自分のコンプレックスを克服したい…と思うことがないだろうか。
自分はあるコンプレックスを抱えている。だが、そのことはいいことだとは思っていない。
それを持つことで、自己肯定できなくなったり、全般的にネガティブになったり、行動すべきときに行動できない(引いてしまう)ということになるためだ。なので、何とか克服したい…となるのだろう。
今回は、自分のコンプレックスをどうすればいいのか…というテーマで書く。
目次
- 目次
- コンプレックスとは
- 誰でも持っている
- 学歴コンプレックス
- 必要以上に囚われている
- 自分軸を確立できていない
- 賢者は愚者からも学ぶ
- 進路を明らかにしてくれる
- 自分の行く道がわかる
- 踊らされてはいけない
- コンプレックスの克服
コンプレックスとは
あなたは、コンプレックスを抱えていないだろうか。
大抵の人は嫌な気分を導くそれを持っているだろう。
顔や容姿などの外見に関するものだったり、学歴や年収、仕事に関するものもあるだろう。いろいろなものが原因になるので、コンプレックスを持ち悩んでいる…という人も多いと思うが、そもそもコンプレックスとはどういうものだろうか。
コンプレックスというのは、無意識下にある観念だそうだ。
日本では今なお、「コンプレックス」と言えば、暗黙に「劣等コンプレックス」のことを指す傾向がある。
出典:コンプレックス - Wikipedia
※無意識のうちに現実の意識に入り込んでいるものだ。
本来の意味は、劣等感だけではないのだが、日本では「コンプレックス=劣等感」という意味で用いられることが多い。なので、本記事でもそれを劣等感という意味で用いることにする。
※便宜上、「コンプレックス=劣等コンプレックス」とする。
誰でも持っている
誰でも、程度の差はあれ、それを持っている。
人である限り、どこかに欠点や自分が直視したくない部分があるためだ。
だが、コンプレックスを四六時中抱えているように見える人もいれば、全く持っていないように見える人もいる。これは、自分のコンプレックスに対する考え方や処理の仕方が違うためだ。
わたしはコンプレックスを四六時中抱えていると自覚している人は、自分のコンプレックスに対する考え方や処理の仕方をどこかで変えなければ、一生それに悩まされることになるだろう。
※克服=コンプレックスに対する考え方や処理の仕方を変えること、になる。
学歴コンプレックス
たとえば、学歴コンプレックスだ。
このコンプレックスに苦しむ人は、多いのではないだろうか?
現在大学生の女です。学歴コンプレックスを感じていて嫌でたまりません。普段の生活では感じないのですが、大学の話をすると思い出して嫌な気持ちになります。
出典:学歴コンプレックス
この方は(おそらく)有名私大に通っていたが、
国公立大に対してコンプレックスがあった、という理由もあり、旧帝大に入り直した。しかし今度は、「東大・京大に対するコンプレックスに悩まされるようになった」という人だ。そして、(学歴コンプを払しょくするために)大学院はハーバードを目指そうかと考えているそうだ。
必要以上に囚われている
この方の場合は、考え方に問題があるような気がする。
おそらく、ハーバードの大学院に進学しても、学歴コンプレックスを払しょくすることはできないと思う。
ハーバードで修士を取ったとしても、自分は学部で東大や京大に入ることができなかった…本当に優秀な人は、学部レベルで東大や京大に入るはずだ。自分は、「学歴ロンダ」をしているに過ぎない、と思うのではないだろうか?
※こうすれば、コンプレックスがなくなる…と思ってそうしても、(大元の部分で認知の歪みがあるため)新たなそれに悩まされる…というケースが多い(不毛な繰り返しになる)。
認知の歪みから、コンプレックスに囚われている状態だと思う。※自分に認知の歪みがある、ということを認識しているが、ガチガチに絡めとられてどうにもならない状態のようだ。
自分軸を確立できていない
また、気になるのが、他者に依存していることだ。
合格したときは嬉しくてどんなすごい人がいるんだろう!とワクワクしていたのですが、入ってみれば普通な人ばかりですごい人がほとんどおらず、今度は東大京大に対するコンプレックスに悩まされるようになりました。
出典:学歴コンプレックス
自分が所属できるコミュニティの中に、「すごい人がいない」と感じるのであれば、
自分のレベルが上がって、自分の所属できるコミュニティのレベルが上がっても、相変わらず「すごい人がいないな…」と感じるはずだ(すごい・すごくないは、相対的な話になる)。
賢者は愚者からも学ぶ
賢者は愚者からも学ぶことができる、と言うが、
それは自分から学ぼう・何かを引き出そうとする積極的な姿勢を持っているからだ。
そのような姿勢を持っていれば、愚者の言動からも学びや気づきがあったり、インスピレーションを得ることができるのだ。※なので、本当の賢者は相手のことを愚者とは見ないのだ。
他人のレベルがどうこうというのは、コンプレックスに囚われやすい人の特徴である。
進路を明らかにしてくれる
人の能力には凹凸がある。
物事を分析したり、書くことは苦手だが、話すことは得意だという人がいる。逆に、話したりプレゼンをすることは苦手だが、物事を分析したり、書くことは得意だという人がいる。
前者の人は、書くことがコンプレックスになり、後者の人は、話すことがコンプレックスになるかもしれない。自分を活かす方法は、自分の得意な分野を伸ばすことだ。したがって、自分の進路を決めるときは、自分がコンプレックスを感じる分野を切り捨てて考えればいいのだ。
※選択肢が減れば、選択が容易になり、覚悟も決まる。
自分の行く道がわかる
もちろん、自分の欠点を(改善できるものであれば)改善する努力はすればいいと思う。
だが、そこに全力で突っ込んでいくのは、明らかに得策ではない。自分の得意な道に進むことの方が、自分の才能を含む能力を活かすことになり、良い結果に結びつく可能性が高くなるのだ。
つまり、自分のコンプレックスと向き合えば、自分の進路が明らかになる、ということだ。※選択肢が多すぎて選択に悩んでいる人と比べると、ある意味、ラッキーなことかもしれないのだ。
踊らされてはいけない
コンプレックスに踊らされてはいけない。
自意識とコンプレックスには関係がある。それを感じやすい人は、自意識過剰なのだ。
自意識過剰な人は、「自分が他人にどのように思われているのか」、「どう見られているのか」を気にしがちだ。その結果、自分以上の自分を見せようと見栄を張ったり、カッコをつけてしまう。
たしかに、他人はあなたのことを見たり、評価している。
そこは否定しないが、自意識過剰な人が思うほどは見ていないし、気にしていない。自意識過剰な人は、「自分の感じ方が正しいだろう」と思っているが、実は正しくないのだ。※自意識過剰な人は、普通の人よりセンシティブだ。そのことを割り引いて考えないために、やや間違ってしまうのだ。
自分が作り上げた妄想に踊らされないようにしたい。※割り引けない部分が妄想になる。
コンプレックスの克服
まとめ
今回は、自分のコンプレックスをどうすればいいのか、について書いた。
コンプレックスを感じやすい人は、「こうすれば、嫌な気分を導くそれが解消される」と考え、そうしても、また新たなコンプレックスに悩まされることがおおい。※不毛な繰り返しになる。
認知の歪みがあるため、それから逃れることができず、もぐら叩きのようになってしまうのだ。
※わかっていても逃れられないことがある。その場合は、時間の経過が必要になる。
人生を自分のコンプレックスを払しょくするためのもぐら叩きに費やすのは、もったいないような気がする。もぐら叩きをしている人は、自己の認知について一度よく考えた方がいいだろう。
今回の記事:「自分のコンプレックスを克服できない」