自分の人間関係がうまくいかない…という人は多いと思う。
たとえば、自分が苦しんでいるのに、「誰も気にかけてくれない…」と思うと、まわりの人に対し、逆恨みのような感情が湧いてくる。そうなると、人間関係は自然に悪くなる。
職場の人間関係がうまくいかないと、人間関係から余計なストレスを受けて、集中すべき仕事に集中できない…ということになる。その結果、自分自身に嫌気がさして自己評価を落とし、まわりからの評価も落ちる…というマイナスの方向に向かって突き進んでしまうことがある。
今回は、まわりの人に関心を持てばうまくいく、という話をしてみたい。
目次
- 目次
- 甘えは捨てた方がいい
- 他人に無関心なのは自分である
- 自分のことは気にかけてほしい…は通用しない
- 人間関係は相互的なもの
- まわりの人の様子に注意をはらう
- 共感してくれる人に好感を持つ
- 他人を通して自分をみる
- まとめ
甘えは捨てた方がいい
人間関係に不器用な人は、自分のことは棚に上げ、「まわりの人が自分のことを気にかけてくれない」と思いがちだ。ある意味、被害者意識を持つ…としてもいいだろう。
※逆にいえば、気にかけてほしい、という感情を強く持つ。
人間関係に不器用な人の人間関係がうまくいかないのは、自分の言動に多くの原因があるのだが、そこを顧みずに他人の責任にしてしまう。自責ではなく、他責にしてしまうのは、甘えだ。
他人が無条件で自分のことを好きになってくれる…他人が(親のように)自分に対して無条件の愛情を注いてくれる…なんて夢のようなことはないのだ。他人に甘えてはいけないのだ。
人間関係において他責思考の人は、もう少し精神的に自立し大人になりたい。
他人に無関心なのは自分である
人間関係に不器用な人は、他人に対し無関心を装う。
不器用な人は、「まわりの人が、自分のことを気にかけてくれない」と思う一方で、他人に対して無関心を装う。他人と関わりをできるだけ持たないようにしているケースもある。
不器用な人は、人間関係において他人に踏み込まれると、不快に感じることがあり、他人が差し伸べてくれる「善意の手」でも、振り切ってしまうような歪んだところがある。
※その背景には、内向的であるため、以下の記事で述べた「パーソナルスペース」が広いという事情もある。パーソナルスペースに踏み込まれやすくなるので、不快になりやすい。
自分のことは気にかけてほしい…は通用しない
だが一方で、別の感情もある。
自分からは積極的に関わりを持たないけれど、自分のことは好きになって欲しい、気にかけて欲しい…そんな甘い気持ちもあるのだ。このように、思いが矛盾しているのだ。
一方的に、自分のことは気にかけてほしい…は、まず通用しない(ある意味、自己中だ)。まずは、この矛盾に自ら気がつくことだ。自分は自己中かも…と考えてもいい。
※中には気にかけてくれる人もいるが、その人は例外的な人になる。
人間関係は相互的なもの
人間関係は一方的なものではなく、相互的なものだ。
相手にボールを投げないと、相手からボールは返ってこないが、不器用な人は、相手にボールを投げ返すのが苦手だ。どのようにボールを投げ返せばいいのか、わからないためだ。
※ボールを投げるのも、投げ返すのも苦手だ。
カッコ悪くボールを投げ返すぐらいであれば、投げ返さない方がマシだ、とも考える。酷い場合は、自分がボールを投げ返したら笑われるのではないか…とすら思ってビクビクすることがある。なので、自分からはボールを投げないし、相手からのボールも避けようとする。
このような態度で、人間関係がうまくいくはずがない。
まわりの人の様子に注意をはらう
人間関係において不器用な人は、まずはまわりの人の様子に注意を払おう。
相手にボールを投げることを躊躇しても、まわりの人の様子に注意をはらうことはできるはずだ。いつもどおりなのか、いつもとは違うのか、忙しそうなのか、そうでもなさそうなのか、気分が良さそうなのか、悪そうなのか、まずは他人の様子に興味を持って観察することだ。
そして、できれば共感してみる。
仕事がたまって大変そうな人がいれば、「大変だね」と思い、ミスをして落ち込んでいる人がいれば、「キツイよね…」と思う。不器用な人というのは、本来このような作業が得意だ。
