コミュニケーション能力が低いと自覚して、悩んでいる人は多いと思う。
わたしもそのひとりだが、久しぶりにしばらくへこむような失敗があった。頭で理解していても、実践においてできない、ということがしばしばあり、今回の事例もそのひとつになる。
わたしの失敗を<他山の石>としてもらえば、さいわいだ。
目次
塩対応してしまう
他社の人と打合せをした時のことだ。先方は二名。ベテランと若手のコンビだった。
このような仕事絡みのケースでは、わたしには、常に「知識と経験のある人と話をしたい」という気持ちがある。つまり、若手の人ではなく、ベテランの人と話をしたい、ということだ。
ビジネスの話であり、時間も限られるため、その方が合理的である、と考えるためだ。
若手の人は、わたしと積極的にコミュニケーションを取ろうとしていたが、わたしは良い反応をしなかった。わたしに悪意はないのだが、第三者からみれば、そっけない塩対応だったと思う。今述べた気持ちに加え、相手の話が世間話に該当する話であり、あまり重要性を感じなかったためだ。
だが、あとから考えると、「失敗をした」と思った。
コミュニケーションの失敗例として、「相手の話に耳を傾けない」というものがある。わたしの行動が、それに該当するためだ。わたしは、「その話題は重要ではないので、深掘りしても意味がない」とすぐに判断し、「そんな話はいいから、すぐに本題に入りましょう」という態度を取ったと思う。
※いくら話自体に重要性がないとしても、世間話には「本題への導入をスムーズにする」という立派な役割がある。
相手は不快な思いをしただろうし、相手を嫌な気分にした自分を嫌悪する気持ちになる。
ベテランの人も、ビジネスパートナーであるわたしの言動を観察している。今回の件では、決して、よい印象を持たなかっただろう。このことは、わたしのビジネスにとってもマイナスになる。
失敗したら反省する
失敗したら、まずはよく反省する。
失敗した原因は何か、何がどうまずかったのか、どうすべきであったのか。
今回の失敗の原因は、わたしに(特にビジネスにおいては)「常に知識と経験のある人と話をしたいという気持ちがある」ということだ。裏を返せば、「これから知識や経験を積み重ねていく人を軽視する」という傾向があるのだ。
このような思考の性癖は、「相手によって態度を変える」ことにつながる。
結果、自分を利する人には丁寧に接するが、そうでない人には塩対応する、ということになる。そうしている本人からすれば、「合理性がある」ということになるが、人としての言動の正誤でいえば、「誤」になる。
相手のあるコミュニケーションに、自分勝手な合理性を持ち込むべきではないのだ。
合理性を追究すべきではない
自分の利益になる人とパイプを太くしたい、と考えるのは自然なことだ。
コミュニケーションにおいても、自分の利益になる人とより長く話をしたいと思う。
だが、そのような合理性は、コミュニケーションに持ち込まない方がいいだろう。なぜなら、1)軽視された人は不快な感情を抱く、2)「相手に応じ態度を変える人だ」という評価につながる、ためだ。
まず、人に嫌われていいことはない。
悪事千里を走る、悪い噂は翼を持つ、という表現があるが、自分の悪評は、どんどん広がる。
誰かに「感じの悪い人だ」、「人によって態度を変える人だ」という評価をされると、その評価はいつしかひとり歩きして、まわりの人に浸透していく。もともとまわりの人も、「あの人の態度には、ちょっと問題があるかもね…」と思っていることがあるので(火種がある)、一度火が付くと(共感の輪が広がり)延焼しやすいのだ。
「悪口を言う人が悪いのだ」とすることもできるが、現実はそういうものだ。
どうすれば改善できるのか
とは言え、わたしのようなタイプは、同じような失敗を繰り返しがちだ。
コミュニケーションにおいて、合理性を持ち込むべきではない、と思っていてもやらかす(笑)。
では、「どうやれば改善できるか」だが、特効手段はない。
当たり前のことを確実に行う意識を持ち、少しずつでも実際の言動に反映していく、ということしかない。具体的には、まず相手の話を傾聴する。相手の話の重要度を評価するのではなく、相手の話題に無条件で関心を持ち、その話題を持ち出した相手の気持ちを理解しようとする。相手の話を否定・批判せず、ほめられたら(過度に謙遜するのではなく)素直に感謝の気持ちを表現する。
こういう当たり前だが、実際にはできていないことを確実にやっていく、ということだ。
まとめ
今回は、「コミュニケーション能力が低すぎて反省した話」を書いた。
いくら反省しても<後の祭り>だが、相手には不快な思いをさせてしまった。
※わたしの塩対応以降、若手の人は意気消沈して、わたしと目を合わそうとしなかった。
一度、相手に悪い印象を持たれてしまうと、その印象を覆すのは大変になる。
たとえば、最初の印象が「100」として、「-20」で「80」になるとしよう。その場合は、割合でいえば、「-20%」ということになる。だが、「80」の評価を「100」に戻すためには、「+25%」必要になるのだ。
自分の評価を落とすより、上げる方がむずかしい、ということがわかるだろう。このような非対称性の罠は、賢く回避しなければいけない。この罠に引っかかると、負のループにはまりやすく、生き辛くなってしまうのだ。
わたしと同じようなタイプの人は、わたしの失敗を<他山の石>にしてほしい。