高学歴なのに仕事ができない、という事例がある。
あの人は高学歴なのに、仕事ができないな…と思うことがないだろうか。
仕事と言っても千差万別で、いろいろある。定型的な仕事もあれば、非定型的な仕事もある。
ルールやマニュアルで固められ、誰がやっても大差ない…という定型的な仕事であれば、学歴の差は関係ないだろう。さらに、定型的な仕事+接客の仕事(対人スキルが重要視される仕事)であれば、学歴よりもコミュニケーション能力の差で仕事ができる・できないが決まるだろう。
※スーパーの品出し&レジ打ち、カフェやファストフードの多くの業務、工場のライン工の業務などは、定型的な仕事だ。知的労働でも、たとえば、税理士による確定申告の代行業務などは、定型的な仕事だ。定型的な仕事は、バイトや派遣、機械やソフトにより行われることが多い。
目次
- 目次
- 非定型的な仕事では高学歴群が有利
- 個人で見れば仕事ができない人がいる
- 組織人として問題がある
- 頭を越されるのは容認できない…というプライド
- 現実を受容できなければ仕事ができない人へ…
- 議論ではなく喧嘩をする
- 仕事に対する考え方に問題がある
- 仕事が好きだったら?
- 一度落ちると挽回が難しくなる
非定型的な仕事では高学歴群が有利
なので、非定型的な要素のある仕事の場合として考えてみる。
非定型的な要素のある仕事とは、未知の部分があり、自分の頭で考えなければ、業務を遂行できないタイプの仕事だ。たとえば、設計&デザイン、商品企画などの仕事は、アウトプット自体を(自分の頭で)創造しなければいけない、非定型的な仕事だ。
※企業に勤めるホワイトカラーの仕事にも、非定型的な要素のある仕事は普通にある。
この場合は、(推測だが)グループとして比較するのであれば、高学歴グループの方が質の高い良い仕事ができると思う。(両方のチームでグループワークをした)個人的な経験からもそう思う。
個人で見れば仕事ができない人がいる
この問題では、どこで高学歴か否かの線引きをするのかが問題になるが(線引きによっては、有意差は出ないだろう)、この問題は本筋から外れるので置いておく。
高学歴群が有利な理由だが、体力にたとえれば、「基礎体力」に差があるからだ。
ただし、それはグループとして比較した場合であって、個々人をみると、また違った景色がみえてくる。学歴が高くなくても仕事のできる人がいるし、高学歴でも仕事のできない人がいるのだ。ではなぜ、高学歴なのに仕事ができないのだろうか?以下、その理由について書いてみたい。
組織人として問題がある
高学歴だが、組織人として問題がある、という人がいる。
多くの仕事はひとりでするものではなく、チームで行っている。
その方が1人当たりの生産性が高くなるからそうしているのだが(それはさておき)、組織人として問題があると、他のチームメンバーの協力が得られなくなり、チーム内で孤立してしまう。
そのような状況下では、個人にいくら能力があっても、良い仕事はできないのだ(ずば抜けた能力があれば別だが、そんな人は滅多にいない)。
組織人として問題があるというのは、たとえばこういうことだ。学歴をもとに組織内での(自分的な)序列を決める人がいる。そして、自分より学歴が下の人には優越感を持ち、自分より学歴が上の人には劣等感を持つ。こういう歪んだ考え方を持ち、それが染みついているとやっかいだ。
頭を越されるのは容認できない…というプライド
もし、自分より(入社年次が同等かそれ以下で)学歴が下の人が、自分の頭を超えて出世したりすると、矛盾を抱えることになるからだ。
そのような状況下では、目の前の現実を受け入れることができず、不満を抱えたまま仕事をすることになる。もし、その人物が自分の直属の上司になったりしたら、上司を心の中で無視したり(面従腹背)、敵視する可能性すらある。
そうすることで、(自分的には)プライドや精神の安定を保つことができるのかもしれないが、まわりからみれば、厄介な人で一緒に仕事をしたくない人になる。
現実を受容できなければ仕事ができない人へ…
