不器用な生き方をやめたい

人の心理や特徴を踏まえて合理的に行動したい

最後に笑うのは「元を取る人」ではない

あなたは、元を取る人だろうか。

元を取ることに対する意識には、濃淡があるだろう。「元を取らなければ気が済まない…」という人がいれば、「元は取りたいけれども、それほどではない…」という人もいるだろう。元を取ることに熱心な人は、外食の原価率を調べて、原価率の低いメニューは頼まない…という人もいる。

今回は、元を取ることについて書いてみたい。

目次

元を取るは当たり前

元を取る、と考えることは、当たり前のことだ。

ビジネスにおける投資でも、資産を増やすための投資でも、自分に対する投資にしても、「元を取りたい」という気持ちはあるだろう。元を取るというのは、投資金額以上のリターンを得る、ということだ。そもそも、「元を取れるのではないか」という期待があるから、貴重な時間やお金を投資するのだ。最初から投資金額未満のリターンしかない…とわかっていれば、投資などする気になれないだろう。

・モチベーションになる

元を取る、と考えることは、モチベーションにつながる。

元を取る、と考えることが、「行動につながる」ということがあるのだ。たとえば、親が大学の学費を全部支払ってくれる場合、その学費分の元を取ろうとは思わない。コスト意識の高い学生であれば、元を取ろうと思うかもしれないが、大多数の学生は、(親のお金だということもあり)元を取ろうとは思わないだろう。その結果、コストのことを考えず、のほほんと過ごすことになる。

だが、自分で学費を負担する場合は、事情が変わってくる。これだけの投資をしているのだから、「元を取らなくては…」という意識が芽生えるのだ。なので、授業に対する向き合い方も変わってくる。そう考えると、元を取ろうとすることは、悪いことではない。

元を取ってはいけないケース

一方で、「元を取ってはいけないケース」がある。

正確に言えば、元を取ることに必死になってはいけないケースだ。

たとえば、食べ放題のお店だ。このタイプのお店では、定額を支払えばいくら食べても飲んでもいい(一部有料のものもある)。したがって、「たくさん食べた方がお得」という意識になり、「できるだけたくさん食べよう…」という行動に結びつく。

しかし、食べ過ぎが身体に悪いことは明らかだ。本人は、お腹が苦しくなるまでたくさん食べた。十分元を取った…と満足するかもしれないが、一方で健康を毀損している可能性があるのだ。

次に、行列に並んで待たされる場合だ。

たとえば、お店の行列に並んで長く待たされた場合、並んだ時間の元を取り戻そうと思い、普段以上に店内でのんびりする…ということがないだろうか。化粧室やレストルームでもいいだろう。使うまでに長く待たされた場合、普段以上に時間をかけて(十分に)使おうとしないだろうか。

そうする人の場合、「元を取りたい」という意識がそうさせるのだ。

さらに、何かを無料で利用できる権利を手にすることがある。たとえば、ラウンジを無料で利用する権利を得たとしよう。「無料で利用できる権利を手にする」ということは、そのための対価を別の形で支払っている、ということだ。したがって、元を取るために、「できるだけその無料のラウンジを利用したい…」と考える。利用する必要がない場合も、わざわざ利用したりするのだ(笑)。

なぜ元を取ってはいけないのか

ではなぜ、先のケースで元を取ってはいけないのだろうか。

食べ放題のお店で、お腹が苦しくなるまで飲み食いするというケースは、その行為により健康を毀損する可能性があるためだ。わずかなお金と健康のどちらが大事かといえば、当然後者だ。特に、健康の重要性に重みが増す30代以降に、元を取るために大食いするようなことはしない方がいい

行列に並んで待たされる場合はどうだろうか。

長く待たされた場合に、元を取ろうとして「普段以上に十分に利用したい」という気持ちはわかる。だがそれは、「自分本位な考え方だよな…」とも思う。

外で並んで待っている人がいるためだ。自分もついさっきまで列に並んで待たされていたので、待たされている人の気持ちはリアルにわかるはずだ。だが一転立場が変わると、自分本位に振舞ってしまう…というのは、問題があるような気がする

