不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

愚者は経験に学び~という言葉を聞いたことがあると思う。

その後には、「賢者は歴史に学ぶ」という言葉が続くが、これは(愚者と賢者の)学び方の違いを示唆する言葉、と解釈することができる。人により学び方が違うのは確かだろう。

今回は、この「学び方」について書いてみたい。

目次

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

賢者は歴史に学ぶ…というイメージ

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。

その言葉を文字通りとれば、愚者は自分の経験からしか学べないが、賢者はそれに加えて、歴史からも学ぶことができる…という意味になる。※賢者でも、自分の経験から学ぶはずだ。

たしかに愚者は、自分の経験に依存することが多いと思う。

痛い目にあわないとわからない

自分でやってみて、「はじめて納得する…」ということだ。

たとえば、将棋の弱い人は、定跡などお構いなしに自己流で指してしまう。そして、散々ボコられてやっと、「強い人に勝つためには、定跡を学ぶことが必要だ」と実感するようになる。

投資やスポーツの上達過程においても、同様のことがある。結局、自分が痛い目にあわないとわからないのだ。「想像力の欠如」といえば、そうなのだろうが、「自分が痛い目にあわないとわからない」ということは、あるのだろうと思う。痛い目にあって初めて実感することはある。

※この言葉における愚者とは、普通の凡人という意味だろう。

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賢者は歴史に学ぶ

「賢者は歴史に学ぶ」の意味だが、

ひとつは、先人が犯した失敗の轍を踏まないようにする、ということだ。

先人の失敗を我が物とすれば、自分が失敗を実際に経験することなく、その失敗を避けることができる。時間の節約にもなるし、損を被ってダメージを受ける…ということもなくなるのだ。

※ほぼノーコストで、「失敗から学ぶ」というプロセスを踏むことができる。

もうひとつは、

たとえば、経済であれば必ず循環する。良い時があれば悪い時が必ずある。
今が良い時であれば、次に来るのは悪い時だ。では、前回の悪い時はどうだったのかと考え、昔の書物をあたってみる。もちろん、前回の悪い時とこれから予想される悪い時は同一ではない。さまざまな条件が異なるので、同じではないのだ。
それでも、昔の書物から何らかの示唆を得ることができるのだ。
出典:おもしろい意見を出す人の思考の秘密

(失敗に限らず)何らかの示唆を得ることができる、ということだ。

繰り返す歴史から学ぶ

「繰り返す歴史」というものはある。たとえば経済だ。

経済の循環というのは、必ずあるものだ。山があれば谷がある。山の高さや大きさはまちまちだし、谷の深さや大きさもまちまちだが、「山があり谷がある」という根幹部分は不変だ。

なので、前回の山(谷)はどうだったのか…と過去を調べることで、何らかの示唆を得ることができる可能性がある。※ただし、そのためには、歴史から示唆を引き出す力が必要になる。

賢者は、本質を抽出し敷衍することで、歴史から学ぶことができるのだ。

経験から学ぶ

まずは、自分の経験から学べばいいと思う。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を素直に解釈して、経験から学ぶ自分は愚者かも…とすることはない。自分の経験からも学べない、という人は意外に多いのだ。

たとえば、1度失敗をしたのに、また同じ失敗をしてしまう、ということがある。

その失敗を忘れてしまったり、軽く評価してしまったりで、「戒め」にできなかった場合に、「1度失敗をしたのに、また同じ失敗をしてしまう…」という残念なことが起こるのだ。

これは、自分の経験から学べていない…ということだ。

失敗は記録する

わたしは失敗を記録するようにしている。

以前は、自分が何か失敗をやらかしてしまうと、戒めにすることなくスルーしていた。その失敗について思い出したり、考えたりすること自体が強いストレスになっていたためだ。

今では、失敗に対する認知の方法を変えたため、自分の失敗を客観視できるようになった。失敗には原因があり、その原因が露わになったことだけでも、実はかなりの収穫なのだ。

たとえば、プレゼンで失敗したら、その状況を記録して、失敗の原因を考える。論理の繋がりがイマイチだった、プレゼンの態度に問題があった、質疑応答の想定が甘かった…などあるだろう。原因を特定したら、対策を考え、事実・原因・対策と、セットで記録しておくのだ。

そうすることで、失敗を戒めとする仕組みを作っている。

歴史から学ぶ

歴史から学ぶことは、自分の経験から学ぶことよりむずかしい。

他者の経験を「自分のもの」として、考えることができないためだ。自分の経験からもなかなか学べないのだから、他者の経験から意味のある学びを得ることは、かなりむずかしいのだ。

それでも、学び方のポイントを知っていれば、少しは学べるかもしれない。

人の心理は変わらない

人の心理については、昔も今もそう変わるものではない。

たとえば、喜怒哀楽という感情は、昔からあるものだ(1000年前の人にもあっただろう)。そして、人の心理をベースにした動き、というのは、いつの時代にも存在する。

過去、どういう人の心理に基づいて、どのような動きがあったのか…ということに注目すれば、(発見したことを)そのまま現代の事象にも、適用できる可能性がある。

※人がやったことであれば、「動機は何か?」と考えればいい。

余談になるが、おもしろいと感じる時代劇などは、人の心理に基づく行動の描写が上手だ。そのために、時代劇に登場する個々のキャラクターが、現代にも通じるキャラクターとして、生き生きとしてくるのだ。※人の心理に基づく行動は、今も昔も同じだ…という前提で制作している。

逆につまらない時代劇は、昔の人の喜怒哀楽をリアリティのないものにしている。必要以上に美化や誇張したり…で、人工的に創作するとキャラクターが生きなくなり白けるのだ。

本質を見抜くことが大事

歴史から学ぶためには、本質を見抜くことが大事になる。

本質とは、ものごとの根本的で最も大事な性質、ということだ。
ものごとや出来事を正しく解釈するためには、「本質を見抜くこと」が必要になるのだろうと思う。本質を見抜けず、枝葉の部分に囚われていると、判断を間違うことになるのだろう。※本質を見失い、枝葉の部分に囚われると、時間も浪費してしまう。
出典:本質とは何か…をよく考えた方がいい

本質を見抜いて、抽出することが大事になるのだ。

歴史的事象には、その時代固有の変数から生じる結果、というものがある。

そこに注目して、何かを学ぼうとしても、「枝葉末節に囚われる」ということになりかねない。なので、もっと根本的な部分である「本質」に注目する必要があるのだ。

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物事をシンプルにとらえる

そのためには、物事をシンプルにとらえる必要がある。

先の「人の心理に注目する」ということも、そのひとつだ。たとえば、為政者の心理により、何が変わるのか、もし民衆が怒れば何が起こるのか、などに注目して歴史をひも解く…ということだ。

歴史から学ぶ際は、修飾部に目を奪われたり、枝葉末節に囚われないようにしたい。

※もちろん、歴史を娯楽として消費するときは、そうしても構わないが。

まとめ

今回は、「学び方」について書いてみた。

愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ…とは言うが、賢者も(歴史からだけではなく)自分の経験から学んでいることは間違いない。なのでまずは、自分の経験からしっかり学ぶことだ。

そして、歴史から学ぶことを意識したい。個人的には、「先人が犯した大失敗」から学びたいと思っている。そうすれば、自分がその大失敗を経験することなく、避けることができるためだ。

※失敗はしてもいいのだが、不用意な大失敗をすると時間の無駄になる。

歴史から学ぶときは、時代により変化する上澄みの部分ではなく、時代による変化がない本質に注目したい。そうすることで、今に通じる学びを得ることができるだろう。

今回の記事:「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」