不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

映画『スタンド・バイ・ミー』はなぜおもしろいのか

1986年に公開された映画『スタンド・バイ・ミー』をご存じだろうか。

初見のときは、「おもしろい」とは思ったが、なぜおもしろいのかよくわかっていなかった。

自分の少年時代への郷愁にかられるため、感情が動くのだろう…程度だったが、歳月を経ながら何度か見返すことで、この映画のおもしろさが少しわかってきたので、言語化してみる。

スタンド・バイ・ミー』をもう一度楽しむために、役に立てばうれしい。

 

 

 

はじまり

大自然に包まれた田舎道の路傍に、停車した車が一台ある。

その車内で、ひとりの中年男性が、どこかやるせない表情を浮かべている。

傍らにある新聞には、「弁護士のクリストファー・チェンバーズが刺殺された」との見出しが。1985年9月3日(火曜日)のことだった。クリスは夜遅く、地元の(ファストフード)・レストランで並んでいた。

そのとき、クリスの前にいた男二人が、口論を始めそれがエスカレートした。見かねたクリスが間に入り、争いをおさめようとしたが、激高した男がナイフでクリスの首を刺した。それが致命傷になり、命を落とした…ということらしい。

そのとき、2人の少年が自転車で車の傍らを通り過ぎる。

ゴードン(中年男性)は、その光景を目にして「ハッ」とする。

今がその時ではないか。今目にした少年と同じぐらいの年齢のとき、親友のクリスと冒険の旅に出た。今から思えばちっぽけな冒険だったが、当時は、冒険の前後で価値観が一変するような意味のある大冒険だった。

その話を書くときがきたのだ。

キャスティング

キャスティングが抜群に上手い。

少年時代のゴードンを演じたウィルは、後にキャスティングについてこう述べている。

監督は役と同一のキャラを持つ4人を選びました。わたしはぎこちないおたくで、自分の言動や存在に自信がなく、繊細で恥ずかしがり屋でした。リバー(クリス)は、クールかつスマートで、情熱的でした。そしてあの齢にして、仲間に対し父性を有していました。

ジェリー(バーン)は、本当におもしろい人物であり、コーリー(テディ)は、両親とひどい関係にあり、怒りと苦痛に包まれていました。

トリビアだが、ウィルは撮影前からリバーとその家族のことを知っていた。偶然だが近くに住んでいたのだ。しかし、(撮影前は)近しい関係ではなかった。

この役に溶け込む秀逸なキャスティングが、成功の大きな要素になっている。

父親は同じだったと語るリバー・フェニックス

吹き替え版をみれば、いかにオリジナルがすごいか…ということがわかる。

声優さんが悪いということではないが、4人のコラボが起こした化学変化を再現できていない。吹き替え版でみた、という人は、ぜひ字幕版でみてほしい。そして、オリジナルの化学変化により生じた独特の空気感を楽しんでほしい。

この4人でなければ成立しないだろう、と思わせるキャスティングである。

好きなシーン

線路上を二組に別れ(少し距離をとり)歩くシーンがある。

先にテディとバーンが歩き、やや遅れてクリスとゴードンが歩いている。

クリスとゴードンは、進学後の真面目な話をしている。クリスはゴードンに対し、自分たちとは別れるように諭す。進学コースに行き、スマートな友達を作れと言う。ゴードンは反発するが、クリスは「俺たちといると頭がくさっちまう」と返す。

そこで、カメラが切り替わり、テディとバーンがうつる。

B)マイティ・マウスはスーパーマンに勝つよね?
T)そんなわけないだろ。
B)なんでだよ?マイティが片手で5頭の象を持ち上げるところを見たよ。
T)何もわかっていないな。マイティは漫画だ。スーパーマンは本物だ。漫画のキャラが本物に勝てるわけないだろ。
B)そうだね。でも、いい勝負だよ。

テディとバーンの会話シーンのBGMは「ロリポップ」。

軽妙なやりとり

有名な<川にかかる鉄道橋を渡る>シーン。

テディが、遠回りなどまっぴらごめんだ、俺はこの橋を渡る、と主張する。

お前らが(轢死のリスクを避け)女々しく遠回りしている間、俺はのんびり想いに浸るさ…と、どこか勝ち誇ったように言う。その言に対し、ゴードンが「You use your left hand or your right hand for that?」と返す。見事にカウンターが決まった瞬間だ。

ユーモアを交えたセンスのあるやりとりだな~と思う。

シーンのつなぎ

この作品全体を通して言えることだが、シーンのつなぎが上手い。

シーンの最初にインパクトのある画を入れたり、展開を予感させる画を入れ込んでいる。

たとえば、まず干したシーツの全面がうつり、シーツを取り入れると(幕のように引くと)鬱っぽい母親が現れる。「Home sweet home」と書かれた郵便受けが、突然吹っ飛ぶ。さらには、「Yip yip yip…」という曲(Get a job)のイントロが流れ、集まっていたビリヤードの球が、「パン」と弾けて始まる。

どれもこれも、シーンの冒頭の印象的な画(と音楽)が視聴者の興味をひきつける。

静と動、平穏と不穏の対比をインパクトにしている。見事なものだ。

※このほかにも、前のシーンのおしりに音楽やナレーションを始め、次のシーンにつなげる、という変化もつけている。

鹿のシーン

人や社会の理不尽さを描くシーンがある。

パイ食い競争の話では、未熟な子供だけではなくいい大人が、太った少年(ラード・アスと呼ばれる)を馬鹿にしたり、巧妙に嫌がらせをする。公平であるはずのMCまでも、(ある大人の事情があり)少年の邪魔をする。

