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耳の痛い話・忠告への賢い対応4つ

あなたは、耳の痛い話にどう対応しているだろうか。

もはや誰も自分に対し、耳の痛い話をしてくれない…という人もいると思うが(笑)、嫌われるリスクを負ってあえて忠告や耳の痛い話をしてくれる人がいるのであれば、ありがたいことだ

※このことが「ありがたい」と思うのは、そういう人がいなくなってからだ。

今回は、耳の痛い話・忠告への賢い対応について書いてみたい。

目次

批判を仕分けする

まずは、自分に対する批判を仕分けしたい。

ここでは、耳の痛い話を「聞くのは辛いが、自分のためになる話」としよう。建設的な批判と言ってもいいだろう。批判の仕分けというのは、建設的な批判なのかそうでないのか…ということだ。

建設的な批判というのは、的を射ている批判のことだ

上司に指示されて作った資料にケアレスミスが多い、さらには重大なミスも含まれていた…という事実があるとしよう。

上司は、「お前の仕事はミスが多い」、「作業しているとき、集中しているのか」、「内容を理解して作業しているのか」、「ダブルチェックしているのか」という批判をし、「提出前に再度、必ずチェックするように」という指示をするだろう。

これらは、適切なフィードバックで建設的な批判だといえる。

非建設的な批判とは

一方、そうでない批判もある。

同じ状況で、「お前は資料ひとつまともに作れないのか」、「全く使えない奴だな」、「こんな致命的な失敗をして、どう責任を取るのか」、「何年この仕事をやっているのか」、「お前は何のためにここにいるんだ」という類の批判が、非建設的な批判だ。

※中傷・人格批判になっている。

このほかにも、重箱の隅をつつくような批判、自分の存在感を知らしめるための批判、批判のための批判、発言するためだけの批判、相手が嫌いだからする批判など、非建設的な批判がある。

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非建設的なそれはわかる

会議などで批判をされたことのある人はわかると思うが、批判をされると相手がどういう意図で批判をしているのか…ということが、瞬時にわかることがある(あとでわかることもある)。

数を重ねると、あいつはオレの足を引っ張りたがっているので、非建設的な批判をしてくるだろう…ということが読めるようになる(笑)。

批判の仕分けをするのは、建設的な批判とそうでない批判に対する対応の仕方が異なるためだ。なので、どちらのタイプの批判か…ということを早く判断できれば、それに越したことはない。

非建設的な批判はスルーする

非建設的な批判は、スルーするのが基本だ。

中傷・人格批判を、真面目に受け取れば受け取るほどしんどくなる。

相手はそうすることで憂さ晴らしをしているのだから、それに真面目につき合うことはない。上司がそうするのであれば、「あーまた始まったね(棒)」ぐらいの気持ちでスルーすればいい。

ただし、その「やれやれという感情」は表には出さないことだ(笑)。「この手の批判は、相手の信頼を失うだけなのに…」、「憂さ晴らしは、あとで自分の首を絞めることになるのに…」と考えてもいいだろう。

重箱の隅をつつくような批判、自分の存在感を知らしめるための批判、批判のための批判、発言するためだけの批判などに対する対応も同じだ。「そちらの都合で、批判をしているのだね」、「あなたも、いろいろ大変だね」ぐらいの達観した気持ちで受け流せばいい

批判をあらかじめ想定しておく

相手が嫌いだからする批判、足を引っ張るための批判であれば、先にも述べたが(面子をみた時点で)あらかじめ想像がつく。こいつは批判をしてくるだろうな…ということがわかるのだ。

なので、そのことをあらかじめ想定しておく。そして、正面から取り合わないようにすることが一番だ。

最もらしいことを言ってくる場合は、冷静に反論すればいい。この場合、「相手が嫌い」という気持ちがあるので感情的になりやすい。その点だけは、注意した方がいいだろう。

熱くなってはいけない。

 

耳の痛い話への対応は

建設的な批判への対応は

建設的な批判の場合は、どのように対応すればいいのだろうか。

まずは、その批判を聞いて受け止めることだ。

建設的な批判であっても、イラッとすることはある。特に自分よりも下だと思っている人(後輩など)から批判されると、「オレを軽くみているのか」とイラッとするのだ。

「わたしの意見を理解しようとしないのか・尊重しないのか…」とイラッとすることもあるだろう(笑)。

会議やグループ・ディスカッションの場合は、上下関係は意識の外に置いた方がいいだろう。たとえ自分の方がキャリアや役職が上でも、その場ではフラットだと考えた方がいい。

