人間関係で悩みを抱える人はたくさんいる。
自分の人生を振り返っても、人間関係の悩みがなく快適に過ごしていた、という時期よりも、人間関係の悩みで悶々としていた…という時期の方が長い。この悩みを抱えながら歩みを進めることはある意味当たり前なのだが、時に心がとても苦しくなり、生き辛くなることも確かだ。
今回は、この問題の原因と解決方法を探ってみたい。
目次
人を嫌いになる…
人間関係の悩みは、「人を嫌いになること」から始まりがちだ。
自分が誰かを嫌いになれば、その「嫌い」が相手に伝わり、相手も自分を嫌うようになる。
※もちろん、相手から先に嫌われて、自分も相手を嫌うようになることもある。
嫌いな人と接することは、強いストレスになる。話すことはもちろん、顔を見るだけでも嫌になる。ひいては、その人物と同じ空間に居合わせることが苦痛になる。このような(相互的に嫌う)関係が複数できてしまうと、その場(学校や職場など)に自分がいることが嫌になってしまう。
外から見て「あの人は恵まれている」、「社会的な地位や財産があり、成功者である」という環境にいても、人間関係において深い悩みを抱えて日々苦悶している、ということは普通にあるのだ。
その結果、会社であれば、自ら異動を希望したり、退職したり、ということになる。
なぜ嫌いになるのか
なぜ、「その人を嫌いになるのか」だが、これには様々な理由がある。
たとえば、以前わたしが勤めていた会社のある女性は、体臭にとても敏感で、比較的体臭のある人を蛇蝎のごとく忌み嫌っていた。そういうタイプの人に近づくのも嫌で、相手が近くにくると踵を返して立ち去ったり、そうできない場合は、顔を背けたり歪ませる、という態度を取っていた。
※態度があからさますぎて、わたしを含むまわりの同僚は、引いていた。
また、自分の批判をした人を嫌いになることは、あるあるだ。自分の批判をする人を好きになることはまずない。余談になるが、批判をするのであれば、人格に及ばず、行動に限定しなければいけない。また、褒めと合わせ技にするなど、相手に対する配慮が必要だ。この配慮を欠くと、相手に嫌われることになる。
そのほかにも、人を嫌いになる理由はたくさんある。
自分から人を嫌わない
人間関係をよくしたいのであれば、自分から人を嫌わないようにしたい。
自分でコントロールできる問題なので、一見、簡単そうに感じるが、これが意外にむずかしい。
特に、自己肯定感が低く、自分を嫌っている方だ、という人には至難の業だ。現在の自分を評価できなければ、自分の評価を上げるためには、他人の評価を下げるしかない。ゆえに、他人を叩くとか、嫌うことに繋がりやすいのだ。
とはいえ、自己肯定感が低いので、それ以外の方法で自分の評価を上げることができない。
その場合は、大元の自己肯定感を上げる地道な努力も必要だが(簡単ではないので)、その負のメカニズムを理解し、そこに<はまらないように>意識することが大切になる。具体的には、自己嫌悪や自己肯定感の低さゆえに、相手を嫌おうとしているのではないか、と考え、他者を嫌いそうになったら、「ちょっとまてよ」と、一歩立ち止まることが大切なのだ。
今よりも寛容になる
また、他者に寛容になる、という意識も必要だ。
たとえば、自分のあいさつに対し、あいさつを返さない同僚や近所の人には腹が立つが、「まぁいいか」、「中にはそんな人もいるか」、「相手には相手の事情があるのだろう、知らんけど」思考で、できるだけ腹を立てずに流す。または、あいさつは自分のために行っている、と認知してもいい。
自分が嫌な出来事だなと感じると、澱(おり)になり記憶に溜る。それが嫌いの原因になる。
ゆえに、澱(おり)を溜めないようにする。嫌な出来事だと感じるかどうかは、自分の認知次第である。認知や記憶の編集&取捨選択の権利は、自分が持っている。その権利をうまい具合に行使すればいいのだ。
