イエス・バット法というものをご存じだろうか。
相手の話をまず「イエス」で受け入れ、「バット」以下で自分の考えを述べるという方法だ。
一般に、相手の話や主張に反論したいときは、この方法を使えばいいとされる。
イエス・バット法は、すぐれたコミュニケーションの手段だが、知っていても実践で上手く使えないというむずかしさがある。この方法を使うには、ある程度の実践的な練習が必要になる。
今回は、イエス・バット法について書いてみたい。
目次
効果を考える
つい反論してしまう
相手の話に反対するとき、どういう反応をしているだろうか。
プライベートでは、家族などがああしたい・こうしたいという(自分の考えとは違う)希望をぶつけてくることがある。○○がほしい・買いたい、どこそこへ行きたいという類の話だ。仕事では、会議などで自分の意見と全く違うことを言う人がいる。そんなとき、どう反応しているだろうか。
合理性よりも効果を考える
そんなときの心情として、自分の考えとは違うので相手の話に反論したいという気持ちがある。
人とのコミュニケーションにおいても合理性を重んじたいと思っている人であれば、「いや、その話にはこういう理由で反対です」とシンプルに述べたくなるだろう。だがそのやり方がいいのかといえば、よくない。
コミュニケーションの場合は、合理性よりも効果を考えた方がいいのだ。
※コミュニケーションでは、効果を重視したい。
すぐに反論すると…
以前、ある大型商品を店舗まで見に行ったことがある。
そのとき、この商品には2つ問題(A、Bとしよう)がありますね、と率直な感想を店員さんに述べた。
Aについては、反論のしようがなかったので店員さんはスルーした。Bについては、(主観の問題で)反論の余地があったので、店員さんはすぐに反論してきた。そのとき私が思ったのは、「自社の商品をけなされたと思い、カチンときたのかな」ということだ(そんな態度に見えた)。
効果的にはならない
もちろん、わたしの指摘の仕方が悪かったのかもしれないが、
ここで言いたいことは、すぐに反論すると相手に与える印象が悪くなる…ということだ。言い換えれば、効果的なコミュニケーションにならない…ということだ。
すぐに反論することで、自分は安易に同調せずに「言うべきことを言った」と満足するかもしれないが、目的(商品を売ること、主張を受け入れてもらうこと)の達成には役に立たない。
※人には、感じのいい人から買いたい、という気持ちがある。
イエス・バット法を使う
イエスからバットへ流す
そんなときは、即反論するかわりに、イエス・バット法を使えばいい。
イエス・バット法とは、まずは相手の話をイエスで受け止め(肯定し)、バット以下で自分の意見(反論)を披露する、というコミュニケーションの方法だ。
先の例でいえば、Aについてはスルーせず、「その点はご指摘のとおりです」とし、(反論の余地がある)Bについては、「そういう印象を持たれることはあります。ごもっともなご指摘かと思います」と相手の話を受け止めた上で、反論をすればよかった。
感情を抑える練習が必要に
ただ、イエス・バット法は頭で理解していても、練習を積まないと実践では使えない。
相手の話にイラッとしたりカチンとくることもあるし、「すぐに反論しなければ」、「言うべきことを言って押し返さなければ…」という気持ちが先に立ち、余裕をなくしてしまうことがあるためだ。
※冷静さを失うと、使えなくなってしまう。
依頼を断った人のはなし
イエス・バット法を使った断り方がある。
ある人が目上の人から、(受けられない)仕事を依頼されたそうだ。
その人はとても忙しく、新しい仕事を受ける余裕がなかった。
そこで、「あなたの仕事であれば、喜んでお受けします。ですが、今はこういうスケジュールで動いており、あなたの仕事を受けると、ほかの仕事に影響が出てしまいます」として断ったそうだ。
「あなたの仕事であれば、喜んでお受けします」というフレーズが肝になる。
イエスがむずかしい…
私も含め凡庸な人であれば、このイエスのフレーズを入れることはできない(笑)。
相手が上司であれば、せいぜい「今、~の仕事を抱えていますが、それらより優先して行う仕事ですか?」と聞くぐらいだ。たとえ上下関係により物理的に断われなくても、技術的には断れるようにしておきたい。
※断ることが適当であれば、いつでもイエス・バットで断われるようにしておく。
イエス・アンドとノー・バット
イエス・アンド法がいい
これも広く考えればイエス・バット法なのだが、区別があるので紹介したい。
イエス・バットと聞くと、イエスの後に「でも・しかし」で反論する、というイメージがある。
あなたは、「でも・しかし」という言葉を聞くと、どのような気分になるだろうか。先にイエスで自分の話が受け入れられたと感じていても、逆接の接続詞を耳にすると嫌な気分になるものだ。
※「でも・しかし」と続くと、ひっくり返されたような印象を受けるのだ。
内容は同じだが印象が…
そこで、イエス・アンド法を使ったらどうか、という話になる。
イエス・バット法とイエス・アンド法の違いは、端的にいえば、逆接の接続詞を使うか否かの違いにすぎない。話の内容的にはそう変わるものではないのだ。
イエス・アンド法の場合は、「しかし」という逆接ではなく、「それに加えて(こういう話もある)」、「それに加えて(ここがこうなれば上手く行く)」という形で話を進める。
※話の内容は変わらないが、相手が受ける印象は変わるのだ。
ノー・バットという方法も
イエスではなく、ノー・バット法という方法もある。
ノー・バット法では、最初に「ノー」と言い、その後で「しかし」とつなげる方法だ。
イエス・バットは、「相手を持ち上げて落とす」というやり方になるが、ノー・バットは、逆に「相手を落として持ち上げる」というやり方になる。
後のアクションの方が人の印象に残りやすいことを考えると、イエス・バットよりノー・バットの方が有効かもしれない(持ち上げられた印象が残る)。
ただし、それには条件がある。
深くまで落とさないように
最初の「ノー」のときに、あまり深くまで落とさないということだ(笑)。
そのためには、クッション言葉が有効だろう。「誠に恐れ入りますが」、「お役に立てず申し訳ありませんが」、「大変申し訳ないのですが」、「あいにくですが」というフレーズだ。
※「しかし」の後は、代替案などを提示する。
イエス・バット法 - サマリー
まとめ
今回は、イエス・バット法について書いてみた。
基本は、まず「イエス」ということだ。どんなに違うな…と思っても、「イエス」という。「そう思われますか」、「そういう考え方もありますか」ということで、イエスということは可能だ。
それは、相手の話に同意する、賛同する、ということではなく、「受け止める」ということだ。
イエス・バットとイエス・アンドは、状況により使い分ければいい。
明確に反論しなければいけない場合、反論に軸足をおきたい場合は、イエス・バットを使えばいいし、そうでないときは、イエス・アンドを使えばいい(イエス・アンドの方が、相手の印象は良くなる)。また、ノー・バットが優れる場合もある。ノー・バットを使うときは、クッション言葉とセットで使いたい。
※これらの手法を使うことは、悪く言えば効果的な印象操作になる(笑)。
今回の記事:「イエス・バット法で自分の印象を良くする」