誰かから批判をされることがあると思う。
あなたを批判するのは、家族の場合もあるし、友人や恋人、仕事関係の人かもしれない。
批判をされる、というシチュエーションには、他人の粗や欠点は目につきやすいので、ほめるよりも批判をしやすい…という背景がある。また、上機嫌でいることよりも、(多種多様なストレスにより)不機嫌になる方がたやすいので、その気分が批判に結びつく…という背景もあるだろう。
※また、否定的な人とコミュニケーションをとると、否定 or 批判されやすくなる。
今回は、批判されたときの対処法について書いてみたい。
目次
- 目次
- 自尊心をチェックする機会にする
- 批判から学べることを探す
- 人格の批判はスルーする
- 相手に協力しない
- あの人だったらどうするか…と考える
- 批判されることは悪いことではない
- 成長の見込みがあるから批判される
- まとめ
自尊心をチェックする機会にする
批判されたとき、というのは、自尊心をチェックする絶好の機会になる。
自尊心が低い場合は、ささいな批判でも、グサッと胸に突き刺さる。
自分のとった行動に対する批判であっても、自分の人格を批判されたと思い込み、深く傷ついてしまう。自尊心が低い場合は、批判に対する感度が、必要以上に高くなってしまうのだ。
※被害者意識も強くなる。
逆に、自尊心が高い場合は、メンタルが柔軟で余裕があり、打たれ強くなっている。なので、自分のとった行動に対する批判なのか、人格に対する批判なのか、冷静に見極めることができる。
したがって、もし批判に対し、深く傷ついてしまう、猛烈に反発してしまうなど、「過剰に反応してしまう…」ということであれば、自尊心が低い状態にある、という可能性が高い。自尊心が低い、ということは大いに問題なので、それを機に改善するよう努力することだ。
自尊心を高めることはできる
もちろん、自尊心を高めることはできる。
批判されたときは、自らの自尊心の度合いをチェックする良い機会になるのだ。
※自尊心の高低に、気づくことができればラッキーだ。
批判から学べることを探す
批判されたときは、批判から学べることを探したい。
そのためにはまず、建設的な批判とそうでない批判(人格に対する批判など)を仕分けする必要がある。
上で述べたように、自尊心が低い場合は、建設的な批判であっても、(その裏には)人格批判があるのではないか…と疑心暗鬼になり、正確に受け取れない…ということがある。なので、裏を読もうとするのではなく、言葉の内容から解釈し、仕分けをすることが大事だ。
建設的な批判の場合は、そこから学べることは必ずある。
「誰かに叩かれたら、相手が自分の弱点を指摘してくれたのだと考えればいい」ということでした。そう捉えれば、「自分の弱みを改善していこう」とプラスに考えることができる。そこで「俺は間違っていない!」などと反論しても不毛な戦いになるだけですから、「良い学びのきっかけができた」と考えたほうが自分のためです。
出典:陰山英男(教育者)
たとえば、会社の上司に、「作成文書にミスが多いのではないか」、「集中しているのか」と批判(指摘)されたら、1)集中力をやや失った状態で書いていた、2)スペルチェックをかけていなかった、3)提出前に再度目を通していなかった、などの原因が浮かび上がってくるはずだ。
批判により、自分の至らない点が明らかになれば、それは自分の利益になる。
なので、批判から学べることを探せばいいのだ。
人格の批判はスルーする
仕分けした結果、人格に対する批判だ…ということもある。
「お前は何をやらせてもダメだな…」、「そんな性格でやっていけるのか」、「お前には協調性がないな」、「全く使えないやつだな…」、「君はどうしようもないな…」という類の批判だ。
つまり、批判された本人が、「その言いぐさは、理不尽だ…」と感じるような批判のことだ。こんなときは、スルーするのがいちばんだが、なかなかできない…という人も多いだろう。
分析モードに入る
そこでおすすめは、分析モードに入ることだ。
「イラッ」とした瞬間、分析モードに入る、という方法がある。
誰かに不愉快な言動をとられたとしよう。たとえば、あいさつを無視された、でもいい。そのとき、一瞬「イラッ」とすると思うが、すぐに「なぜ相手はそのような態度を取るのか?」と分析モードに入るのだ。