そして、できるだけ自分から人を嫌わないように仕向ければいいのだ。
他人を嫌いになると
人を嫌いになると、人間関係が悪くなる。
自分がいる場で、「嫌⇔嫌」の相互関係が生じると、その場における自分の居心地も悪くなる。
先に述べた体臭に敏感な女性は、さっさと会社を辞めてしまった。
1)自分から積極的に他人を嫌うことで、職場における人間関係を悪くしてしまった、2)人として(嫌いを優先するあまり)行き過ぎた態度をとってしまったため、まわりからドン引きされてしまい(これまた)人間関係を悪くした、ことが原因だと思う。もちろん、わたしの想像でしかないが、わたしにはそう見えた。
他人を嫌いやすい人は、人を嫌わば穴二つ、と自戒した方がいいだろう。
自分との人間関係を
人間関係の悩みが尽きない…という人は、自分との人間関係を見直す。
そういうタイプの人は、ベースになる自分との関係や折り合いが良くないはずだ。
自分はダメだと思っていないだろうか。
こんな学校や会社に入るはずではなかった、他者に評価されない、それどころか、軽く見られる、馬鹿にされる、蔑まれる、同情される人生になっている、人生を振り返ると、大事なところで選択を間違えている、失敗ばかりしている、と感じ、できることなら人生をリセットしたいと願う。
これでは、「自分はダメだ」と常に自分に語りかけているようなものである。そうすると、自分との関係は必然的に悪くなる。それは、最も重要で基本的な人間関係が悪くなる、ということである。
自分との関係が悪い状態で、他者との人間関係を良くしようとしても無駄なのだ。
失敗には意味がある
とはいえ、自分との関係を良くしようとしても、簡単ではない。
たとえば、人生における軽微な失敗は許せるが、キャリアに影響する失敗は許せない。
受験、就職の失敗、転職の失敗。これらは負の遺産として、一生背負い込むことになる。
だが、失敗には意味がある。ひとつは、挑戦したということ。挑戦を避けて失敗を避ける、という道を歩むと、「あのとき挑戦すればよかった」という後悔が生じるのだ。さらに、失敗を分析すれば、そこから学びを得ることができる。この学びは、自分自身の将来の選択に使うことができるし、自分がそうできなければ、自分以外の人に利用することができる。
また、自分が敗者の役割を果たすことで、社会に貢献している、とすることもできる。スポーツでも何でも、敗者は勝者の引き立て役として、必ず必要になる。ある意味汚れ役だと感じるかもしれないが、その必要な役割を全うした、とすればいい。
失敗して負けたところで、「社会に必要な役割を果たした」と、堂々としていればいいのだ。
まとめ
今回は、人間関係がうまくいかない原因と解決方法を探ってみた。
人間関係の悩みは、「人を嫌いになること」から始まることがよくある。
会社であれば、あの上司や同僚が気に食わない。嫌いだ…と思うと、そこから人間関係の悩みがはじまる。嫌いの度合いが強くなれば、人間関係の悩みも深くなる。すなわち、両者は比例関係にあるのだ。
ゆえに、人間関係がうまくいかない原因のひとつは、「自分が人を嫌うこと」としていい。その原因を取り除けば(あるいは改善を意識するだけでも)、人間関係は今よりは上手くいくはずである。
補足として、人を嫌ってしまった場合の対策を考えてみよう。
その場合は、それ以上、嫌わないようにすることだ。一度嫌ってしまうと、自分の中でその人の悪い面ばかりが膨らんでいき、憎悪を募らせることになる。その人と何かあるとすぐに、「嫌い」を補強する方向に認知を進める。ほかの人の言動であれば鼻につかないのに、嫌いな人の言動であれば、(同じような言動であっても)とりわけ鼻につく、ということがある。
そんなときも、「ちょっとまてよ」と、一歩立ち止まることが大切になる。