そうしないと、批判されたときイライラが募るだけだ。

反論のための反論をしない

建設的な批判を受けたとき、反論のための反論をしても仕方がない。

会議やグループ・ディスカッションは、勝ち負けを決めるディベート大会ではないのだ

批判をされたとき、ムキになって反論する人がいるが、そもそも「ムキになる」ということが間違いだ。それは、相手を打ち負かしてやろう(負けるのは嫌だ)という気持ちがあるからそうなるのであって、冷静であればムキになることはない。※反論のための反論をしない、とする。

建設的な批判を掘り下げる

建設的な批判をされたときは、その批判を掘り下げてみたい。

批判をされると、それが建設的なものであっても、気分は良くない。

無粋に押された気分になり、自分を守るために(無意識に)押し返そう…としてしまう。

満員電車内の力学と同じだ(笑)。思わずそうしてしまって、相手の批判の真意や根拠を理解できずに終わってしまう…ということがある。これは、非常にもったいないことだ。

失敗したことがあるのでは?

自分の過去を振り返ってみてどうだろうか。

あの人が自分に対し忠告した・苦言を呈したけれど、自分は聞く耳を持たず突っ走った結果、あの人の言ったとおり失敗してしまった…ということがないだろうか。

たとえば恋愛の話だが、友人が「あの人はちょっと…」という人と(友人の苦言を無視し)交際してしまい、「失敗した…」ということがないだろうか。親の忠告・苦言を聞かず失敗…ということもあるだろう。

なので、相手の批判の真意や根拠を理解できるまで、じっくり相手の話を掘り下げて聞いた方がいいのだ。聞きたくない話をあえて聞く、というのは難易度の高いことではあるが、だからこそそれができれば、コミュニケーション能力が高い、ということになる

自尊心をチェックしたい…

建設的な批判をされたときは、自尊心をチェックする機会になる。

自尊心が低い場合は、ささいな批判でも、グサッと胸に突き刺さる。自分のとった行動に対する批判であっても、自分の人格を批判されたと思い込み、深く傷ついてしまう。
出典:批判されたときの対処法6つ

自尊心が低い場合は、ささいな批判でもグサッと胸に突き刺さる、ということがある。

自尊心が低いと、批判に対する感度が高くなってしまうのだ。

自尊心が低い人の場合は、たとえそれが建設的な批判であっても、「自分に対する人身攻撃だ」と受け取ったり、「批判される自分は、本当にダメな奴だ…」と深く落ち込んだりする。

自尊心が低ければ敏感に反応する

自分自身のことが嫌いな人ほど、批判に強く反応してしまうのだ

逆に、自尊心が高い人の場合は、建設的な批判は建設的な批判だと正しく認識できるし、「批判される自分は、ダメな奴だ…」とは思わない。メンタルに余裕があるため、感情的になる・感情があふれる…ということもない。

自分の批判に対する反応をみれば、自分がどちらのタイプなのかはっきりするだろう。耳の痛い話に対する自分の反応で、現在の自尊心の度合いをチェックすることができるのだ。

批判・忠告OK!と考える

建設的な批判をされることはいいことだ、と考えたい。

冒頭で、「リスクを負ってあえて苦言や耳の痛い話をしてくれる人がいるのであれば、ありがたいことだ」、「このことがありがたいと思うのは、そういう人がいなくなってからだ」と書いた。

耳の痛い話をしてくれる人は、あなたとの関係が悪くなるリスクを負って、そうしているのだ。こういう人は貴重な存在だ。いつまでもそういう人がいる、とは思わない方がいい

耳の痛い話をしてくれる人を「うざいから」と排除していれば、そのうちそのタイプの人がまわりからいなくなるだろう。そうなると、裸の王様状態になってしまうのだ。※何も言わない人ばかりになる。

これは人的な損失なのだ。自分に対し率直なフィードバックをしてくれる人がいなくなった…ということだ。そして、その損失に気づくのは、そういう人がいなくなってからだ。

そのとき、「しまった」と思っても、遅いのだ。

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耳の痛い話・忠告への対応 - サマリー

まとめ

今回は、耳の痛い話への賢い対応について書いてみた。

今回の記事で述べた建設的な批判への対応は、1)反論のための反論をしない、2)建設的な批判を掘り下げる、3)自尊心をチェックする、4)批判OKと考える、の4つだ。

人は「こいつには、何を言っても仕方がない」と思えば、有益なアドバイスがあっても沈黙するものだ。あなたも、聞く耳を持たない相手に対し、アドバイスしようとは思わないはずだ。

※耳が痛い話というのは、する方もリスクを負うのだ。

なので、そうなってはおしまいだ。耳の痛い話をしてくれる人はかなり貴重、建設的な批判をしてくれる人はありがたい…と思って、感謝する気持ちを持つぐらいでいいのだろうと思う

「苦言は薬なり、甘言は疾(やまい)なり」なのだ。

今回の記事:「耳の痛い話・忠告への賢い対応4つ」