あなたは、努力は必ず報われる、と思う方だろうか。
成功者が口にする言葉であり、成功者のハロー効果により、彼らが口にするその言葉も正しい、と思ってしまうが、「真」ではない(嘘だ)。「報われない努力」というものも、当然あるのだ。
努力については、以前にも書いたことがある。
報われる努力をするためには、間違った努力ではなく、「正しい努力」をする必要がある。
間違った努力は報われないが、正しい努力は報われる可能性が高い。そのためには、間違った努力とはどういうものなのか、よく理解しておく必要があるのだ(間違った努力をしてはいけない)。
今回は、自分をスポイルする「報われない努力」について書いてみたい。
目次
無駄な努力がある
努力の中には、「無駄な努力」に分類されるものがある。
無駄な努力とは、簡単にいえば、効用がさほど期待できない努力のことだ。
以前、わたしはツイッターのフォロワーを増やす努力をしたことがある。単純に、フォロワーを増やせば、それだけ自分の発信力、ひいては「影響力」が大きくなるのでは…と思ったからだ。
セオリーどおり、目標を立ててその目標を達成したのだが、思ったほどの効果はなかった。影響力を増す目的の場合、フォロワーは、ただ単純に増やせばいい…というものではないのだ。この努力は、自分的には無駄な努力であった(笑)。
人の人生が、自己のリソースの使い方により決まるとすれば、「無駄な努力」にリソースを充てる人は、成功とは縁のない人生になる可能性が高い。この点は、よく理解しておく必要がある。
報われない努力とは…
方向を間違えたもの
方向を間違えた努力、というものがある。
目的を達成するために、あまり役に立たない努力のことだ。
たとえば、「英語で会話ができるようになること」を目的としよう。
英語で会話をするためには語彙力が必須だ。なので、受験のときに使った英語の単語書を使って英単語を勉強しよう…そう考えて、1日数ページと決め、毎日英単語を学習し語彙力を増やす。
これは(間違いとまでは言わないが)方向のズレた努力だ。
方向性は正しいか?
受験用の単語書というのは、受験のための参考書であり、英会話のためのものではない。
普通の英会話に出てくる単語や熟語というのは、実はかなり限られるが、受験のための参考書には、それ以外のもの(普通の会話にはまず出てこないようなもの)が相当含まれているのだ。
時間の限られた社会人が、「英語で会話ができるようになること」を目的として、単語などを学習するのであれば、会話でよく使われる単語・熟語をまとめた書をベースに学習すべきだろう。
この方法であれば、目的の方向に真っ直ぐ伸びる正しい努力になる。
誤った目標に基づくもの
また、誤った目標に基づく努力、というものがある。
以前、ある民間の資格を取ったことがある。その資格をとるために、それなりの時間と労力を費やしたが、今はその資格を放棄した。資格を維持するためのコストが、(リターンに比べ)かなり高いためだ。
※もはや、資格ビジネスになっている。
当時はその資格を取ることを目標にして努力したのだが、今となっては、その目標設定自体が間違っていたのでは?という疑問がある。誤った目標を掲げてしまうと、それを実現するための努力は無駄になってしまうのだ。※全部が無駄とはいわないが、多くが無駄になる、ということだ。
好みと一致しないもの
自分の嗜好と一致しない努力も無駄になりやすい。
好みと一致しない努力とは、好きでもないのにやる努力のことだ。
業務命令だから、生活のためだから…など、理由はいろいろあると思うが、仕事をする上では、好きではないことを強いられることがある。そんなときは、かなり気が滅入るものだ。
勉強でもそうだが、嫌々やる努力には無駄が多い。嫌だ、嫌いだ、苦手だ…と思っているので、努力していても身が入らないのだ。※嫌々努力をしても、脳が活性化しないのだろう。
この場合は、スパッとやめるか、なんとか面白味を見つけて、好きになるしかない。
完璧主義に基づくもの
完璧主義に基づく努力は、無駄な努力になりやすい。
完璧主義者は、求められてもいないのに、それ以上のことをやってしまうためだ。
わたしは、ガリ勉で学年1位をとる子供は、社会に出てから(期待されるほどは)伸びないと思う。順位が学年10位でも、ガリ勉の時間を別の有意義な活動に使う子供の方が将来伸びるだろう。
完璧を目指せば、かかるコストが膨大になるのだ。完璧を目指せば目指すほど、かかるコストが指数関数的に増えるというイメージだ。はたして、そのコストに見合うだけのリターンがあるのだろうか?
