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なぜ自分が嫌いなのか|自己嫌悪の原因はコレだった

自分が嫌いだ、という人がいると思う。

自分が嫌いだ…と思う人は、自分の欠点や短所が目について仕方がない。その結果、自分を必要以上に貶めて、自分を嫌いになる…というパターンではないだろうか。

今回は、なぜ自分が嫌いなのか…について書いてみたい。

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 自分を嫌いになる理由

自分を嫌いになる理由だが、以前こう書いたことがある。

ひとつは、ストレス解消の手段として、やむなく自己嫌悪を利用しているのではないか…ということが考えられる。他人よりも、ルックスが劣る、能力が劣る、と強く感じたとき(意識させられたとき)、嫌な気持ちになり、ストレスを感じる人はいるだろう。そのストレスを解消するために、自分以外の何かに非を求めたいが、自分のことなのでそうはいかない。なので、やむなく自己嫌悪を利用する(自分に矛先が向く)、ということだ
出典:自己嫌悪を克服する方法

ひとつの原因として、 ストレス解消の手段として利用しているのでは…と書いた。

他人よりも、ルックスが劣る、能力が劣るなど、~が劣る、と感じることはあるだろう。

もっと具体的に言えば、身長が低い、顔が悪い・大きい、頭髪が薄い、歳をとっている、太っている、人と上手く会話できない、同僚の会話の輪に入ることができない、会議で発言できない、あがりやすい、人前で話すことができない、頭の回転が悪い、記憶力に劣る、試験のスコアが悪い、また、学歴や職業、所属している組織の優劣などでも、引け目を感じることはある。

そんなときは、嫌な気持ちになり、ストレスを感じる。

そのストレスを解消するために、自己嫌悪を利用するのではないか…ということだ。

自分の欠点なので、一義的に他者に責任を転嫁することができない。ゆえに、自己嫌悪を導いてしまう。※自己嫌悪になりつつ、親や生育環境に責任を求める…という人はいるだろう。

嫌な気持ちになるので、自分に当たる、ということだ。

 自分を嫌いになりやすい人

また、同記事で、「自分を嫌いになりやすい人」についても説明した。

そこでは、「他人との比較の中で生きている人」と「柔軟性に欠ける人」を挙げた。「他人との比較の中で生きている人」というのは、自分に自信のない人のことだ。

※自己肯定感が低い人のこと。

このタイプの人は、自分の中に確固たる「よりどころ」がないので、他人をものさしにして自分を評価する、ということになる。自分を相対的に上げるため、 他人の欠点や短所に目が行きやすいが、自分の欠点や短所にも目が行きやすいため、自分を嫌いになりやすい。

このタイプの人は…

もともと自分の欠点や短所に目を向けやすいのだが、普段は、他人の欠点や短所に目を向けることで、なんとか精神的なバランスを保っている。しかし、そのバランスが崩れたときは、自己嫌悪に陥る。※「自分はダメな奴だ…」となる。
出典:自己嫌悪を克服する方法

自分に軸がないので、他人の評価軸を使ってしまうのだ。

他人との比較の中で生きているため、自分が他人にどう見られているのか、どう評価されているのか…という自意識が強く、外形的な属性に敏感である、という特徴もある。

「柔軟性に欠ける人」というのは、精神的に不安定になりやすい人だ。

自分に対するハードルを高くしたり、自分が行うことに完璧を求めると、その分、リソースが余計に消費されることになり、精神的に不安定になりやすい。完璧主義者が、どこか不健康で不安定に見えるのは、そのためだ。精神的に不安定な状態で、何かやらかしてしまうと、自己嫌悪という形になりやすいのだ。
出典:自己嫌悪を克服する方法

※完璧主義者は、柔軟性を欠く人だ。

メンタルの柔軟性を欠くと、(自分の問題を認識したときに)感情的になりやすく、「自分を許せない」という気持ちも強くなりやすい。その結果、自分に矛先を向け、嫌いになってしまうのだ。

※ハマると強いが、そうでないと極端に弱い。

 自分嫌いをアドラー心理学で説明する

自分を嫌いになる理由を、アドラー心理学で説明してみよう。

まず、自分の欠点や短所に目を向けやすい理由だが、

短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているからです。自分を好きにならないという目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。
出典:「嫌われる勇気」, 岸見 一郎, 古賀 史健 p.63

「自分を好きにならないでおこう」と、自分で決心しているから…ということになる。

ではなぜ、わざわざそんな決心をしているのか…といえば、「対人関係において、傷つくことを過剰に怖れているから…」ということになる。「対人関係において傷つくこと」というのは、こちらからの好意やアプローチを拒否されたり、疎外感を味わったり…ということだろう。

そして、自分が傷つくのであれば、最初から人づき合いをやめよう…となるのだ。

最初から人づき合いをしなければ、対人関係において、こちらからの好意やアプローチを誰かに拒否されたり、仲間はずれにされて、疎外感を味わったり…ということがなくなるのだ。

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・この場合の目的は…

このケースの目的は何だろう?

アドラー心理学では、目的からのアプローチになる。

本書の哲人の主張はこうだ。
原因 ⇒ 結果、と考えると、決定論に行きつく。
原因 ⇒ 結果、と考えると、過去の出来事により現在が決まる、ということになるので、現在は「決定済み」であり、動かしようのないものになる、ということだ。
※だから、「変われない」と思う。
そこで哲人は、原因ではなく、「目的」を考えればいい、とする。
出典:人は変わることができる|嫌われる勇気の感想

したがって、目的を考える必要があるのだ。

その前に、話を整理しよう。

自分を嫌いになる理由として、自分の欠点や短所に目を向けやすい、ということがある。

自分の欠点や短所に目を向けやすい、ということをアドラー流に解釈すると、「自分を好きにならないでおこう」と、自分で決心しているから…ということになる。その決心をしている理由は、「対人関係において、傷つくことを過剰に怖れているから…」ということになる。

では、その背後にある「目的」は何だろう。

それは、「対人関係において、自分が傷つかないこと」である。

「対人関係において、自分が傷つかないこと」を目的にする限り、対人関係において、傷つくことを過剰に怖れるし、自分を好きにならないでおけば、イジけたコミュ障として、対人関係に踏み出さずに済む。自分の欠点や短所に目を向けておけば、自分を好きになることもないだろう…ということになる。なので、(自分から)自分の欠点や短所に目を向け、自分を嫌いになるのだ。

※そうすることにより、現在の(本音で掲げる)目的を達成した…ということになる。

ゆえに、この目的を変えてやれば、自分嫌いも治る…ということになる。

 まとめ

今回は、「なぜ自分が嫌いなのか」ということについて書いた。

「対人関係において、自分が傷つかないこと」を目的にしているから、自分の欠点や短所に目を向け自分を嫌いになり、対人関係に踏み出すことを抑止している…という解釈はおもしろい。 

誰にしろ自分が傷つくことは楽しくないので、そういう気持ちを少しは持っていると思うが、目的にするかしないか…という違いがあるのかもしれない。「自分が傷つきたくない」という気持ちは持っていてもいいと思うが、それを目的にしてはいけないのだ。

※そのことを目指してはいけない、ということだ。