不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

仲間外れにされた時の対処法|被害者モードを脱却し、尊厳を守る思考術

仲間外れに悩み、一人で考える人物のイメージ

仲間外れにされたときは、「①感情を冷静に制御する」「②相手に悪気はない可能性も考える」「③負の感情を行動の燃料に変える」という3つの考え方が、大きな助けになります。

「行きたくない飲み会なのに、自分だけ誘われていない……」。そんな矛盾した感情に、胸がざわついたことはありませんか?

職場や学校、コミュニティで自分だけが外された瞬間、怒り・悲しみ・自己否定が一気に押し寄せます。この疎外感は、ただの寂しさではなく、自分の尊厳を否定されたような深い痛みです。しかし、その痛みに飲み込まれる必要はありません。

本記事では、こうした3つの考え方を軸に、感情論ではなく「知性」を武器にした具体的な思考術を解説します。読み終える頃には、被害者モードから一歩離れ、傷ついた尊厳を自分で守りながら、「戦略的当事者」という視点で人間関係を見つめ直せるようになるでしょう。

目次:

 

 

なぜ「仲間外れ」で傷つくのか

仲間外れにされることがある。たとえば、飲み会や食事会にまつわる話だ。

自分が所属するコミュニティ(家族、学校、職場など)の人たちが、自分だけを外し、飲み会や食事会を催す。

必ずしも、自分がその会に行きたいわけではない。誘われても、断るかもしれない。いや、「面倒くさい」、「どうせ居心地が悪い」と感じ、断りがちだ。だが、あからさまに自分だけが外されると、とても嫌な気分になる。行きたくないのに、誘われないと腹が立つ。

矛盾しているようだが、自分は「仲間外れにされた」、「ないがしろにされた」と感じるためだ。「なぜ、自分がこのような扱いを受けるのか?」と憤ることもある。

結果、被害者モードに陥りやすくなる。

原因を客観視する ― 自分に非があるケースも

なぜ、仲間外れにされたのか。その理由は薄々感じている。

以前、誘われたときに断った。断り方が悪く、相手に嫌な思いをさせた。仲間外れにされがちな人は、相手の気持ちを慮り、角を立てずに上手に断る、ということが苦手だ。

飲み会や食事会に行っても、コミュニケーションがうまく取れず、相手に不快な思いをさせ、場の雰囲気を悪くした。その結果、「あいつはもう呼ばないほうがいい」というコンセンサスができたのかもしれない。

そう、自分にも非があったのではないかと、心のどこかでわかっているのだ。

もちろん、すべての仲間外れが本人に原因があるわけではない。理不尽なケースも少なくない。しかし、原因が自分にあるかどうかにかかわらず、自分がどう受け止め、どう行動するかは選ぶことができる。

疎外感の正体:相手に期待してしまう心理

それでも、相手に期待してしまうことはある。

形だけでも自分に気を使い、「声をかけてください」、「誘ってくださいよ」ということだ。

無視をしないでほしい、自分をないがしろにしないでほしい、ということだ。無視をされると、自分の尊厳が傷つく。「それだけは、やめてほしい」と思うのだ。

この場合、気配りのできる人がどうするか。本音では相手に来てほしくないから、誘いたくない。誘っても断られるし、一見すると、誘うことに意味はない。それでも、一応は誘う。そうすれば、無駄に相手を傷つけることがないし、相手の恨みを買うこともない。

だから、形だけでも声をかけるという配慮は、人間関係を円滑にする上で意味があるのだ。

 

 

対処法①:感情を冷静に制御する技術

ここからは、対処法について書いていく。

まずは、冷静に事実をながめて評価しよう。

わたしは将棋を指すが、やってはいけないことがある。対局中に<これをやったら、まず負ける>ということがある。わかっていても、思わずやってしまい負けることがあるのだが(笑)。

それは、感情的になり、よく考えずに次の手を選び指してしまう、ということだ。これをやると悪手になり負けにつながる。なぜなら、冷静な読みが入っておらず、穴のある疑問手になるためだ。

感情の暴走は恐ろしい。人の最大の武器である思考力を根こそぎ奪ってしまうからだ。その結果、適切かつ合理的な言動を選択できなくなる。

まずは、深呼吸でもして、頭を冷やし冷静になることだ。アニメで「素数を数えて落ち着く」という描写があったが、感情を理性で制御するという意味で理にかなっている。

感情の暴走を防ぐために、自分なりの有効な手段を用意しておくことが大事だ。

仲間外れにされた直後ほど感情は乱れやすい。だからこそ、まずは冷静さを取り戻すことが、適切な対処への第一歩なのである。

自分の尊厳は自分で守る

仲間外れにされると、自分の尊厳が傷つけられた、と感じる。

不当に軽んじられた、ないがしろにされた、自分の価値を否定された、と感じるのだ。

その感情は、ごく自然なものだ。相手が自分をそのように扱うのであれば、自分も相手を粗末に扱おう、とすることもある。やられたら、やり返せ!となるのだ。

そうなると、自分の殻に閉じこもり、まわりに対して攻撃的になりがちだ。まわりに対して攻撃的・否定的になると、ますます相手からは嫌われるし、敬遠されることになる。自分とまわりとの間の溝を一生懸命に掘り続けるようなものなのだ。その結果、孤立を深めることになる。