矢印がいつも自分に向いているから(他人に対し)そうできないのであって、矢印を少し外に向けてやれば、案外簡単にできるはずだ。自分が自分が…から、少し離れることだ。
共感してくれる人に好感を持つ
あなたにも心当たりがあると思うが、人は共感してくれる人に好感を持つ。
特に大変なとき、嫌なことがあったとき、傷ついたとき、落ち込んだとき、など自分が弱っているときに共感を示してくれる人は、ありがたい存在だ。共感をきっかけに、橋がかかるように二人の間につながりができ、人間関係がよくなる、ということは普通にあることだ。
他人を通して自分をみる
他人を通して自分をみてみよう。貴重なフィードバックになるはずだ。
人間関係は相互的なもの、を証明することでもあるが、他人が自分に対してとる態度というのは、自分が他人に対してとった態度のリアクションだ。自分が他人に対してとった態度(原因)が、他人が自分に対してとる態度(結果)になっているのだ。
その意味では、他人は自分の内面を映す鏡だと考えてもいい。
もし、「まわりの人が自分のことを気にかけてくれない」が事実であれば、自分がまわりの人を気にかけていないからそうなるのだ。まわりの人が自分に対して冷たいのであれば、自分がまわりの人に冷たく接しているからだ。自分が与えないから、与えてもらえない…ということだ。
あなたは毎朝、鏡をみて身だしなみをチェックするだろう。
社会人として当然のことだ。そうであれば、他人という自分の内面を映す鏡をみて、自分の内面の姿をチェックすることも必要だ。それが、他人との関わりを通して自分をみるということだ。
まとめ
今回は、まわりの人に関心をもつことについて書いてみた。
人間関係に不器用な人は、「まわりの人が自分のことを気にかけてくれない」と思いがちだが、それは甘えにすぎない。自分が他人に対して冷たくても、他人は自分のことを理解して好きになってくれる…なんてことはない。そんな、夢のような話はない(笑)。
まずは、自分が(人間関係において)甘えているかも、矛盾した思いを抱えているかも…と考えるべきだ。他責ではなく、自責の思考をすることが必要だ。※そうしないと、失敗を繰り返す。
誠実に投げ返せばいい
人間関係は一方的なものではなく、相互的なものだ。
相手にボールを投げないと、相手からボールは返ってこない。 カッコ悪くボールを投げ返すぐらいであれば、投げ返さない方がマシだ、などと他人の目を気にするのではなく、ボールを投げられたら、カッコ悪くてもいいから誠実に投げ返すべきだ。誠実な人を誰も笑ったりはしない。
※仮にぎこちなさを笑われたとしても、同時に好感も持たれるはずだ。
共感を意識する
次に、相手の様子に興味を持って、共感できる部分は共感することが大事だ。
不器用な人でも、まわりの人の様子に注意をはらうことはできるはずだ。まわりの人に対し、目を伏せたり背けるのではなく、キチンと温かい視線を送る。まずは、そこから始めることだ。
人は共感してくれる人に好感を持つ。自分が弱っているときに共感を示してくれる人は、ありがたい存在だ。共感をきっかけに、人間関係がよくなる、ということは普通にあることだ。なので、まわりの人に対し、(言葉にせずとも)少しでも共感の気持ちを持つことを心がけたい。
自分をチェックしたい
最後に、他人は自分の内面を映す鏡だ。毎朝、鏡をみて身だしなみをチェックするように、他人という自分の内面を映す鏡をみて、自分の内面の姿をチェックすることも必要だ。それが、他人との関わりを通して自分をみるということだ。それができれば、人間関係も良くなるだろう。
行動メモ:
人間関係において被害者意識を持たない。他責思考をやめる。
他人に対し無関心を装うことをやめる。一方的に、自分のことは気にかけてほしい…は、通用しない。気にかけてもらえる人は、気にかける人である。なので、自分から気にかける(与える)。
相手に共感する。相手の話に同意できなくても、共感することはできる。「あなたの気持ちはわかる」ということだ。「お気持ちはわかります」は、誰に対しても効果的な言葉になる。
他人の自分に対する言動や態度を通じて、自分をチェックし正す。
今回の記事:「まわりの人に関心を持てばうまくいく」