかりではなく、そこから離れて思考し状況を俯瞰する時間を持つことも大事なのだ(意図的にそうしたい)。

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表現にも使うことができる

木を見て森を見ることは、表現にも使うことができる。

以下は、宮本隆治さんが雑誌の取材を受けている、と想定したシーンの本人による描写だ。

※宮本さんは元NHKアナウンサー。ミスターNHKとの異名があった。

いまここにお二人座っていらっしゃいます。出版社のライターの方とカメラマンです。お二人の服装は、向かって右側のライターの方は濃紺のスーツに紺のネクタイ、そして紺のストライプの入ったワイシャツをお召しになっています。

中略

そんなお二人が、今日はここ新宿6丁目にある和食屋さんにわざわざ私の取材のために来てくださいました。この店は、新宿駅から歩いてまいりますと、15分から20分ほどかかります。デパートの伊勢丹の脇を通ってくるわけでございます。
出典:「よい印象」の言葉力 (著)宮本隆治

前段が「木」で、後段が「森」の描写になる。

あたかもカメラを切り替えるように視点を切り替え、巧みに描写していることがわかる。このように、木と森の切り替えは表現でも用いることができる。思考と共に表現でも使ってみたいものだ。

 

木を見て森を見ずは仕事にも使える - サマリー

まとめ

今回は、「木を見て森を見ず」について書いてみた。

このことわざの意味は、「細部に気をとられ全体や本質を見失う」ということだ。

冒頭でも述べたが、木を見て森を見ずの「木」は、細部、緊急度の高いこと、具体的なこと、時間的に近いところにあるもの、とすることができる。なので、比較的目に入りやすくなる。

一方、「森」は、全体、本質、重要度の高いこと、抽象的なこと、時間的に遠いところにあるもの…なので、「木」より目に入りにくくなる。意識しないと、視野から外れてしまうのだ。

※ゆえに、このことわざによる戒めがある、ということになる。

木は放っておいても目に入るので、森をどう見るかが問題になる。

ひとつの提案は、そこから心理的・物理的に離れて思考する時間…というものを、意図的に作ることだ(スケージュールに入れてしまう)。そうすることで、森を見るチャンスを作るのだ。

今回の記事:「木を見て森を見ずは仕事にも使える…具体例は」