この場合、どこで折り合いをつけるかだが、元を取ろうという気持ちは捨てた方がいいと思うのだ。普通に利用して、並んでいる人たちのことにも少しは気を配る、ということでいいと思う。※もちろん、たくさん気を配ってもいいのだが、そのことで(焦らされ)自分たちが楽しめなくなるのであれば、NGだ。

そうすることで、わずかでも社会がより良くなるし、社会を良くするための行動をしている、と自分が感じれば、セルフイメージが高くなり、(自分に対し)良い影響が期待できる。

最後に、ラウンジを無料で利用する場合だ。

このケースでは、「利用する必要がない場合も、わざわざ利用したりする」ということが問題になる。もちろん、利用する必要があるときに、利用する分については全く問題がない。だが、利用する必要のないときに、「元を取る」という目的でわざわざ利用することには問題がある

お腹が減っていないのに無理して食べる、というようなことだからだ。

こういうことをしていると、ラウンジを無料で利用する権利を得るハードルが高くなったり、ラウンジのサービスが悪くなったり、最悪のケースでは無料ラウンジが廃止されたり、本当にラウンジを使いたい人が便利に使えない…ということが起こる。

また、機会コストの問題もある。

利用する必要がないときにラウンジを利用することよりも、価値のある行動というものがあるはずだ。ラウンジを利用することで、その価値ある行動がとれないとすると、自分にとって損になる。

・他者からの評価の問題もある

他者からの評価の問題も指摘しておきたい。

「元を取る」ということは、自分本位になる、ということでもある。

その姿が他者からどのように評価されるのか…ということにも気を配る必要がある。たとえば、無料配布の品物があるとしよう。できない人は、(無料だからと当然のように無言で)ひとりでたくさん取ろうとするそうだ(笑)。だが、できる人は、「いただきます」と言葉を発して、ひとつだけ取る。この光景を見ていた人が、おのおのの人物をどのように評価するのか…といえば明らかだろう。自分本位になることは、自分の評価を落とすことでもある

「元を取る」には、このような諸々の問題があるのだ。

元を取らない人が笑う

上で機会コストについて触れたが、別角度からもう少し書いてみる。

「元を取る」という意識が強くなりすぎると、「元を取るまで固執する」ということになる。固執することが、「あきらめずに粘り強く続ける」という目に出るとプラスになるが、「盲目的に固執する」、「感情的に固執する」という目に出ると、マイナスになる

自分本位になると、盲目的になるので注意が必要だ。

たとえば、資産を増やすための投資について考えてみよう。

ある金融商品に投資したが、元本割れし損が出てしまった。このとき、「元を取る」という意識が強いと、撤退する、ということができない。損切りをして、その資金を有効に使う、ということができないのだ。その結果、ズルズルといつまでも損を抱えた商品を保有する、ということになる。

※機会コストの問題が生じるのだ。

・最後に笑うのは…

最後に笑うのは、元を取らないセンスを持つ人ではないかと思う。

最初に述べたように、「元を取る」と考えることは、当たり前のことだ。親が大学の学費を支払ってくれる大学生であればともかく、大人であれば自己資金や借り入れた資金で投資をしているわけで、投資以上のリターンを得る、ということはデフォルトで意識している。

普段の生活の中でも、「元を取る」と考えながら行動している人も多いと思う。「元を取らなければ損だ」と考える人も多いだろう。なので、「元を取らない人」が際立つのだ。

あえて、「元を取らない人」と表現したが、正確にいうと「元を取ること」と「元を取らないこと」をメリハリをつけて両立できる人のことだ。自分にとって重要かつ勝算のあることでは、全力で元を取りに行くが、それ以外のことでは、意外なほど元を取らない。こんな人が、最後に笑うのだろうと思う。

そのためには、「自分にとって重要かつ勝算のあることが何か」ということを知る必要があるし、元を取ることについての深い理解と洞察が必要だ。

まとめ

今回は、元を取ることについて書いてみた。

書いている内に、「元をとる・とらないの問題って、意外と深いよな…」と思ってしまった。書く前は「千文字程度しか書けないのでは…」と思っていたが、論点が浮かび、スラスラと書けてしまった。とりあえず自分的には、「元を取ること」と「元を取らないこと」をメリハリをつけて両立できる人になることが目標だ。言うは易く行うは難しで、実践することがむずかしいのだ。