※「イラッ」⇒「分析」を繰り返すことにより、両者間のパイプ(結びつき)を太く・強くしておくことだ。そうすれば、自動的に切り替わるようになる。
出典:イラッとしたときの独創的な対処法
相手の心情を想像することで、そちらの方に注意を向ける、ということだ。「なぜ相手はそのような人格批判をするのか?」という問いを立て、答えを考える、ということだ。
この思考の切り替えにより、冷静さを取り戻すことができる。
相手に協力しない
人格批判をされたときは、相手に協力しない…ということが大事だ。
相手に協力する、ということは、相手の批判を受け取って深く傷ついたり、相手の批判をもっともだと思い、それに乗っかって自分を攻撃する、ということだ(自己嫌悪などを導くこと)。
悪意のある人の場合は、相手にダメージを与える目的で人格批判をする、ということがある。相手に協力する、ということは、その目的を達成させることであり、自分にダメージを与える愚かな行為なのだ。※自ら相手を利し、自分を窮地に追いやる行為をしてはいけない。
人には、理不尽なことには反発を感じる、という性質がある。なので、その性質を利用して、(穏やかに)人格批判には賛成しない・協力しない、としてしまえばいい。人格批判をされたら、「これが理不尽な人格批判というやつか…」という感じで、スルーしておけばいいと思う。
上で述べた思考の切り替えも、「相手に協力しない」という手段になる。
あの人だったらどうするか…と考える
批判をされたときは、あの人だったらどうするか…と考えてみたい。
「あの人」というのは、あなたが尊敬するロールモデルのことである。
「できる人」であれば、(たとえば)批判を素早く建設的なものとそうでないものに仕分けし、建設的な批判から何かを学び取ろうとし、そうでない批判は華麗にスルーするだろう。
そのイメージを頭に描き、自分の行動と重ねるのだ。
そうすることで、分析モードに入ることと同様に、注意が別の方に向くことになる。注意が別の方に向けば、(ふっと我に返り)冷静かつ客観的になることができるのだ。※感情的になるのは、注意が一点に集中し、視野が極端に狭くなるためだ(感情が手綱を握る状態になる)。
なので、ロールモデルの振る舞いを想像することは、有効な批判対策になる。
批判されることは悪いことではない
批判されることは、必ずしも悪いことではない…と考えよう。
ひとつは、批判されることで経験値が上がる…ということだ。批判をされなければ、批判に対する対処法を考えようとは思わない。批判をされることではじめて、自分にとってベストの対処法は何か…と深く考えることができるのだ。※この対処スキルは、人生において役に立つ。
さらに、上で述べたように、批判から学べることがある、ということだ。
建設的な批判をキチンと受け止めて、背景にある原因を特定し改善することで、成長することができる。建設的な批判をキチンと受け止めれば、その批判は自分の利益になるのだ。
成長の見込みがあるから批判される
さらに、成長の見込みがあるから批判される、ということがある。
いちど成長の見込みがない、と判断されれば、「こいつには何を言っても無駄だから、何も言うまい」ということで、批判されなくなってしまうのだ。※批判されるうちが華なのだ。
※ライバル視されているから、批判される…ということもある。
批判 ⇒ 無関心、となる
無関心のステージでは、もはやどうにもならない。
したがって、批判される…ということは、まだ期待されている、成長の見込みがある、と思われている…と考えていいだろう。なので、そう悲観することでもないのだ。
まとめ
今回は、批判されたときの対処法について書いた。
今回述べた対処法は、1)自尊心をチェックする機会にする、2)批判から学べることを探す、3)人格の批判はスルーする、4)相手に協力しない、5)あの人だったらどうするか…と考える、6)必ずしも批判されることは悪くない…と考える、の6つだ。
仕事をしていると、批判をされることはあるだろう。批判をされて慌てたり感情的になるのは、好ましいことではない。なのでまずは、批判に対する対処法を頭に入れておきたい。頭に入れておくだけでは不十分なので、実践の機会があれば実際に試してみることが大切だ。
今回の記事:「否定的な人に批判されたときの対処法」