このタイプの人は、そのうち、非定型的な要素のある仕事はできなくなるだろう(声がかからなくなる)。
最終的には、上や人事から「使えない」と判断され、誰がやっても大差のない、定型的な仕事のみをやらされることになる。こうなれば、立派なリストラ候補だ。現実を是として受け入れることができない人と言い換えてもいいだろう。現実にそぐわない、頑なな考え方やプライドがあって、それらを柔軟に(現実に合わせて)変えることができない人…ということになるだろうか。
議論ではなく喧嘩をする
また、仕事のできない人は、議論ではなく喧嘩をする。
とびきりのいいモノやサービスを創る…そのためには、喧嘩のような議論も辞さず…ということではなく、自分の権益や正しさを譲りたくないので喧嘩をするのだ。
自分のために喧嘩をしていれば、そのうち、「面倒な奴だな…」、「彼と議論しても意味がないよね・仕方ないよね」ということになる。
そして、まわりと協調できなくなるので、仕事ができない人になっていくのだ。
仕事に対する考え方に問題がある
仕事に対する考え方に問題がある人もいる。
たとえば、「自分がやりたい仕事ではない」と思いながら、やむなく仕事をしている人だ。
自分が仕事を通じて成長しようと思えば、好きな仕事をやるか、与えられた仕事を好きになるか…この二択しかない。
嫌いな仕事を嫌々やって、素晴らしい成果を上げることができた、などという事例はない。とっかかりは嫌々でも、途中で好きな部分をみつけることができるから、成長し結果を残せるのだ。
「仕事が嫌だ」と思っていると、自分から積極的にその仕事に関するスキルを磨こうとは思わない。休みの日であれば、仕事のことを(たとえ1ミリでも)考えたくないだろう。
このタイプの人は、日曜の夜になると、気持ちがどんより曇るはずだ(笑)。
仕事が好きだったら?
仕事が好きであれば、その逆だ。頼まれなくても、強制されなくても、自分からその仕事について学ぼうとするだろう。そんな人は、プライベートの時間でも、仕事のことを考えるものだ(どこかに出かけても、何か仕事にプラスになることはないか…と考えることもある)。
以前の記事でも書いたが、
仕事が好きであれば、上司から強いられた仕事であっても、自律性を保ち取り組むことができる。そうでなければ、自律性を保つことができず、嫌々仕事をすることになるだろう。両者の結果の差は明らかだ。自分が嫌々やっている場合は、好きでやっている人には勝てないのだ。
一度落ちると挽回が難しくなる
高学歴の人が一度落ちると、挽回がむずかしくなる。
仕事に対する姿勢や考え方に問題があると、自己成長率が落ちることで相対的に沈み(まわりが成長しているため)、当初はキラキラした学歴から期待のホープとみなされていても、期待外れの高学歴なのに仕事のできない人に成り下がってしまう。
※学歴の高い人はまわりの期待が高いので、期待値との落差から、がっかりされやすい…という不幸な面がある。人に失望されると、セルフイメージの低下につながる。
こうなってしまうと、もはや挽回が難しい。
当初の学歴による優位性はなくなり、時間がたてばたつほど状況が不利になるからだ。そんな状況を肌で感じて、一念発起すればいいが、実際はモチベーションを落としたまま歳を重ねる可能性が高いように思う。「好きじゃないから仕方がない」とあきらめる方が楽だからだ。
このタイプの人を評すれば、「もったいない」ということになる。
続きの記事:「高学歴なのになぜ仕事ができないのか?#2」
行動メモ:
高学歴なのに仕事ができない人にならないためには…
自分が組織人として問題がないかチェックする。ほかのメンバーの協力を得ることができているだろうか。自分は、彼らに惜しみなく協力しているだろうか(win-win の関係があるか)。
※ほかのメンバーに不満を持ち、刺々しくなっていないか、心を閉ざしていないか。
厳しくても現実を受け入れているか、不要なプライドで軋轢を引き起こしたり、バランスを取ろうとしていないかチェックする。また、仕事を嫌々やっていないかチェックする。
今回の記事:「高学歴なのになぜ仕事ができないのか」