それを避けるためには、「自分の尊厳は自分で守る」という意識を強く持ちたい。

たとえば、口下手であれば、そのかわりに別の能力が伸びている可能性がある。

対面での会話は苦手だが、文章を書かせると抜群に上手い、という例はよくある。人の能力はトレードオフなので、偏りがあるケースは極端なものも含めて普通なのだ。

言語的なコミュニケーション能力は、目立つしわかりやすいのですぐに評価されがちだが、深い部分の人格や継続する力などは、短時間では評価しにくく、評価されにくい。

他人の評価には、常に齟齬や偏りが生じる。「この人はすばらしい」と感じた人が、実はひどい人だった、なんてことは、よくあることだ。

わたしも、自分の見る目のなさに自嘲したことがある。学歴がすばらしい専門家である、トークに知性があり、切れ味も鋭い、と評価していた人が、実は…なんてことがあるのだ。

だからこそ、自分の能力は自分でしっかり評価したい。他人の評価は参考にはなる。だが、自分の価値を決める基準ではない。自分の尊厳は、自分で守るのだ。

対処法②:「相手に悪気はない」可能性も考える

別の角度から、「相手に悪気はないのでは?」とも、考えてみよう。

もちろん、相手に悪気があるのかもしれない。だが、特に悪気はなく、自分たちなりの判断をしただけかもしれない。

飲み会や食事会を主催する側としては、場の雰囲気を悪くする人を呼びたくない、その場で孤立しそうな人を呼びたくない、と考えるのは自然なことだ。その考えを否定することはない。「まぁ、そうだよね」で、いいのだ。

かりに、相手に悪気があったとしても、それを真正面から受け止める必要はない。

受け止めれば、自分が苦しくなるだけだ。余計な妄想も膨らむ。だから、「相手にさほど悪気はないだろう」、「主催者の配慮が足りないが、配慮できる人ばかりではない」、「自分も完璧ではないし」として、折り合いをつけておくことが最善に近い選択になる。

少し知性を戦略的に使い、「都合のよい認知」に切り替えることで、自分の気持ちを楽にすればいいのだ。

対処法③:負の感情を「行動の燃料」に変える方法

仲間外れにされた、と感じると、心の中で負のエネルギーが生じ一気に膨張する。

なんともいえない<もやもやした不快感やみじめな気持ち>が心を満たし渦巻く感覚に襲われる。

しかし、負のエネルギーでも、行動の源泉になるエネルギーであることは確かだ。そうであれば、有効に活用すればいい。

まわりに対して、不機嫌になる、攻撃的になる、八つ当たりをする、というのでは知性を欠き、芸がない。たしかに、自分の負の感情を露わにし、まわりに自分が傷ついていることを知らしめる、という意味はある。

だがそれは、つまるところ、ひとりよがりの自己満足でしかない。

それよりも、この際だから、他者の意見を聞いてみよう、こういう場合の対処法を学び身に着けておこう、とする方が、建設的なエネルギーの使い方になる。

知性によって、エネルギーのベクトルを変え、有効に利用すればいい。仲間外れにされた経験さえも、自分を前に進めるための燃料に変えればいいのだ。

 

 

「戦略的当事者」として生きるために

結局のところ、仲間外れにされることの痛みは、そう簡単に消えるものではない。

だが、それを受け止め、咀嚼し、自分の糧に変える力を、あなたは持っている。

不当に扱われたと憤る「被害者モード」から抜け出し、自分を客観視し、知性を戦略的に使う。そうやって「自分の尊厳は自分で守る」と決めた瞬間から、あなたは、周囲の顔色に支配される受動的な存在から、自分の人生を自ら舵取りする「戦略的な当事者」へと変わることができる。

感情に振り回されて悪手を指すか、冷静に次の一手を選ぶか。その差は、知性を使えるかどうかだけだ。

あなたはもう、誰かに誘われるかどうかで、自分の価値を決める必要はない。自分の中に確かな基準を持ち、自分のエネルギーを、もっと建設的で、もっと明るい未来のために使える人である。

感情の暴走を止め、知性を武器に歩みを進めれば、その先には、今よりずっと軽やかな毎日が待っている。