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釣った魚に餌をやらないという心理

釣った魚に餌をやらないという心理がないだろうか。

自分が釣る立場であれば、餌をやらないのが合理的と考えるし、自分が釣られる立場では、餌を与えないのはおかしいとなる。立場により感じ方が変わるのが、普通のことだろう。余談になるが、これまで何年も株主優待を出していた(個人的に株を保有している)会社が、突然株主優待を廃止した。このときの気持ちは、「釣った魚に餌をやらないのは、おかしいではないか」だ(笑)。

今回は、「釣った魚に餌をやらない」について書いてみたい。

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 目次

 釣った魚に餌をやらないとは

釣った魚に餌をやらない

釣った魚に餌をやらないの意味から考えてみよう。

釣った魚に餌をやらないとは、親しい関係になったあとは、相手の機嫌を取る必要はない、相手に好かれようとする必要はない、相手が喜ぶことを積極的に行う必要はない、俗なことでいえば、相手にこれまでのようにお金を使う必要はない、などという意味になる。

男女関係についてよく引き合いに出される言葉だが、ビジネスにおける人間関係などにもあてはめることのできる言葉だ。親しい関係になったあとは、尊敬の念を忘れる、相手に対する関心を落とす、良い部分を過小評価し、悪い部分を過大評価するようになる…などがある。

※それまで相手に与えていたモノを引き上げる、ということだ。

 釣った魚に餌をやらないという心理がある

人には、「釣った魚に餌をやらない」という心理があるものだ。

恋愛でよく使われる言葉だが、男性の場合は、付き合える可能性がある程度あり、努力次第で50%を超えるだろう…というシチュエーションでは、がんばって女性に投資する。この「がんばって」というのが曲者で、恋愛感情で感情的になっていることもあり、過分な投資になっているのだ。

その過分な投資を普通のことだと思えば、付き合い始めたあとに、「釣った魚に餌をやらない男だな…」と感じることになる。過分な投資を基準点にしているので、そう感じることになるのだ。

※そう感じたら、自分が逆の立場だったら…と考えてみるといい。

 人間関係でもある

恋愛以外の人間関係でも、そういうことがある。

その理由は、持っているものよりも、持っていないものに目が行く。近くにいる人の場合は、欠点が目についてしまう…というものだ。一度交友関係ができてしまうと、その関係を大事にするよりも、新しい交友関係に目が行く…ということがないだろうか。もっとレベルやステータスの高い人と、交友関係を結びたい…と思わないだろうか。

また、近くにいる人の場合は、欠点が目についてしまう。当初は長所に惹かれて交友関係を築いたが、そうしてみると欠点が目につき、「なんだ、こんな人か…」と相手に対する評価を下げてしまうことがある。一方、長所に対する評価は、「当たり前だよね」となってしまうのだ。

※ここでの餌は、相手に対する「リスペクト」になる。

 この感覚はモノにもある

釣った魚に餌をやらないという感覚は、モノにもある。

私には、これがないと困る、欲しくて仕方がない、というモノがあった。それを買えたのはいいが、買えたことで満足してしまい、箱から出しただけでまだ封を開けていない(なので、使用していない)。商品が到着してから、すでに1か月以上たっている(笑)。

もちろん、そのまま何か月も放置するつもりはないが、このように買ったことで満足し、なかなか使わないということがある。このことは、自分の(買って満足という)感情が影響していると思う。

※ここでの餌は、使って日の目を見させることだ。

 餌をやらなくていいケースがある?

恋愛の場合は、餌をやらなくていいケースがあると思う。

先に述べたように、恋愛感情で感情的になっていることもあり、過分な投資になっている可能性があるためだ。過分な投資を続ければ、金銭的にも精神的にも疲弊することになり、本人が潰れてしまうだろう。「釣った魚に餌をやらない男だ」とされて、相手に愛想をつかされる可能性はあるが(笑)、それはそれで仕方のないことだ。本人が潰れてしまうと、意味がない

もちろん、過分な投資になっていなければ、以前と同じように投資を続ければいいだろう。そうすれば、そのことで相手が不満を抱くということがない。尚、釣ること自体が楽しくて、釣り上げたあとはテンションが下がる、という人は、必然的に「釣った魚に餌をやらない」となる。

※自分が潰れるようであれば、餌をやらなくていいだろう。

 釣った魚に餌をやろう

通常の人間関係では、釣った魚に餌をやろう。

ここでの餌は、相手に対する「リスペクト」だ。リスペクトを承認としてもいい。恋愛関係においても、承認やリスペクトが相手に対する餌になるのであれば、与えるべきだ。

相手の欠点が目につくのであれば、それは当たり前だと考えた方がいい。人の欠点を見つけることは、非常に簡単なことなのだ。なので、欠点がどうこうよりも、良いところをキチンと評価する、という姿勢が大事になる。具体的には、「当たり前」と感じる部分を見直してみたらどうか。そこを見直すことで、「ありがとう」という感謝の気持ちを持つことができるようになるのだ。

※良いところは積極的に見ようとしないと、キチンと評価できないものだ。

 モノに対しても同じ

モノに対しても、同じように考える。

ここでの餌は、そのモノを使うことで、日の目を見させることだ。モノは使わなければ意味がない。これは当たり前の話だ。だが、感情の問題で、「使わない」ということがある。モノは人のように動くわけでも話すわけでもないので、つい放置しがちになる(笑)。

だがそれでは、あっという間に数か月、数年たち、使わないままで終わる…という最悪のケースになることもある。これを避けるためには、普段、自分の目に入るところに置くことだ。そうすれば、少なくとも「買ったことすら忘れる」という事態は避けることができるだろう(笑)。

※モノにも餌をやる意識を持ちたい。

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 まとめ

今回は、「釣った魚に餌をやらない」について書いてみた。

釣った魚というのは、「身近にいる人」ということになる。身近にいる人に対しては、安心したり甘えたり、当たり前だと思ったり、欠点が目についたりで、なかなか「餌をやる」ということができない。「餌をやる」というのは(上から目線で)やや語弊があるので、「与える」としてもいい。

なので、意識的に「与える」言動が必要になる。唯一、与えることで自分が潰れてしまうケースを除けば、与えればいいのだ。「当たり前」を「ありがとう」に変換し、与えるようにしたい。

今回の記事:「釣った魚に餌をやらないという心理」