話が終わると、テディはエンディングにダメ出しをする。

※小さな理不尽だが、ゴードンにとっては理不尽な話だ。

理不尽な話は、深夜のクリスの罪の告白&過ちを正そうとしたこと+心情の吐露まで続く。クリスの話は実話であり、パイ食い競争を通じて大人にリベンジをはたした少年とは違う。現実はより冷たく理不尽なのだ。

※創作と現実の対比。

 

 

 

この流れを上手く利用するのが、翌朝のシーン。

ゴードンが野生の鹿と出会うシーンだ。冷たく理不尽な世の中にも、美しくピュアでイノセントなものがある。薄汚れた世界であるがゆえに、存在そのものに感謝・感動できることがある、そのような存在を大切にしなければいけない…というメッセージだろうか。

※ゴードンは、実際にその体験を大切にし(今日まで)秘めることにした。彼は昨夜の表情とはうって変わり、やさしい微笑みを浮かべる。

それぞれ夜と朝のできごとだが、対比の描写が見事である。

伏線とその回収

伏線とその回収でいえば、エースとの対決だ。

対決は冒険の前後で2度ある。

最初の対決では、ゴードンは兄からもらった大切なキャップを奪われてしまう。その行動を非難したクリスも押し倒され、煙草を顔に押し付けられそうになる。ゴードンはやめるように叫ぶが、叫ぶだけで何もできない。

2度目の対決では、冒険の前ではできなかったようなことをやってのける。死体の発見後、発見者としてヒーローにはならない、と決めたのもゴードンだった。さらには、冒険後もある種の呪縛に囚われているクリスに対し、「何だってできるさ」と背中を押すまでになった。

この冒険で最も成長したのは、ゴードンだったのだ。

クリスの死

また、結論が先にあるので伏線とは言えず「逆伏線」になるが、

クリスの危険を察したときの行動だ。

クリスは、「これはまずい」と思ったら、すぐに平和を求め行動に移す。

※同時に、自分に危険が迫っても逃げない。自分の危険をいとわない。

誤射をめぐりゴードンともめたとき、すぐに関係の修復に努めた。テディの蛮勇をめぐりもめたときも、危険をいとわず行動し、少々強引にその場で関係を修復した。さらには、テディとバーンが取っ組み合いをしたときも、物理的に介入し争いをおさめようとした。

また、クリスはエースとの2度目の対決で、首にナイフを突きつけられている。

一緒にいたテディは、ナイフをみて「これはやばい」と感じ、その場から逃げたが(クリスに逃げるように促してもいる)、クリスはナイフから逃げようとしなかった。

こういう気質であるがゆえに、後に自分の目の前で起こったもめごとに介入し、命を落とすことになったのだ。

テディに向けた「長く生きられない」という言葉は、クリスに向かうものだった。

リスクを取るということ

この映画には、「リスクを取るということがどういうことか」に対する答えがある。

少年たちは、その年代にありがちな無鉄砲さからか、常にリスクを取る選択をしている。

まず、屑鉄置き場に侵入する、というリスクを取った。

ここには、マイロとチョッパー(犬)に遭遇する、という危険があった。リスクをとった代償として、ゴードンが追いかけられ、テディが父親を侮辱され大いに傷つく…という結果になった。

次に、川にかかる鉄道橋を渡る、というリスクをとった。

結果はご承知のとおり。バーンはくしをなくし、後ろの二人は危うく命も失うところであった。

※バーンは怖がりで、唯一リスクを嫌う少年だ。そういう人が無理にリスクをとるとどうなるか…ということも教えてくれる。

余談だが、テディがふざけて橋から落ちそうになる、というカットされたシーンがある。この光景を見たために、バーンは怖くなり四つ這いになって橋を渡ろうとする。

 

 

 

最後は、線路道を外れて森に入るシーン。

そうしたため、全身(+持ち物)がずぶぬれになる、テディとバーンの争いが起きる、蛭に血を吸われる、ゴードンに至っては、蛭が急所に取り付き、気を失う…ということになった。

リスクをとった見返りは、時間を節約することができた、体力を温存することができた、そして、エースたちよりも先に目的の場所にたどり着くことができた、ということだ。

さらには、最も重要なことかもしれないが、ゴードンが覚醒&成長したことだ。

特殊効果

この映画にも、(CGはないが)特殊効果がある。

昔の映画やドラマで(今でもあるかもしれない)、ときどき目にするものだ。

今述べた、線路道を外れて森に入るシーン。

線路道から見下ろした森が、晴れているにもかかわらず(この先の困難を暗示するがごとく)暗く深く見えている。上空には黒い雲があるが、これは「絵」だ。遠景の山や森の一部も絵だろう。

さらに、特殊効果ではないが、水の流れや風の動きを表現の一部として利用するシーンもある。

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おわり

帰りは、「ただ帰るだけ」という旅になり、黙々と夜通し歩いて町に着く。

※行きとのコントラストがいい。

ゴードンには、自分が精神的に大きくなった分、町が小さくみえた。

まず、バーンがグループから離れ家に向かう。その途中、道に落ちたペニーを見つけ拾う。次にテディが離脱する。別れ際、クリスに「No hard feelings, OK?」と言う。テディはクリスとの衝突を気にしていたようだ。

この別れ以降、ゴードンは(就職組の)テディとバーンとは疎遠になっていく。

今後使われなくなるであろうツリーハウス。心なしか以前より色あせて見える。その高台から町を見下ろすクリスとゴードン。「僕は一生この町にいるのかな…」と言うクリスに対し、「したいことを何だってできるさ」と返す成長したゴードン。これは、自分に向けた言葉でもあった。

ゴードンと握手をして立ち去るクリス。後姿が突然「スッ」と立ち消える。

12才のときのような友達はもうできない。そうでしょう?

 

リバー(クリス)について語るウィル(ゴードン):