出典:完璧主義は害の方が大きい
80点で合格するのであれば、85点~90点を取れるように努力すればいいのだ。
完璧主義にもとづき、何が何でも100点を取りに行く必要は全くない。その分のリソースは、別の有意義な活動に回した方がいいのだ。このことは、以前の記事で述べたとおりだ。
アウトプットしないもの
アウトプットしない努力には意味がない。
ビジネススクールでは、ケース・スタディ(事例研究)というものがある。
ケース・スタディとは、事実をベースにして作ったストーリー(ノンフィクション)と実際の経済&経営の数値をベースにして、そのケース(事例)を分析&研究し、クラスで議論するというものだ。
そのクラスが始まるまでに、分厚いケースを読み込んで、細かいデータを含む内容を整理し、自分なりの(定量的・定性的な)分析や洞察を加え、クラスで発言するネタをあたためておく必要がある。議論を通じてクラスに貢献しようと思えば、相当な事前準備が必要なのだ。
出力しなければ…
この大変な準備をバッチリやっても、本番のクラスで議論に参加できなければ(アウトプットできなければ)、何の意味もない。つまり、その事前準備は無駄な努力に終わる、ということだ。
無理に考えれば、そのとき行った分析や洞察が(汎用的に)別のケースでも使える…ということがあるかもしれないが、さすがにちょっと無理がある(笑)。※会社の会議などでも同じこと。
独り善がりによるもの
人に助けを求められないために生じる努力がある。
会社などにおけるグループワークは、「助け合い」がベースになっている。
それぞれの特長を生かして仕事をすれば、業務の効率を最適化でき、組織の利益を最大化できる、ということだ。なので、助け合いの輪の中に入れず、(その必要がないにもかかわらず)仕事を自己完結しようとする人は、(組織の中では)「できない人」ということになる。
すべて自分でやるのは
なんでもかんでも自分でやろうとするのは、得策ではない。
コミュニケーションが嫌だからとか、不要なプライドがあるからだとか、いろいろ理由があるとは思うが…人に助けを求められない人は、無駄な努力をしがちである、ということは理解しておいた方がいい。そのことにより、自分の時間や労力が無駄になっていることに気づきたい。
ほかの人より劣るもの
自分は努力だと思っていても、客観的にみれば大した努力ではない、というものがある。
たとえば、「土日で1時間ぐらい、業務に必要な勉強をしています」という人がいるとしよう。彼は、自分なりに休みの時間を割いて、仕事のために努力をしている、と思っている。
たしかに努力には違いない。だが、職場の同僚の多くが、2~3時間同様の勉強をしていたらどうだろうか?彼の努力は無駄な努力ではないが、報われる努力でもない可能性が高い。まわりとの比較で、少ない努力であれば、努力をしていてもずるずる後退する可能性があるのだ。
努力は必ず報われるの嘘 - サマリー
まとめ
今回は、努力は必ず報われるの嘘について書いてみた。
今回の記事で書いた「報われない努力」は、
1)方向を間違えた努力、2)誤った目標に基づく努力、3)好みと一致しない努力(好きでもないのにやる努力)、4)完璧主義に基づく努力、5)アウトプットしない努力、6)人に助けを求められないために生じる努力、7)相対的に劣る努力、の7つだ。
※ただし、早い段階で気付いて修正できれば、無駄にはならない。
自分は努力をしているのに報われない…と感じるのであれば、無駄な努力をしている可能性がある。無駄な努力をしながら、「努力は必ず報われる」は嘘だから嫌いだ…としても仕方がない。
そんなときは、一度立ち止まって、自分なりに考えることが必要になる。時間は有限ゆえ、努力の空回りは避けた方がいい。そのためには、自分が行う努力の不断の見直しが必要になるだろう。
今回の記事:「努力は必ず報われる…は嘘です|無駄な努力はある」