あなたのまわりにも、「思いやりがある人」がいると思う。
そんな人を見ると、「素敵な人だな」、「大人たちから愛情を一杯受けて育った人だな」と思うし、「まわりから高く評価されるだろうな」、「こういう人がたくさんいると、生きやすくなるだろう」、「自分ももう少し思いやりの心を持った方がいいのでは…」と思うこともある(笑)。
今回は、思いやりがある人になればいい、というテーマで書いてみたい。
目次
思いやりの心とは
思いやりとは、「他者の心情を察し、心を配ること」だ。
思いやりの心があれば、他者の気持ちや心の中の思いを察する。
自分の立場を離れ、他者の立場や気持ちを理解する・共感する。他者の気持ちの理解・共感を行動のモチベーションにし、実際に他者を思いやる行動をする、ということになる。
わたしの事例だが、わたしが足のケガで杖をついていたとき、見知らぬ人が助けてくれる、ということが何度かあった。※こういうときに、人が持つ思いやりの心が見えるもの。
その人たちの中では、「あの人はケガをして大変そうだ(察し)」、「きっと、大変な思いをしているだろう。その思いは想像できるしわかる(察し+理解・共感)」、「自分が少しでも助けてあげよう」という動きがあり、わたしを助ける温かい行動をした、ということだ。
思いやりのある人とは
思いやりのある人の特徴
思いやりのある人は、「思いやりの心を持つ人」ということになる。
このタイプの人は、人一倍「他者の気持ちや心の中の思いを察する」能力があり、そうしようとする。そして、「他者の立場や気持ちを理解する・共感する」能力もあり、そうしようとする。さらに、親切な行動をするマインドがあり、実際に行動する勇気がある、ということだ。
※そういう人になるためには、いくつかハードルがあることがわかる。
話を振ってくれる人がいる
自分が話せないときに、話を振ってくれる人がいる。
複数人で会話するシチュエーション(会議なども含む)で、気後れして話せない、ということがある。そういうときに話を振ってくれる人には、「思いやりの心」があるだろう。
あの人は話をしていないな…と察知し、「気後れして話せないのだな」、「自分にもそんなときがあった」などと「理解+共感」し、自分がその人のために行動しよう…となる。
そして、その人に「話を振る」というやさしい行動をとるのだ。
思いやりのない人も…
思いやりのない人もいる
思いやりのある人がいれば、そうでない人もいる。
たとえば、自己愛が強くなりすぎると、自分のことで手一杯になり、「他者の気持ちや心の中の思いを察する」ことはどうでもよくなる(そんなことは、優先度が低く二の次になる)。
自分の立場を離れ、他者のことを考えることができなくなる。自分に物理的・精神的な余裕がないときも、(どうしても、自分の利益を第一に考えてしまうので)そうなりがちになる。
他者を負担に思う人も…
他者の立場や気持ちを理解・共感することをしない、という人もいる。
いちいちそうすることは面倒くさいし、自分のリソースが無駄になる(負担もある)。
また、「自分のことを理解してくれないのに、なぜ自分が理解しなければいけないの?」という思いから、そうしない人もいる。知人でも「それはあなたの問題だよね」として一線を画す人がいるが、思いやりのない人かもしれない(課題の分離を間違うと、こうなることがある)。
思いやりがある人になる
思いやりのある人になるには
ここまでの話で、思いやりのある人になるための方法が見えると思う。
他者に目を向け、関心を持つ。他者の内面に目を向け、その人の気持ちや心の中の思いを察するよう努める。自分の立場や利害を離れ、その人の気持ちに寄り添って理解・共感するよう努力する。
その理解や共感を燃料にし、行動してみる、ということだ。自分が(その人の立場になるとき)してもらいたいように行動する、その人がしてほしいと思っているだろうことをする、ということだ。
※前段として、強すぎる自己愛や自己中的な発想は、手放した方がいい。
自分を思いやる
ここまで他者、他者と言ってきたが、思いやりを自分に向けることもできる。
思いやりはまず、自分に向ければいいのではないか。
自尊心のない人が他者をリスペクトできないことと同様に、自分を思いやることのできない人が、他者を思いやることができない可能性はあるだろう。そうであれば、自分を思いやることが先だ。
自分を思いやることのできる人は、苦境からの立ち直りが早いそうだ。
これはエビデンスのある話で、そうすることにより、幸福度が上がり不安感が低くなり、メンタルが安定するそうだ。自分に思いやりを持たず厳しく接すると、幸福度は下がりメンタルが不安定になる。この裏も成立する、ということだろう。※自分を思いやれば、自己が安定する。
思いやりがある人になればいい - サマリー
まとめ
今回は、思いやりがある人になればいい、というテーマで書いてみた。
社会には、思いやりのある人ない人、両方いていいのだろうと思う。後者がいるから、前者のすばらしさが際立つ、ということもある。だが、自分のことを考えれば、前者よりになった方がいい。
自分が自らの意思で人を思いやる、という行為には、重要な意味があると思うからだ。
まず、自分を思いやることからはじめよう。
自己愛の強い人も、自分のことだと抵抗なく行動できるはずだ(笑)。自分の気持ちを理解し受け入れる。嫌な感情や情けない感情、はずかしい感情なども受け入れる。自分を全肯定している、と思うかもしれないが、感情を受け入れながら反省する、ということは可能なことだ。
今回の記事:「思いやりがある人になればいい」