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六然を座右の銘にしてみる

あなたの座右の銘は何ですか、と問われたら、何と答えるだろうか。

わたしの場合は、「正しい努力を粘り強く(かつ、そこに楽しみを見い出しながら)続け、自分比で成長する」という内容を表す語句になるかもしれない。わたしの座右の銘はどうでもいいが、六然(りくぜん)というものを座右の銘にしている人が、結構いるようだ。

今回は、この「六然」について書いてみたい。

目次

座右の銘とは

座右の銘である六然を書き記す…というイメージ

座右の銘の意味だが、戒めとする語句、という意味だ。

自分が大事だと思う考えや価値観を、語句に落とし込んだものだ。座右の銘があれば、常に自分にとって重要な考えや価値観を確認することができる(目に入るところに掲げておくといい)。

迷ったり、困ったり、悩んだりするときは、この座右の銘を確認することで、言動を修正したり、前に踏み出すことができる。座右の銘を見直すことで、新たな気付きが生じることもある。

※現況と座右の銘をリンクさせることで、気付くことがある。

六然というものがある

座右の銘として、六然(りくぜん)というものがある。

六然(りくぜん)とは、自処超然(じしょちょうぜん)、処人藹然(しょじんあいぜん)、有事斬然(ゆうじざんぜん)、無事澄然(ぶじちょうぜん)、得意澹然(とくいたんぜん)、最後に、失意泰然(しついたいぜん)、というものだ。

勝海舟安岡正篤が、六然を座右の銘にしたそうだ。

後者の安岡正篤(やすおかまさひろ)を知らない人が多いと思うが、「安岡を信奉し、師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂池田勇人佐藤栄作福田赳夫大平正芳など多くの首相が挙げられる」(ウィキペディア)ほどの影響力を有した学者であり思想家だ。

企業経営者にも、六然を座右の銘として挙げる人が多い。

自処超然(じしょちょうぜん)

自処超然の意味だが、自らを処するにあたり、世俗にとらわれない、という意味だ。

わたし流に解釈すれば、「メタ認知」を使いなさい、ということになる。メタ認知とは、高次からの認知、という意味で、「一段高いところからの認知(知覚や思考など)」ということだ。

メタ認知を使えば、自分のことでも(ある程度)客観視できるので、感情的な思考や認知バイアスのかかった独善的な思考を避けることができる。より適切な言動ができるようになるのだ。

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処人藹然(しょじんあいぜん)

処人藹然は、コミュニケーションに関することだ。

処人藹然には、「人」という文字が入っているほか、和気藹藹(わきあいあい)の「あい」の文字が入っている。藹藹は、「穏やかなさま」を表す。これらから、なんとなく意味がわかるだろう。

人と接するときは、穏やかな気分を保ちなさい、相手を心地よくしなさい、という意味だ。こうすることで、相手とのコミュニケーションが上手く行き、良い人間関係を築くことができるだろう。

※本当に偉い人は、処人藹然ができている(だから、偉くなれたのだ)。

有事斬然(ゆうじざんぜん)

有事斬然とは、行動に関することだ。

何か事があるときは、グズグズしないでキビキビやる、ということだ。

わたし流に解釈すれば、想定に反することが起れば、すぐにそれまでの態度を改め行動せよ、ということになる。たとえば、投資ではロスカット損切り)というものがある。値上がりを想定して株を買ったが、想定に反して値下がりする、という状況で使えるものだ。

そんなときは、レッドラインを定めておき、そのラインを割った時点で素早くロスカットすれば、傷が浅くて済み、(後に)再投資の機会を得ることができる。そうしなければ、持ち株が塩漬けになってしまい、投資すべきときに投資できない、という身動きがとれず歯噛みする状況になる。

※この場合は、有事斬然で動いた方がいいのだ。

無事澄然(ぶじちょうぜん)

無事澄然とは、平時における心の持ち方に関することだ。

何も問題がないときは、雑念を捨て去り、透明な水のように澄んだ気でいること、という意味だ。

わたし流に解釈すれば、何も問題がないときは、あれこれ問題について悩んだり考える必要がないので、比較的集中しやすい状態にある。その状態を最大限利用して成果を出せ、ということだ。

集中しやすい状態のときに、自ら雑念を入れて集中を乱すのは、愚かなことだ。

得意澹然(とくいたんぜん)

得意澹然とは、「得意」における心の持ち方に関することだ。

得意になったときほど、淡々とした態度を保持せよ、ということだ。

たとえば、宝くじで高額当選したときに、まわりに得意になって言いふらせば、どうなるか…ということだ(笑)。その人がいい人で苦労人であれば、「よかったね」としてもらえるが、そうでなければ嫉妬されるだけだ。

※志望校に合格した、希望の会社に就職できた、会社で出世した、も同様だ。

人は得意になると、感情が高ぶり、思いをアウトプットしたくなるが、そんなときほど、努めて淡々とした態度を保持した方がいい。そうすることで、足元をすくわれる危険性がなくなる。

失意泰然(しついたいぜん)

六然の最後になるが、失意泰然とは、「失意」における心の持ち方に関することだ。

失意のときも、泰然自若とせよ、という意味だ。失望したときでも、落ち着いて動じないようにせよ、という意味。たとえば、負け戦において、将が浮足立ってしまうと、完敗になってしまう。

※総崩れから完敗になり、その戦をきっかけに凋落してしまうこともある。

そうではなく、レッドラインを超えたら、負けは負けと認めて、どのようなルートで戦場から離脱するか、殿(しんがり)を誰にするか…などと、すばやく考えなければいけない(ここは、有事斬然にあたる)。

そのためには、(失望シーンでも)落ち着いて動じないようにすることが大事になるのだ。

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まとめ

今回は、座右の銘としてよく挙がる「六然」について書いてみた。

六然をわたし流の解釈を混ぜて書くと、

1)自分のことにはメタ認知を使いなさい、2)人と接するときは穏やかな気分を保ち、相手に気を配りなさい、3)想定に反することが起れば、すぐにそれまでの態度を改めて行動しなさい。

さらに、4)集中しやすい状態のときは、その状態を活かし、集中して成果につなげなさい、5)自慢はやめなさい、6)失望シーンでも、落ち着いて動じないようにしなさい、ということだ。

なかなかよさげな感じで、多くの人が六然を座右の銘にする、というのも理解できる。六然をそうしたい場合は、プリントアウトしたものを、PCか目前の壁にでも貼っておくといいだろう。

今回の記事:「六然を座右の銘にしてみる」